みわぼーさん、レスを書こうと思ったら長くて書ききれなかったので本文に書きました。
>お陰様で、昨夏、岸田家の別荘、拝見できました!
そういえばそうでしたね。去年家に泊まりに来た時に、ゼンリンの地図を渡して解説していましたっけ。すっかり忘れていました。北軽井沢の大学村は、解説がなければ何の変哲もない別荘地なのですが、解説さえあれば、ものすごく興味深いところなんですよね。あそこから幾人もの人材が生まれた理由がわかるような気がします。
>いやはや、めぐり合わせとは不思議なものです。
本当にそうですね。私も新劇を研究するとは思っても見なかったです。実は私の友人には劇団関係者がたくさんいて、ギリでチケットを買う羽目が多く、年間に何十回も変な劇を見させられることが多かったものですから、一時期うんざりしていたことも多かったです。だからチケットだけ買って見に行かないことも多かったんですが、そうすると相手が怒ってしまうので、めんどくさいなぁと思いつつも花束を持って出かけたものです。今から思えば芝居が終わった後に、何人も知り合いが花束を持って見に来ているのが、ステータスだったんでしょうね。そんな自分が、ユースホステルの歴史を勉強するために、今では新劇の勉強してるわけですから世の中というのは不思議なものです。
実は、最近歌舞伎とか浄瑠璃とかに非常に興味がありまして、これが見たくて見たくてたまりません。というのも新劇を研究する上で、歌舞伎と浄瑠璃は絶対に欠かせないものなのですね。もちろん謡いや三味線なんかも避けて通れません。これを無視すると新劇の研究は全く分からなくなり不毛なものになりますね。幸い最近は、 YouTubeと言う非常に便利なものもありますので、おおよそどんなものかがわかるのがありがたいです。しかし、実物が見たい。いちどでいいから歌舞伎座に行ってみたい。
考えてみたら、私が贔屓にしていた俳優というのは、もともと歌舞伎役者だった人間が多かったです。遠山の金さんで有名な中村梅之助とか、その息子さんは歌舞伎役者でした。中村系統の役者で言えば、中村玉緒とか万屋錦之介なんてのもいますね。
市川海老蔵といえば、今の人にとっては、あの暴力事件の市川海老蔵なんでしょうが、私にとっての市川海老蔵は、そのお父さんです。そのお父さんが、昔、市川海老蔵と言う名前で宮本武蔵の主役をやっていました。私はそのドラマに感動して、佐渡島の山で山籠もりをして木刀を作ったり、剣道部を作ったりしたものです。
それはともかくとして、歌舞伎役者として超有名人の中に、新劇関係とユースホステル関係に深く関わった人がいます。 2代目市川猿之助です。この人は、日本の新劇に多大なる貢献をした人でもありますが、映画俳優としても有名で、のちに日本ユースホステル協会を設立する中山正男の映画『続馬喰一代』の主役を演じているからです。
ちなみに彼は、明治42年に二代目市川左團次の主宰する自由劇場に参加。その後欧米に留学して最新の舞台芸術を学び大正九年には春秋座を主宰。その後は二代目左團次一座に入り、大活躍します。水谷八重子などとも共演しています。
その孫がスーパー歌舞伎で有名な3代目猿之助ですが、元宝塚歌劇団で女優の浜木綿子と結婚してすぐに離婚しています。その時に生まれたのが『半沢直樹』や『ルーズベルトゲーム』や『流星ワゴン』で素晴らしい演技をしている香川照之です。実は日曜劇場『流星ワゴン』の香川照之は大好きでして、嫁さんと息子と一緒に見ています。香川照之は、ものすごいいい演技をしていますよ。香川照之は、いい役者ですね。
>それから、戸板女子! そうですよね。
>戸板先生の一族の方が運営されていたんですね!
