2014年12月11日

ドラえもんと息子

 世の中には、ステレオタイプというものが横行している。例えば関西人は面白いというステレオタイプであるが、何人かの関西人の人をヘルパーに雇った結果、関西人全員が面白いとは限らないことがわかった。関西にも、ねぐらな人間や、口数の少ない人がいるのである。当然といえば当然である。しかし、どういうわけか、この当たり前のことが、私にはわかってなかった。関西人は、全員ギャグを言うのだとばかり思っていたが、実際はそういう事はなかった。関西人にだって、ギャグを言えない恥ずかしがり屋さんは少なからずいたのである。

 関西の話題が出たところで、京都人に対するステレオタイプに誤解していた事をここで白状しよう。そもそも私は、京都に恨みも何もない。だいたい京都と、あまり接点がない。だから京都の事はよく知らないのだ。しかし、いろんな人から京都の人間に対してある種のステレオタイプを聞かされていて、 1種の偏見を持っていた。その偏見というのは、ご想像の通り、京都人に対する悪口である。京都の人間は、裏表があるとか、影で悪口を言われてしまうとか、他人を寄せ付けないとか、よそ者排除するとかである。

 実際のところは、わからない。それらは本当なのかもしれないし、嘘なのかもしれない。ある地域の人にとっては、真実なのであろう。また、そういう体験をした人も多かったのかもしれない。火のない所には煙が立たないともいう。

 しかしである。こと私の15年にわたる宿屋の経験を語る限りにおいては、全くそういう事は無い。京都の人たちは、礼儀正しく、気遣いがあり、良い人達ばかりだった。 15年間宿をやっていて、京都の人に対して、悪いイメージを持ったことがない。少なくとも私の体験は、京都に対するステレオタイプには当てはまらない。むしろ良い印象ばかりが残っている。温厚で、大人びていて、礼儀正しく、物腰が柔らかい人たちばかりであった。

 そう言って、他のお客さんに、私が京都に対する印象を語ると、それは騙されてるんですよと言われてしまう。私は笑ってしまう。騙されるも何も、私を騙して何の得があるというのだろうか? たとえ裏表があったにしても、それが私に伝わらなければ、騙したことにはならない。いや、温厚で、大人びていて、礼儀正しく、物腰が柔らかいことが騙していることになるとしたら、サービス業の人々は、みんなお客さんを騙していることになる。そんな訳はない。相手に不愉快を与えないのは、社会の常識だ。多分京都の人たちは、変なステレオタイプの印象に誤解されているのではないだろうか? 

 思えば、 15年間宿屋をやっていくうちに、いろいろなステレオタイプのうわさが、根拠のない間違いが多いことに気がついた。大半が都市伝説であったと思う。しかし、すべてが間違いというわけでもなかった。中にはステレオタイプの人たちもいるが、まぁそれは、人それぞれということだろう。

 さて、ここから本題に入ろうと思う。
 典型的なテレオタイプの話である。
 ドラえもんのことに触れたい。

 アニメのドラえもんは、究極のステレオタイプの人間関係を私たちに見せてくれている。人間のパターンを、何種類かに分けて見せてくれたのだ。それは、ジャイアン、スネ夫、静香ちゃん、のび太。この4つのパターンは、究極のステレオタイプである。まず乱暴者といえば、すぐにジャイアンを思い出す。それにとりいって弱い者いじめをする奴といえば、すぐにスネ夫を思い出す。あと優しい女の子といえば、静香ちゃんを思い出す。

 ところで、息子が1歳8ヶ月となり、児童館のイベントなどに参加するようになった。イベントには、大勢の1歳児が来ていた。何回かイベントに参加している1歳児たちは、慣れたもので、保母さんの紙芝居や、工作にどんどん加わっていく。うちの息子は、私たちの仕事の関係上、こういうイベントにあまり参加できなかったので、他のお子さんたちに比べて、いつもワンテンポ遅れてしまう。要するに、競争に負けてしまうのだ。

 それでも、部屋の隅に転がっている小さなおもちゃを見つけて、それで遊び出すと、ジャイアンみたいな他の1歳児がやってきて、取り上げてしまったりする。うちの息子は、呆然と見ているだけである。ジャイアンは、息子をこずいたりもしている。それに対しても息子は呆然とするだけである。何がなんだか、何が起きたのか分からないという感じである。要するに、のび太になっているのだ。

 これは仕方がないことだ。うちの息子が、こういうイベントに参加する機会を持ってないので、どうしようもないのだ。息子が、少しずつ人間に慣れていくことによって、自分で対処法を見つけるしかない。でないと、本当にのび太になってしまう。

 そもそものび太は、なぜのび太になってしまったかと言うと、ドラえもんがいたからである。ドラえもんがのび太を作っているのだ。ドラえもんが助けるから、のび太はどんどんドラえもんに依存していき、ダメ人間となっていくのだ。怖いのはここだ。親の私たちは、知らず知らずのうちにドラえもんになることがある。つまり余計な手助けしてしまうかもしれない。だが、それではダメなのだ。漫画のドラえもんを読んで育った親たちは、それをみんな知っている。だから誰も手助けをしない。

 ドラえもんに書かれてある事は、ステレオタイプの登場人物が、お約束のストーリーを展開させて、そしてのび太はどんどんのび太になっていく。つまりダメ人間になっていくという話だ。それはもう陳腐なストーリーばかりだが、それを知っているだけで、親として何をなすべきかが、頭の中に刷り込まれているから不思議である。

 結局、嫁さんと話しあった結果、月に1回か2回、 3時間くらい保育所あたりに預けてみることにすることにした。息子は、マイナス10度の雪山にも上るし、犬と一緒に浅間牧場を駆け回るし、牛やヤギとも遊ぶし、自然環境の中では無敵なのだが、人間とのお付き合いが、まだ上手では無い。別に今のままでも構わないのだが、少しだけ人間社会に入れてみることにしてみようと思う。

つづく。

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posted by マネージャー at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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