御客さんの中にも信長がどうたらとか、秀吉がどうたらとかいう話題をだす人が増えてきた。私も歴史好きだが、そういう話題は興味が無い。というか、高校時代に通過してしまっていた。登山でいえば、高尾山みたいなもので、初心者が好む話題なのだ。司馬遼太郎あたりも麻疹(はしか)みたいなもので、あれは二十代をすぎたら粗が見えすぎて好みではなくなった。なのでNHKの大河ドラマも基本的には見ない。マイナーな人を主人公にすれば見るかもしれないが、観る前から結末が分かっているドラマは面白くない。そのうえ歴史解釈が貧弱すぎて見るにたえないシナリオも多い。時代考証も目を覆いたくなるものばかりだ。
ここまでが前置き。
以下、本題に入る。
ユースホステル協会の会議や研修において、いつも話題になるのが、御客さんが食べる食事の量である。どういうことかというと、最近の御客さんは、めっきり食が細くなっているのだ。平均して一人あたり0.5合も食べないのである。これは、どの宿でも同じで、本当に食べない御客さんが多くなってきている。
今から30年前。私が学生時代のユースホステルでは、みんな3杯飯を食べていた。平均して一人当たり1合は食べていたと思う。多い人では、5杯飯を食べる人もいた。そして昼飯を抜いた。旅費を節約するためである。しかし、今は、そういう御客さんは減っている。本当にみかけなくなった。みんな小食になってきている。
そこで、歴史マニアの私は、さっそく調査をはじめてみた。
で、驚愕した。
餓死者をだした終戦直後の食糧難の時代よりも、2004年の平均摂取カロリーの方が、摂取カロリーは低いのである。
昭和21年 1903キロカロリー
平成16年 1902キロカロリー
http://healthy-teeth.org/?p=290
もちろん2004年以降も、どんどん減っている。みんな食べなくなっているのだ。
しかし、この統計には罠がある。昭和21年の若者の人口比率は、平成16年の若者の人口比率より多い。若者は腹を空かすが、老人は食が細いので、平成16年の方が摂取カロリーが低くて当たり前といえば、当たり前である。しかし、それにしても腑に落ちないことがある。身長と体重の差である。昭和21年の日本人は、身長で10センチ。体重で15キロほど小さかった。そのぶん摂取カロリーは低くてすんだはずである。なのに昭和21年には餓死者がでている。逆に現代では、肥満が問題となっている。
いったいどういうことになっているのか?
歴史マニアの私は、さらに追跡調査をしはじめた。軽井沢図書館にいって、過去の食糧事情を記録した資料を物色してみたら、あった! ありました! すごい資料が。
「日本陸軍兵営の食事/藤田昌雄/光人社」
この本の凄いところは、幕府軍の兵食システムから書いてあるところである。慶応元年の一番下っ端の兵隊の食料は、米が6合。おかずが銀2匁7部(蕎麦なら11杯食べられる)。さらに夜食までついている。当時の日本人の平均身長が155センチなので、当時の日本人はチビの大食いだったことがわかる。
これが明治時代の屯田兵になると、もっと凄くなって、1日7合半をたべていた。十五歳以下だと5合、六歳以下だと3合であった。幼児が3合も食べていたのである。もちろん白米であって玄米では無い。おかずにしても肉魚を毎日100グラム以上食べていたので、量は現代人とかわりない。昔の人は粗食だなんて、この統計をみるかぎり、とんでもないことである。これが昭和になると昼飯にビーフカレー、夜にカツレツといったメニューになるわけだから、さらに驚く。キツネに化かされたような気分になる。いかに私たちが嘘の歴史をすりこまれていたかが分かって面白い。これだから歴史マニアはやめられない。
ちなみに大正11年4月19日歩兵三十三連隊第二大隊の夕食が面白い。パンとシチューというメニューなのだ。昭和4年に陸軍が発表した標準献立表によれば、肉は一人当たり150グラム使用するように書かれてある。魚だと200グラムである。この量は、平成時代の若者が食べる量より多い。しかし、昭和4年の日本人は、現代人にくらべてはるかに小柄でチビなのである。しかし、当時の陸軍で使われた飯椀は、アルミ製の15センチどんぶりで、1500ccも御飯がはいるしろものだった。現代の御飯茶碗が250ccであることを考えると、いかに当時の人間が大飯ぐらいであったかがわかる。
では、なぜ現代人は食べなくなったのか?
答えは簡単である。
体を動かさなくなったからである。
というのも演習があると陸軍の食事も大量に増加されるからだ。屯田兵は、毎日が演習みたいなものだから、陸軍よりも25パーセント増しの米が配給されている。1回の食事に2合半の米を食べている。
私も登山をやるのでわかる。縦走の時は、1日五千カロリーで計算しないと倒れてしまう。まず寒さに凍えるようになる。カロリー不足で体温を維持しにくくなるのだ。で、チョコレートを食べると、嘘のように寒さが消える。だから戦前の兵士達は飢えていたのだ。7合半食べても飢えはするのだ。今なら高カロリーなバターとか揚げ物があるが、当時は、米がメインだったので、7合半も必要だったのである。
つづく。
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どんどん内容が質素になっていっており、
旅先での楽しみのひとつでもあるのに、、
食事がまずいので、食が進まないというのもあります。
ブルーベリーさんは、美味しいですが、他はひどいです。
なんとか改善していただきたいです。
>どんどん内容が質素になっていっており
最近、マネージャーの高齢化がすすみ
気力が衰えている宿もありますね
Akiさん
>雨ニモマケズ… でも一日に玄米四合… でしたね。
あいかわらず鋭い指摘で脱帽です。
この『一日に玄米四合…』は、少量という意味で言ったのか?
それとも単に当時の農民の平均食欲をさしたのか?
それが知りたいですね。
どっちにしろ玄米4合は現代人にとって大量です。
ただし、当時の農民にとっては、少量だった気がします。
屯田兵は、7合半ですから。
つまり賢治は・・・・・?