本来は山口という名前だったのですが、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となっています。その戸板裁縫女学校に松井須磨子が、入学していました。
>坪内逍遥の文芸協会から派生した芸術座の島村抱月・松井須磨子があり、
>ドイツ表現主義の演劇を上演した築地小劇場の小山内薫、土方与志、それから、
私は劇芸術を本格的に勉強しないのでドイツとかロシアとかイギリスとかの影響については、よくわからないのですが、文芸協会は素人を役者にすることに心血を注いでいます。したがって演技の勉強だけではなくて、一般教養とか英語を非常によく勉強してるわけです。小山内薫は、その逆なんですね。歌舞伎役者を素人にしようとした。歌舞伎役者はご存知の通り一般教養なんてものがないわけです。伝統的な修行の積み重ねの上に成り立っているわけです。これを壊そうとした。この辺が面白いのですが、話が長くなるので今日はここまでということでご勘弁を。
つづく。
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家が裕福ではないし、育英会奨学金の借金もあるし、卒論に取り組んでみて、大学院に進学したいな、という、おぼろげな思いを打ち消して、就職を選んだ日を、思い出しました。
マネージャーさんのコメントの数々から、劇芸術に関するさまざまな研究テーマが隠れていて、興味深くを思いました。
これを、宿業のお仕事の時間と育児の合間の時間で調べていらっしゃるのだから、頭が下がります。
しかも、マネージャーさんの本来の研究テーマは、日本YH史なのに!
新劇、と一口に言いますが、ご理解の通り、多様な動機と試みにおいて、成立したものなので、系統は、時代の流れもありますけれど、新劇にもさまざまあります。
特に、明治・大正期は、インテリが海外からの劇芸術の手法を研究して、それを日本でもやってみよう!という試行錯誤の時代と言えます。
新劇に対して、旧劇が、いわゆる、歌舞伎、文楽、能といった日本で昔から続いてきた芸能です。特に、歌舞伎、ですよね。
シェークスピア翻訳から、西洋の新しい劇を学生、やがて素人を役者にしようと試みた、坪内逍遥や、島村抱月、それから、東儀鉄笛がいた文芸協会。
いわゆる旧劇から新しい潮流を生もうとした、小山内薫と二代目市川左團次の自由劇場。
この2つの新劇の潮流は興味深いですよね。
私の恩師である、亡き藤木宏幸先生が書いていそうな気がしましたが、残念ながら、論文タイトルは分かりますが、タイトルからだけでは、このことに言及したものかどうか、分からないですね(^_^;)
藤木先生は、近代演劇(特にイプセン。文芸協会にも造詣がおありのはず)がご専門ですから(ゆえに、私の岸田國士に関する卒論の指導教官だったんですが)、期待したいところです。
あとは、東西の比較演劇がご専門ではありますが、歌舞伎の評論もお書きになっていて、近年お亡くなりになった、河竹登志雄先生も、この辺りのことで書き残していらっしゃるかも知れませんね。
河竹先生のお父様の河竹繁俊先生も何か書き残されているかも。
恐らく、マネージャーさんのことだから、もう、それらの文献も入手されていそうですよね…。
余談ですが、歌舞伎が、現代劇とコミットしようとしていたという話については、先年亡くなった、十八代目中村勘三郎を思い出します。
十八代目勘三郎は、勘九郎時代から、野田秀樹、串田和美と親交を深め、さらに、宮藤勘九郎にも歌舞伎の作品を書かせていました。
勘三郎亡きあと、こうした動きをする人は、しばらくは出てこないのかなぁ、と、ちょっと淋しく思います。
そういえば、「和物趣味」といって、30代〜40代の職業人として生活している女性の間で、歌舞伎観劇、文楽(人形浄瑠璃)観劇をする趣味の人が増えているそうです。
まだまだ、歌舞伎や、文楽の観劇に行けるようなゆとりがありませんが、若い、劇芸術専攻していた学生の自分は、「古典芸能なんて古臭いや」と思っていた生意気な学生でしたが、今なら、観に行きたいなぁ、と思えます。
あの当時は、確か、レポートの関係で、歌舞伎は「毛抜」(高校生向けの歌舞伎教室の公演を観たはず)、文楽が「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」を観た記憶があります。どちらも、観てみると面白かった印象があるんですけどね。