2014年09月26日

ブロックの名称について

 今年の夏は新規の御客様が多かったわけだが、多かった理由の一つに近畿の御客様が、3.11以降、もどってきつつあると言うこともある。昔は、夏の御客様の大半が、近畿地方・東海地方であったが、震災の原発事故以来、激減してしまった。ほとんど来なくなったのだ。その代わりに東北や関東の御客様が増えた。ところが、今年あたりから大阪・名古屋の御客様が増えて来だした。冷夏にもかかわらずである。

 で、不思議なことに気が付いた。

 大阪からくる人が増えているのに関西弁がとびかわないのである。静かなのである。昔は、関西人が5人いたら、20人くらいが会話しているくらいに賑やかだった。声も大きかったし、やたらと関西弁を強調していた。あらよるところで関西を主張していた。しかし、今年は、そういう御客様は皆無だった。お茶会や、送迎の時に

「どちらから来られましたか?」

と聞いてみても

「大阪です」
「奈良です」

という答えが返ってきた。昔なら大声で「関西や!」と言ったものであるが、そういう返答は一度も無かったような気がする。いったい何がおきたというのであろうか? 関西人特有の、あの関西イデオロギーというか、あの強烈な郷土愛は、どこにいったのだろうか?と、すこし不思議な気がした。で、大阪から来た御客様に聞いてみた。

「最近、関西弁を強調する関西人が減りましたね」
「私、そういうの嫌いなんです」
「はあ・・・・」

 そういえば、関西弁を強調する関西人を嫌う人も、関西には多いことを思い出した。確かに関西には、いろんな思想をもっている人が多いのだ。ひとくくりにする事はできない土地柄でもあるのだ。

 昔(30年前)、全国を放浪していた頃、広島球場で、広島巨人戦をみたことがあるが、観客の9割以上が広島ファンだった。そして、その後に甲子園球場にいったら阪神ファンは6割しかいなくて、けっこう巨人ファンが多くて驚いたことがある。広島と比べたばあい、関西は、かならずしも阪神一色ではなかったのである。そういうのを嫌う大阪人もおおかったのだ。

 これは広島に比べて郷土愛が少ないというのとは、すこし違うと思う。大阪には、そういう郷土愛ファシズムを嫌う人間が少なからずいるということなのではないかと思う。

 私の友人に、アンチ大阪の人がいた。「関西弁を強調する奴は大嫌いや」とよく言っていたが、そいつの言葉は完全無欠の関西弁だった。いや、岸和田弁というべきか。本人は、共通語を話しているつもりであるが、どう割り引いても岸和田弁にしか聞こえない。「ワシは東京が大好きなんじゃ」と言いながら千葉県にある東京ディズニーランドに行っていた。

「東京ディズニーランドって千葉だぞ」

と、教えたこともあるが

「神戸にある阪神が大阪なら、東京ディズニーランドも東京じゃ」

と、わけのわからぬ理屈で強弁していた。それを屁理屈に感じさせない魅力が彼の岸和田弁にはあった。

 また長い前置きを書いてしまった。
 ここから本題に入る。

 御客様に、こんな質問をいただいた。日本ユースホステル協会のブロック分けについての質問である。日本ユースホステル協会には、北海道・東北・関東・北信越・近畿・東海・中国・四国・九州沖縄の九つブロックがある。そして各ブロックにブロック長があって、それぞれが連携し合っている。で、質問の内容は、こうであった。

「なぜ関東は、関東ブロックなのに、関西は近畿ブロックなんですか?」

という質問だった。で、質問の主は、大声で大阪弁を話す人だった。そして東京を快く思ってない感じの人だった。なので質問してみた。

「御客さんは、近畿と関西、どっちが良いですか?」
「そりゃ関西や。わしらは関西人やから」

 なるほど。
 近畿人という言葉はあまり聞いたことが無い。
 しかし関西人という言葉はきく。
 と、同時にローカルさが臭い出す。

 関西と言う言葉を発する人の多くは、関西の特殊性を強調する。つまり「ローカルだあ!」と言っている。特殊性とは、ローカルと同義語なのだ。で、そういう人にかぎって「東京なんて田舎もんの集まりやんか」と言ってている。つまり「東京はグローバルだあ!」と言ってるのだ。田舎もんが集まれるというのは、グローバルと同義語なのだ。もし大阪が東京を超えるグローバル都市をねらうなら特殊性を強調してはいけないのだ。

