2015年03月04日

なぜか川島和子のスキャットを聴きたくなった

 歳をとると数字が分からなくなる。具体的に言うと、今日が何日なのかがわからない。自分が何歳なのかもわからない。もちろん時計やケータイを見れば今日が何日か分かるし、計算すれば自分が何歳ともわかる。しかし、そんなめんどくさい事に興味がなくなってしまうのだ。現に今年が、平成何年なのか、ついさっきまで知りもしなかった。いや厳密に言うと、ぼんやりとは知っていたのだろうけれど、あまり気にならなかったのだろう。しかし、もうすぐ税務署に申告するにあたって、今年が平成何年なのかが、目の前にどーんと見えてきた。なんと今年は平成27年なのだ。元号が昭和から平成になって27年も経ってしまったのだ。

 驚いてしまった。
 27年である。

 27年といえば、戦争が終わってから27年経った昭和47年に、うちの嫁さんが生まれている。つまりうちの嫁さんが生まれた27年前、日本は焼け野原だった。広島と長崎には原爆も落ちているのである。その27年後にうちの嫁さんが生まれている。そのぐらいの期間が、昭和から平成になって過ぎているのだ。

 そう思うと無性に川島和子のスキャットを聴きたくなってしまった。川島和子といっても、かなりのアニメオタクでもない限りその名を知る人は居ないだろう。しかし、この人の声は人間国宝にしても良いと思っている。由紀さおりと川島和子のスキャットは、日本が世界に誇れる芸術作品だと思ってる。騙されたと思って、ちょっと聞いて欲しい。今は誰でも簡単にYouTubeで聞けるので聴いてみてほしい。



 YouTubeをご覧になった方ならば、ご存知かと思うが、宇宙戦艦ヤマトのop曲である。この作品は昭和49年にできた作品で、私はリアルタイムで見ていた。そして衝撃を受けた。 YouTubeの画像を見てもわかる通り、まず地球が焦土となっていた。海の水は蒸発して、放射能に汚染されて、あと1年で人類が滅亡するというそういう設定のアニメだった。こういうアニメは当時なかったのだ。だから衝撃を受けた。この衝撃は、現代人にはちょっと分かりづらいかもしれない。なにしろ戦争が終わってから29年しか経ってなかったのだ。たった29年前に、日本中が焼け野原になった。そういう時代背景があったのだ。29年が長いと感じられる人がいるかもしれないが、今年が平成27年であることを考えてみてほしい。 29年は決して長くないのだ。

 ちなみに私は戦争が終わって16年後に生まれている。

私が小学校の時に、よく行くおもちゃ屋さんがあった。そこで皆と駄菓子を食べて遊んだものだったのだが、そのおもちゃ屋さんのご主人が、空母瑞鶴の乗員だったのだ。だからそこで軍艦のプラモデルを買うと、そこの親父さんが昔の海軍の話をよくしてくれた。それがまた面白くて、それが聞きたくて、安いプラモデルをよく買ったものである。

 中学校の時の社会の○田先生は、特攻隊の生き残りだった。この先生からは、戦争の事は何一つ聞き出せなかったが、いつもバカっぽい話ばかりするこの先生が大好きだった。そういう人たちが周りにゴロゴロといる環境の中で、宇宙戦艦ヤマトは放映されたのである。

 オープニングの川島和子のスキャットと廃墟になってしまった地球を見た瞬間、これは太平洋戦争のパロディーだとすぐわかった。あれは終戦間際の日本の姿だった。そう思わざるを得なかった。そしてアニメのほうも本編が進むにつれて、太平洋戦争の逆パロディが次々と再現されていった。戦史を知っていたら誰でも簡単にわかるようにできていた。ただ残念なことに、あまりの低視聴率のために、半分で打ち切られてしまった。宇宙戦艦ヤマトの人気が出るのは、それから数年後の再放送の時からである。昭和49年の時点では、裏番組のアルプスの少女ハイジに完全に負けていた。宇宙戦艦ヤマトを見ていたのはほんの少数だったと思う。を

 しかしである。じわりじわりと後で人気が出てきたのだ。特にレコードが売れた。もちろん川島和子のスキャットも話題となった。この曲を作った宮川さんは、白鳥の湖のop曲のようなイメージでのスキャットを入れたらしい。そう言われてみれば、なんとなく似ているが、白鳥の湖よりも、もっともっと悲劇的な感じがするのは、そこに、いちど焼け野原になった日本を見ているものの凄みを感じるのだ。



