生後15ヶ月となると、さらなる知能の向上に驚くばかりだ。
もう親の言葉は、たいてい理解している。
オムツを替えるときも、着替えるときも、
しっかり語りかければ以前のように暴れなくなってきた。
逆に、それでも暴れるときは、なにか特殊な原因があるケースである。
食事もホークやスプーンで食べるようになってきた。
それもきれいに食べる。
ご飯粒を一粒のこらずきれいに食べてこぼした一粒も残らず食べる。
テーブルは、いつもきれいである。
嫌いなものは今のところ無い。
なんでも食べる。
なんでも食べさせた結果である。
1日60品目はたべている。
宿屋だからできる技である。
御客さん用に作ったおかずをあげているのだ。
最初、嫁さんは、これを嫌った。
「味の濃いもの(肉や魚やカレー)はあげないで」
「甘いもの(桃やイチゴやメロン)はあげないで」
と叫んでいたが、最近はあきらめたようだ。
なので、辛口のカレーライスなんかも食べる。
というか大好物である。
コロッケや鮭も大好物。
もちろん大量には食べさせてない。
ほんの少しづつ、多品種を食べさせている。
リスク分散のためである。
粉ミルクだって、全メーカーのものを飲ませてきた。
これもリスク分散のためである。
お風呂に入るのだって、嫁さんと交代で入っている。
これもリスク分散のためである。
人によって洗い方に違いがあるはずなので、
洗い残しのリスクを避けるために交代で入っている。
食事も一緒である。さいわい、うちは平日大歓迎の宿屋なので毎日、御客さんの食事を作っている。だから食品の品数も一般家庭より多い。さのために生後15ヶ月の息子は、ものすごい品数のおかずを食べられる。もちろん、赤ちゃんが食べても安全な食品(国産)を常日頃から御客さんに出してないとできない技ではある。だから何でも息子に食べさせられる。主食も朝はパン(もちろんマーガリンとショートニングは混入してない)、昼は麺類(国産)、夜はご飯(減農薬)というふうにチェンジするので、そのせいか好き嫌いが全くない。もちろん食事で遊ぶことなどしない。
実は、ここまでが前置き。
以後、本題に入る。
生後15ヶ月になると息子の知能が上がったことはすでに述べた。
どういうふうに上がったについて述べたい。
嫁さんは、いつも息子に「あーん」と言って食べさせていた。
ところが生後15ヶ月になると息子はスプーンやホークや箸をもちたがる。
自分で食べたがる。
で、実際にスプーンを持たせると、
「あーん」
と言って、母親に御飯を食べさそうとするのである。
これには、私も嫁さんも目が点になった。
この現象は、いったい何を意味するのだろうか?と。
考えられることは3つある。
1.単に母親の真似をした
2.母親を他人と認識しはじめた(母親に配慮する思考した)
3.食べたくないものを母親に食べさそうとした。
一番考えられるのは、1の単に母親の真似をしたことであるが、実は単なる真似なら生後3ヶ月のころからしている。しかし、こと食事となると、真似するまえに食べるという本能が勝ってしまうのが、煩悩だらけの赤ちゃんの本質である。
特に、うちの息子は食い意地がきたない。なんでもペロリと食べるし残さない。目の前に食事が置いてあったら、食い意地だけが全力疾走するタイプなのだ。だから単なる真似というのは考えにくい。
逆に、3の食べたくないものを母親に食べさそうとしたというのも考えにくい。なにしろ息子には好き嫌いがないのだ。
そうなると消去法で、2の母親を他人と認識しはじめた(母親に配慮する思考した)ということになるが、これも怪しい。一般的に子供と母親は一心同体な期間が何年か続くといわれている。生後15ヶ月の息子が、母親を他人と認識できるはずがない。ということは、いったいどういうことなのだろうか?
妥当なところを探れば、やはり真似をしたというところだろうか?
とすると食欲という煩悩より真似の欲求が勝ったと言うことだろうか?
つづく。
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1歳半のお子さんを週に1度、お世話していました。
離乳食はお母様が用意してくださって、ゆっくりながらもよく食べる女の子でした。
私ともだいぶ慣れた頃、私に向かって「あ〜ん」をしてくれた時は、嬉しくて泣きそうになりました。
「一緒に食べようよ、美味しいよ」と言われたみたいで…私の思い込みですけどね(^_^;)
我が子からの「あ〜ん」は記憶にないなあ…
あ、あれは目が点になりますね。煩悩のかたまりの赤ちゃんが、他人に配慮するわけがないと思っていましたから。しかし、最近の観察の結果、ひょっとしたら赤ちゃんにも配慮する思考能力があるのではないかと思えてきました。ということは、他者を認識できるのは案外早い時期からということになる。