 しかし、関西イデオロギーをもつ人は、その特殊性に命をかけているわけだから、どんどんローカル(特殊性)に突き進んでいくだろう。それが無くなってしまったら大阪は面白くなくなって死んでしまうと思う。全国が東京と同じになったら、それこそ面白くない。ローカル(特殊性)、大いにけっこうではないか。

 だから近畿ブロックの名称を関西ブロックに変更してもよいと思う。近畿と関西ではえらいちがうからだ。

 近畿とは、都会という意味である。畿は都という意味。近畿とは、都の近くという意味である。つまり都会(グローバル)という意味なのだ。そのグローバルを捨てて、関西というローカル名称を使うというのであれば、それはそれで大英断である。

 ちなみに関東という名称は、坂東からきている。日本武尊が碓氷の坂を通ったことから、坂の東を坂東とよんだ。もちろん関もつくられた。そこから関東という名称が産まれ、それに対応する名称として関西という言葉も生まれた。つまり関東も関西もローカルをあらわす表記なのだ。しかし、近畿という名称はちがう。都の近くという意味なのだ。そのへんのことを良く考えて、地元民が、関西か近畿かを決めれば良いと思うのだ。

つづく。

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posted by マネージャー at 22:56| Comment(13) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今いるペンションの人が関西の人なんですが、関西人である、という認識を持っています。お客さんに関西からの人がいると、関西弁で話せることが嬉しいみたいです。それを見ていて、私、関東人だと思ったことないなと気づきました。
そういえば、〇〇人って言葉を聞いたことがあるのは関西だけだなとも思ったのでした。

秘密のケンミンショーという番組があって、長崎と愛知育ちの両親を持つ、東京育ちの友達が言っていたのですが、あの番組を見ていて、両親が、そうそう、そうなんだよ!という思い入れの強い反応をしていたそうです。
でも、彼女にも、私にもそういうのはない。
どこのどんな情報を見ても、同じレベルで、へぇと思う。

それってちょっともったいないなと思ったりします。
Posted by まる at 2014年09月27日 17:16
>そういえば、〇〇人って言葉を聞いたことがあるのは関西だけだなとも思ったのでした。

実は、九州の一部では、九州人と言ったりします。
けれど、北部地域の一部ですね。
南九州では、言いませんね。
関西でも、一部の九州でも、ナショナリズムが強いんですよね。

その逆が名古屋圏。
かなり自虐意識がある。
東京にも一部自虐意識がある。
「名古屋は凄いんだ〜!」
と言ってる名古屋人なんかみたことありません。
しかしね、信長も秀吉も家康も名古屋圏の人なんだけれどなあ。
Posted by マネージャー at 2014年09月29日 15:29
九州人っていうのですね。九州男児なら聞いたことあるなぁ。
男の人を主張するのはここだけかもしれないですね。
〇〇美人とは聞きますが。

関西人、大阪人とはいうけれど、神戸人とか京都人とかは言わないですね。
そう思うと大阪の主張は強い!

そういえば、江戸っ子という言い方はありますね。でも東京生まれ・育ちでも、江戸っ子だと思ったことはないからなぁ。東京が江戸だったころの中心地で育ったらそう思うのでしょうかね。

名古屋圏。。。
世界のやまちゃんってネーミングを思い出します 笑
Posted by まる at 2014年09月29日 21:36
江戸っ子というのは、ローカルをあらわす表記なんですよ。
関西人と一緒ですね。
あと○○人というのもローカルぽいですね。
京都の人が、京都人と言わないのは、自らをグローバルと思っているからでしょうね。
東京の人が、東京人と言わないのと一緒ですね。


Posted by マネージャー at 2014年10月02日 00:58
多分、東京や京都がマネージャーさんのいう”グローバル”だと気づいているのは、むしろ東京や京都の人間ではない人たちだと思いますよ。
東京や京都が、”ローカル”ではないと気づいている人たちなんだと思います。

だって、最初からここが育った場所なので。

この感覚が基準で、私の弟なんかは地元好きなので、どちらかと言えばローカルを意識してるところさえ感じます。
最近引越しの多いともだちと話した時も、どこにいても、ホームは板橋って感覚があるんだよね、と言っています。実家があり、友達がいて、(彼女の場合は)職場もある。

