この砥石城は、その戦術のうえにつくられている。
山の稜線を延々と城が続いている。
機動防御とは、土地や城にこだわらずにドンドン撤退して戦う戦法である。第二次大戦中のドイツ軍が得意とした戦法で、ドイツ軍は、しばしばソ連軍を機動防御で破った。にもかかわらず、最終的にドイツが負けたのは、ヒトラーが撤退を認めなくなってしまい、得意の機動防御が使えなくなったからである。天才将軍マインシュタインは、ドイツを負かしたのはソ連軍では無くヒトラーであると言っている。
機動防御の本質は、土地の取り合いでは無く、敵を痛めつけることにある。
だから、どんどん撤退して敵の犠牲を大きくする。
で、味方は無傷のまま撤退する。
これをつづけて敵の戦意を失わせるのが目的なのだ。
第一次真田合戦も、第二次真田合戦も、その戦術で徳川軍を敗退させている。
砥石城は、その機動防御にそってつくられている。
いかにも真田の城らしい。
ちなみに戦国時代、敵が攻めてきたら農民は、どうしたか?
山に逃げている。
立て篭もる山城ではない山に逃げている。
もちろん、食料もそこにかくしている。
つまり、山城は、いくつもあったのである。
あと、山以外にも逃げている。
寺社である。
寺社は、戦国武将にとって治外法権の場所だった。
つまり寺社領の山に逃げれば生き延びられた。
そこから山伏となって、全国に散っていくのが真田軍団たちである。
突然、人間が消えてしまうのだ。
これでは敵方は、真田を制圧できない。
真田だけではない。
そういう領主は全国どこにでも居た。
だから天下統一なんか誰も出来ないと思っていた。
ところが、織田信長は、伊賀攻めで、治外法権の寺社まで殲滅を行った。
こんなことをしたのは、後にも先にも信長しかいない。
つまり地方領主を制圧して天下統一するには、信長のような人間にしか出来ない技であった。
では、なぜ徳川は、真田を一度も敗れなかったのか?
機会があったら、この続きを書く。
つづく。
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