 宮川さんは、このヤマトで名をなしたといってもいいかもしれない。それ以前の曲と全く違うからだ。それ以前は流行歌やクレージーキャッツのあっと驚くタメ五郎あたりを作曲していたのである。あまりの違いに驚き呆れるしかないのだが、私は宮川さんのライフワークはヤマトだと思っている。

ちなみにヤマトの主題歌を歌ってる佐々木さんのお母さんを私は個人的に知っている。何度も一緒に食事をしている。彼女は日本で数少ない女性起業家として有名な方であるのだが、なぜかテレビには出てこないので、いちど本人に聞いてみたことがあるのだが、息子と私は別ですと言っていた。息子関連で、マスコミには出たくない人だったらしい。今生きていれば、かなりのおとしのはずだが、どうしているものやら。私は最後にお会いしたのは、今から20年前だったが、その頃せっせとシナリオ書いていたけれど、今も書いておられるのだろうか?

話が飛んだので、もう一度話を戻す。

中学生の頃、私は、小遣いを叩いて宮川さんの宇宙戦艦ヤマト交響曲のテープを買った。そして川島和子のスキャットを何度も繰り返して聴いたものだ。しかし残念ながら、まだアニメブームはやってきてなかった。それが訪れるのはその数年後のことである。ちょうど私が高校生になった頃だった。

やっと宇宙戦艦ヤマトブームが起きた時、さぁこれから宇宙戦艦ヤマトの話ができるなぁと思っていたら、新しいファンたちと会話が合わなくて困ってしまった。新しいファンたちは、戦史を全く知らないのだ。いわゆる純粋なアニメファンだったと思う。声優人気もその頃から始まったと思う。だから全く土台が違っていた。なので、私は宇宙戦艦ヤマトは、第1期しか見てない。続編以降は、全く見てなかったりする。続編以降は、あれはまったく別の物語なのだ。あれを宇宙戦艦ヤマトだとは私は思っていない。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この長尺動画の音声だけ引っこ抜いてiPhoneに入れてます。YouTubeは色々と珍しい音源があるので助かります。
Posted by khasi at 2015年03月05日 01:19
あ、同志がいましたね。本当にYouTubeは素晴らしいですね。音源や映像を辞典のように引き出せるので、本当にすごいと思います。文字ではなく、音源や映像を引き出すというのがすごいですね。そういう意味では、辞典を超えたスーパーメディアかもしれません。
Posted by マネージャー at 2015年03月05日 21:16
年がわからない、数字がわからないことに共感してしまいました;;
最近、時間の長さを軽んじている自分がいます。

一ヶ月は旅としては長いと思っていたのに、一ヶ月くらいは時間がないと旅しようとは思えなくなっている。
一年って長いと思っていたのに、今は短いと感じる。
一年なら、と軽く考えて何かをやってみるうちに、いつの間にか一年の積み重ねで何年も経っている。

そう感じていたころに、数年前、美輪明宏さんのヨイトマケの唄が紅白で流れました。
それで、びっくりしたんですよね。たったの50年で、焼け野原だった日本を今の日本にしてきたんだってことのすごさに。

一年を、一ヶ月を、一週間を、一日を、一時間でも、
たったの○○と軽んじて過ごしていては、この変化はない。
時間を大切に生きていけば、私が死ぬまでに、焼け野原から今の日本に変わるくらいの変化はありうるんだと思い、とても動かされたのを覚えています。
Posted by まる at 2015年03月07日 01:24
そうですね。時間というのは本当に短いですね。私が子供の頃、私りずっと年上だと思ってた先生がいました。しかしその先生は、今思えば、大して年上ではないんですよね。私が10歳の時に22歳でしたから、たった12歳年をとっているだけです。つまり、今なら64歳です。 64歳のお客様なら、毎日のように泊まりに来られます。そして宿のお茶会で世間話をしていますが、私よりずっと年上という感じはしません。むしろ同世代という感じです。少なくとも20歳前後の若者よりも話が通じます。だけど私が小学校3年生のときには、ものすごい大人のような気がしていました。年月というのは、そういう感覚を変えてしまうものらしいです。

その理由も、大人になってからわかってきました。 3歳の子どもにとっての1年は人生の3分の1です。けれど60歳にとっての1年は人生の60分の1なんですね。同じ1年でも、 3分の1の場合と、 60分の1の場合では、長さが違ってきますよね。子供の頃の1年は、長いけれど大人にとっての1年は本当に短いです。
Posted by マネージャー at 2015年03月10日 03:54
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