だけど、他の県の人たちの感覚が、自分のこの基準の感覚とは違うことに気がついて、大人になって驚く。
関西人、にプライドを持つ感覚を不思議に思い、東京に憧れたりする感覚にへーと思い、対抗意識があるのか?という感覚になんでと思う。
Posted by まる at 2014年10月05日 00:04
その地がグローバルか、ローカルかという話しですが、
個々によって感じ方が違うかもしれませんね。

よーするに、特殊だと認識したらローカルなんですよ。
または、他人から特殊だと思われたらローカルなんです。
オレは特殊だと思ってもローカル。

つまり特殊性を主張すればするほどローカルになってしまう。
関西人が、自分の特殊性を主張すればするほどローカルになってしまう。
それが腹立たしいのも関西人の特徴です。

逆に言うと特徴がないのがグローバル。
東京は特殊な地域で無いと思ったらグローバル。
逆に、東京って、こんなに変なところだと主張すればローカルになるわけです。
さて、まるさんにとって、東京というのは、どんなところなんでしょうか?

これは下町に住むか、山の手に住むかで違ってくると思いますけれど。

Posted by マネージャー at 2014年10月06日 08:02
うーーーーーん。
板橋って言われたら、ものすごく一般的な場所だと思います。
東京って言われたら、特殊な場所だと考えます。

特殊だと思うのは他を知って比べてからで、頭で理解していることで、
だから大人になるまで特殊であるとは気付かなかったし、感覚的にはやはり一般的な場所だから、

だからやっぱり東京人とは思わないのでしょうね。

Posted by まる at 2014年10月06日 10:53
若い頃、それこそ、奥様と北海道を旅していた時に出会った、尾張小牧ナンバーの車に乗っていた青年たちと、ちょっと道中を一緒にしたことがありました。

彼らは、名古屋だ、と、言ってましたが、今から思えば、尾張小牧は、名古屋、含まれてないですよね。

でも、とても、名古屋に誇りをもっていたように記憶しています。
愛知県の人は、自虐であっても、やっぱり、地元愛が強いように思います。
そういう意味では、愛知県の人々って、ローカル意識あるのかな?と思います。

一方、そもそも、あの辺りの人は、実家住まいの人も多いと聞きます。
そういう意味では、愛知県の人々って、自分たちが、グローバルだと思っているのかも知れないですね。

どっちの割合が強いんだろうか?

ちなみに、私は、生まれは、東京台東区の今戸生まれですが、育ちは、埼玉県春日部市です。
春日部のベッドタウン育ちとしては、あんまり、地元愛というものはなく、一時言われた、「埼玉都民」的な感覚が強かったかもしれません。
その証拠に、子供の頃には、当然のようにあった、夏の町内会盆踊り祭りは、現在は、引き継ぐ人もいなくなって、かれこれ20年以上前から、中止になっているようです。
Posted by みわぼー at 2014年10月07日 22:49
まるさん

>東京人

千葉なのに東京ディズニーランドと言いますよね。あの「東京」はローカルな東京をさしているのでなく、グローバルな東京(=東京圏)をさしていますね。つまり「東京」は、東京圏の人間に共有されているわけです。逆に大阪や京都は、共有されていません。だから関西という言葉が必要になってくる。



みわぼーさん

名古屋人は、名古屋の特殊性を素直に認めていますね。しかし、それを外側に強調することはない。むしろ、ひた隠しにする傾向がある。出しても自虐ネタにする。自分達の特殊性を他人に強要をしないですね。この強要しない態度は、グローバルな姿勢なんですよね。ただし、彼らは、自虐で自らをローカルだと思い込んでいますから、そういう意味ではローカルですね。

さて、私も一時期は春日部に住んでいましたが、気分は埼玉都民でしたよ。だってまわりは職場が東京という人ばかりでしたから。それでも春日部には愛着がわきました。家賃が安くて環境が良かったので。それが郷土愛かといわれると困りますけれど。

で、春日部がローカルなのか?と考えたんですが、私が住んでいたところは新興住宅地なのでローカルぽくはないんですよ。17年住んでいた池袋の下町のほうが、よっぽどローカルぽかった。


