つまり1歳の誕生日を迎えるわけが、
日々、息子の成長を観察していて、面白いことに気がついた。
まず、生後1ヶ月。生後3ヶ月では、別の生物のように違うと言うことである。当たり前と言えば、あたりまえのことなのだが、まるで違う生き物である。もちろん生後3ヶ月と生後5ヶ月も違う。全く違う。犬と猿ほどもちがう。反応がまるで違うし、苦労のポイントが全く違う。生後6ヶ月以降になると、1ヶ月ごとに別の生物になったかと思うほど進化する。と、同時に、やっかいな問題もでてきた。
しかしである。その厄介な問題への解決方法をさぐることによって、赤ちゃんに対する理解力が深まった。たとえば、生後8ヶ月をすぎると、大人しくオムツ交換に応じてくれない。なので、いろんな方法で対処するようになる。ミルクを飲ませるうちにオムツ交換をするとかである。しかし、これも壁につきあたる。離乳食を食べるようになるとミルクを飲まなくなるのだ。ほ乳瓶を叩き落として、オムツ交換を嫌がる。ウンチの場合は、さらにやっかいなことになる。
で、いろんな手法を試すわけであるが、その手法をさぐるあいだに、赤ちゃんの真実がみえてくることがあるのだ。例えば、ある日突然、風呂上がりの着替えを嫌がるようになる。それへの対処として着替えゲームをしたり、いろんなことを試してなだめすかすが、あまりうまくいかない。で、しばらく素っ裸で放置することにした。もちろん部屋は零度くらいの寒さである。しかし、1分くらいは大暴れしている。で、3分後に自分から服を着ようとするようになる。もし、これが20度くらいの暖かい部屋だと、なかなか服を着ようとはしない。つまり赤ちゃんは、暑さに弱いことがこれでわかってくる。暑いと、服を着たがらないのだ。
また、赤ちゃんは、いろんなものを擬人化する癖があるのもわかってくる。風呂上がりに着替える服に好き嫌いがあることが分かってくるからである。具体的に言うと、ライオンなどの絵が描いてある服を好む。無地の服よりも、そちらに反応するのだ。もっというと大きな目玉のあるキャラクターの描いてある服をこのむ。そうでない場合は、無地の以外の服を好む。縦縞とか、模様のはっきりした服を好む。で、その模様を擬人化しているようなのである。
服だけでない。空のペットボトルなんかにも好みがある。絵が描いてあるペットボトルを好む。そうでなくてもペプシのマークのように目玉ぽいマークを好む。オモチャにしても、なんの模様もない木の積み木よりも、動物などのキャラがかいてあるものを好む。
あと面白いのが服などについているタグを好む。そういう「でっぱり」を好む。チャックとか、ヒモとか、ボタンとか、ベルトといった付属品を好む。タグっぽい付属品を好むのである。そして口に入れようとする。タグのようなでっぱりは、口に入れやすいのだ。なぜ赤ちゃんは、なんでも口に入れようとするのかというと、これは長い進化の結果である。生まれたばかりの赤ちゃんは、口まわりだけが異常に完成度がたかくなっているからである。赤ちゃんは、ミルクを飲むことに特化して生まれており、他の器官は、生まれた後に完成するようになっているために、ものを口で確かめるしかないのだ。
だから何でもかんでも口で確かめようとする。
確かめはするが、食べようとは思ってない。
そういう発想はない。
けれど手足の感覚が口ほど発達してないので
口に入れて確かめるしかないのだ。
その場合、口に入れやすい「でっぱり」に興味がわくらしい。
それでタグっぽいものを盛んに口に入れるのである。
逆に言うと、これを利用して風呂上がりに、嫌がる服を着せることが可能になる。赤ちゃんの服のタグっぽいものを与えて興味をもたせるのである。服を着せる前に、ボタンを付けたり外したりして興味をもたせる。タグもみせる。赤ちゃんは、そういうものに目がない。それを利用して服を着させたりするのだが、こういう手法を発見するたびに赤ちゃんの本質が見えてくるから面白い。
そんなことは、どうでもいい。
息子が、あと10日で1歳になる。
このくらいまで大きくなると、親の真似が、ますます激しくなる。私が3日くらいムスッとしてしまうと息子も無愛想になってくる。「こりゃまずい」と反省して、毎回、笑顔をみせると盛んに笑うようになる。目が合っただけでケラケラ笑うようになる。親の言葉もかなり正確にわかっているようでもある。話しかけるとじっと聞いている。私が歌うとリズムをとって壁を叩く。
「あーん」
と口をあけてみせると「あーん」と真似して返してくる。愛犬コロがワンワンと吠えると「ワンワン」と返す。ついうっかり、天才バカボンの歌を歌っていたら真似して「タリラリラリラリ・・・」と一日中、歌っていた。
ここまで真似するようになると困った問題もおきてきた。
北軽井沢は、乾燥しているために息子の鼻に鼻くそがたまってくる。それを取り除くために嫌がる息子を押さえ込み、息子の鼻から指で鼻くそをとったことがあった。すると息子は鼻の穴に指を入れることを真似しだした。最初は、自分の鼻の穴ではなく、親の鼻の穴に指を入れようとしてきた。これを阻止すると、こんどは自分の鼻の穴に入れようとする。これをブロックすることに苦労した。
赤ちゃんは、物真似の天才であることをスッカリ忘れていた。どんなに面倒でもぬれた鼻紙で鼻をふくべきだった。息子の鼻の穴に、指やピンセットを入れるべきではなかった。そういう反省が何度も重なってくると、結局、しつけのできてない子供の責任の大半は親にあると思わざるをえない。それを考えると毎日、冷や汗をかく思いになる。
つづく。
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