2014年10月06日

太陽光発電と武田信玄

 今年は、紅葉が早かった。
 そこに台風がきたものだから凄いことになった。

 今日の正午頃に台風一過となの晴天になったために、
 息子を連れて散歩にでかけたのだが、外に出てみて驚いた。
 庭中、栗だらけなのだ。

 昔は、栗を拾って栗御飯を炊いたこともあったが、今は落ちている栗を放置している。山栗は小さすぎてむきづらいからだ。だから栗御飯を作るときは、市販の大きな栗を買ってきてそれを3分だけゆでて、それを剥いている。それを冷凍保存して、御客さんが多い時の朝ご飯に出すのである。今年は、すでに4回くらい作った。まだ、あと3回くらい分の栗の在庫は残っている。なので、庭に落ちた山栗は、放置したままである。そういう状態のままであるから出入りの業者さんたちが「栗を拾わないんですか?」と聞いてくる。

「うん拾わない」
「じゃ、私が拾ってもいいですか?」
「ああ、いくらでも持って行って!」

 出入りの業者さんたちは、毎年、大喜びで持って行く。

「北軽井沢ブルーベリーYGHさんところの山栗は、他の山栗よりも大きくて甘いんですよね」
「へえー、そうなの?」
「拾わないのはもったいないですよ」
「いや、秋は他に仕事があって忙しいんだよね。栗なんか拾ってる暇ないのよ」
「へえー、そういうものですかね」

 正直言って、自分が拾うより、嬉々として業者さんや御客さんが拾って帰って行くのをみている方が楽しい。栗の木の無い家の人にとって、栗は貴重品かもしれないが、私にとって栗の木は、あまり嬉しくない樹である。まず花粉が凄い。落ち葉も多い。イガも多くて歩きにくくなる。クワガタなどの昆虫も多いために、こいつらが夏に網戸を破壊する。本当に根こそぎ切ってやりたいと思っているが、自然保護の観点から残している。

 長い前置きは、ここまでとして、本題に入る。
 最近、御客さんと太陽光発電の話になった。
 
 脱原発派の御客さんがいて、太陽光発電の素晴らしさを信じて疑わない人が居たので、これは少し、太陽光発電について書いておかなければならないなと思った。

 実は、北軽井沢や嬬恋村には、発電所が大量にある。
 もちろん太陽光発電である。
 最初は、廃れたテニスコートが太陽光発電所になった。
 次に御客さんの少ないゴルフ場が、太陽光発電所になった。
 私は
「土地の有効利用がすすんでいるな、よしよし!」
と好意的な目でみていた。

 しかし、それらがあらかた太陽光発電所になると
 次は農地や牧場が太陽光発電所になった。

 ここまではよかった。

 次におきたことは、北軽井沢の山々が、嬬恋村の森が次々と伐採されはじめたことである。それまで美しい紅葉にウットリしていた場所が、全て伐採されて丸坊主になってしまった。もちろん栗の木も次々と切られていった。太陽光発電所のためである。その面積は、かなりのものなのだ。
 
 浅間山に登るとよくわかる。嬬恋の森の中に湖みたいな物が、点々と見えるようになったが、望遠鏡でのぞいてみると、それらは太陽光発電所なのである。あきらかに太陽光発電は浅間山麓の環境を破壊しつつある。

 誤解して欲しくないのだが私は、太陽光発電が悪いというのではない。仕方ないことだと思っている。しかし、太陽光発電を絶賛する気にはなれない。光あるところ影がある。太陽光発電の裏にも闇はあるといいたいのだ。手放しで太陽光発電を絶賛する気にはなれないのだ。ものごとには、必ず裏というものがある。

 「裏」と言えば、最近続く異常気象も気になる。

 なぜ異常気象が続くか?という科学的な問いかけは、私も詳しくは無いので置いといて、このような異常気象は、過去の日本史においても何度か存在している。一番有名なのが戦国時代である。

 今年の2月に甲府で気象台はじまっていらいの大雪が降ったわけだが、それでも1メートル10センチくらいだったと記憶している。しかし、戦国時代では、4月に1メール50センチ降っているのだ。で、翌年に全く降らなかったりしたのだ。つまり、現代の状況と非常に良く似ている。というか、現在よりも酷いのである。

 では、その甲府で、山梨県で何がおきたかというと、2年連続で領民が壊滅状態になるほどの自然災害がおきている。で、その結果、何がおきたかというと、武田家の内紛が起きている。家臣が武田信虎を追放して武田信玄が領主になっている。歴史書には何も書かれてないが、自然災害と武田家のお家騒動には、絶対に因果関係があるはずなのだ。

 何が言いたいかというと、自然災害が、世の中を大きく変えうることもあるという可能性を言っている。太陽光発電所などは、その一つであって、それが今後の日本史にどんな影響を与えるか、ちょっと興味深いところでもある。 

つづく。

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posted by マネージャー at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
武田贔屓の私でも、初耳です。江戸幕府は、安政の大地震が滅亡の一因と聞いてます。
Posted by 坂東旅人 水戸義烈 at 2014年10月17日 20:37
初期の武田は、飢えた農民たちの略奪集団というイメージですね。

逆に上杉は、貿易商人ですよ。現に上杉謙信は、越後を完全に統一してないですよね。直江津のあたりを中心とした小さな軍団だけで武田を苦しめていますが、それも経済が豊で、飢えの心配がなかったからだと思っています。


Posted by マネージャー at 2014年10月19日 15:03
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