Posted by マネージャー at 2014年10月09日 00:23
うーん。

今更ですけれど、要するに、地元外への価値に目が向いているのがグローバル。
地元内への価値に目が向いているのが、ローカル。

私が、学生時代に、東京台東区の今戸生まれで、浅草生まれと称してたら、本当に、浅草の花川戸生まれ育ちの男性に、さんざん、「今戸で浅草生まれを騙るな!」と、言われたことがありました。
彼なぞは、まさに、ローカル意識の強い人と言えますよね。

春日部、という土地柄は、とことん、地元意識が薄いな、と、思います。
新興住宅地だからこそ、なんでしょうね。
皆、地元よりも、外へ目が向いています。
私自身も、住んでいた当時は、だいたいの用件は、東京にありましたから、まさに、ベッドタウン。大学進学以降から、結婚して春日部を出るまで、まさに、眠りに帰る町でした。
だからこそ、盆踊り祭りも廃止された。
実家の近所を見てみても、もとから地元に住んでいた方は、亡くなったり、移転したりで、もはや、ほとんどいらっしゃらない。
もとから地元に住んでいた方の方が、少なくなり、ほぼ9割くらいは、私の実家のような外様です。

そんな私の実家ですら、もう30年ですから、周囲の家々から見れば、中堅、もしくは、古株に差し掛かりつつあります。

ところで、私の現在住んでいる、東京都町田市。
町田市の中でも、郊外に住んでいるせいか、昔からの地主さんの一族があちこち点在しています。
我が家の辺りは、Nさんという苗字が多く点在していて、恐らく、この地域に分家して住まわれているのでしょう。
地区ごとに、そういう同じ苗字の家が多く、最寄駅の地区には、Kさん、隣の地区は、Sさん、隣町の娘の掛かりつけ医のMさんにいたっては、自由民権運動の闘士で、昭和初期に、衆議院議長も務めた人物のご子孫で、その医院の近所に同姓のMさんが点在されています。
そんな感じだからか、この地には、「どんど焼き」の風習が遺されていて、町内会の人々や、老人会の人々、そして、小学校PTAも巻き込んで、その行事が守られています。
この地域も新興住宅地ではありますが、未だ、古くからの地元の一族が根を張っていて、地域の行事を守り続けています。
そういう意味では、春日部よりも、東京都下でありながら、ここもまた、ローカルだな、と、気付かされました。
Posted by みわぼー at 2014年10月12日 00:01
ローカル=文化(特徴的)
グローバル=文明(普遍的)

なんですよね。このあたりの事が関西人にはわかりにくいのです。例をあげると司馬遼太郎。彼も分かって無くて、歴史家の謝世輝さんに、ついうっかり

「日本人は、中国の文字を使っているから中国人に感謝しなければ」

とトンチンカンなことを言ってしまって謝世輝さんに怒られている。

謝世輝
「漢字は文明です。文明は共有されるから文明であって、これが中国人にしか使えないとなったら文化になってしまう。それは中国を祖先に持つ人たちにとって耐えがたい。多国間で共有されて文明となったら、漢字は一国の所有物では無い。それが文明というものである。だから中国人に感謝というのは筋違い」

謝世輝さんは、ローカルとグローバルの違いがよくわかっていたという感じです。しかし、司馬遼太郎は、よくわかってなかった。それどころか漢字や黄河文明をローカルとおもっていたふしがある。ある意味、司馬遼太郎は、黄河文明を見下していた可能性がある。もちろん、本人には、そんな気はさらさら無いんですけれど。

この感覚は、時代が上がって聖徳太子の頃も同じような感覚があった可能性がありますね。だから「日出ずる天子から日没する天子へ」なんて手紙を書いた可能性がある。

さて、東京の話しですが、東京は江戸時代からローカルとグローバルの2本立てでしたね。町人街はローカル。武家屋敷はグローバル。春日部は地方から参勤交代(上京)でやってきた現代の武家屋敷かも。

Posted by マネージャー at 2014年10月13日 23:53
>ローカル=文化(特徴的)
グローバル=文明(普遍的)

 なるほど!
 ありがとうございます!
 目から鱗がとれました。

 文化と文明の違いなのですね!
Posted by みわぼー at 2014年10月15日 15:56
もっというと

ローカル=文化(特徴的)=お国自慢
グローバル=文明(普遍的)=田舎もんの集まりの最大公約数

ですよね。


Posted by マネージャー at 2014年10月15日 23:37
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