映画芸術を学ぶものは、まず最初にソ連の映画監督であるプドフキンから始まる。そして次にエイゼンシュタインを学ぶことになる。理由は、プドフキンが世界で初めて映画の文法を発見し、エイゼンシュタインがそれを完成させたからである。
映画というものが世界に登場した時、そこに人間の言語と同じような文法があると思った。ちなみに当時映画には音声はなかった。音がなくて映像だけだった。映像のカットを組み合わせることによって、新しい言語ができるのではないかと考えられたのだ。これをモンタージュ理論という。
例えば何か考えている人がいるとする。その次のカットに死体を組み合わせれば、殺人を考えてるように見える。死体の代わりにご馳走を持ってくれば、お腹が空いた人のように見えてしまう。つまりカットとカットを組み痩せることによって、新しい意味を作ることができる。これがモンタージュ理論である。
そしてこのモンタージュ理論は、革命が成立したソ連において生まれた。そしてそのモンタージュ理論の究極の完成形が大正14年に制作された戦艦ポチョムキンである。この戦艦ポチョムキンを見ると、誰もが社会主義に目覚めてしまうというメッセージ性を持った映画であった。しかも、その映画には俳優がいなかった。その辺にいる一般市民を使って戦艦ポチョムキンを作り、世界中の国家が上映禁止にしなければならなくなるほどの最高傑作が出来上がったのである。1本の映画が世界中に革命を起こしかねないほどの強烈なメッセージ性を持つ映画を作ってしまったのである。
もちろん世界中の映画監督にも衝撃を与え、ヒッチコックなどの監督にも影響を与えた。もちろん日本でも同じである。多くの映画青年たちは、モンタージュ理論と戦艦ポチョムキンに熱狂した。私もその1人である。ところで、映画理論にはもう一つの流れがある。フォトジェニック理論である。これはモンタージュ理論と正反対の理論であるが、ここでは述べない。
モンタージュ理論の特色は、役者さえも小道具にしてしまうところである。大切なのはメッセージであって、役者はそのメッセージを伝える単なる小道具として使われることが多い。だからエイゼンシュタインは、プロの俳優ではなく一般市民たちを採用することが多かった。にもかかわらず、プロの役者たちよりも一般市民の方が輝いていた。その輝きは、役者の演技力によるものではなく、巧みなカット割りによるものであった。それは後のヒッチコックなどにも影響を与えている。
ではこのモンタージュ理論の究極の反対側に何があったかというと、ドイツ表現主義である。映画で言うとカリガリ博士などが該当する。
古くから西欧では、写実にデッサンすることを目標としていた。とことんリアルに近づこうとしていたのだ。ところが写真機や映画が発明されると、絵画においてリアルに描くことの意味を失ってしまった。そこで生まれたのが表現主義である。
表現主義を大雑把に言うと、リアルさを無視して感情に訴えかけて作る芸術である。メッセージよりも感情に訴えかける表現方法である。
さて、長い前置きはここまでとして歌舞伎の話をしたい。大雑把に言って歌舞伎は、モンタージュ理論の戦艦ポチョムキンと全く違う時空にある。どちらかというとドイツ表現主義のカリガリ博士に近い。歌舞伎を見に来るお客さんたちは、ストーリーやメッセージを求めてない。歌舞伎役者の表現(演技)を見に来るのだ。弁当食べながら、酒を飲みながら、役者の表現をている。
そもそも歌舞伎は、ストーリーの全てを演じない。
すべてではなくて、盛り上がるところ、
つまりクライマックスのいくつかを演じるのだ。
大雑把に言うと、映画の予告編の規模の大きいものをいくつか見ているようなものなのだ。
しかも、お客さんは、あらかじめストーリーを知っている。
結末を知っているのに見に来る。
というか、そういうお客さんを相手に歌舞伎を演じている。
これがヒッチコックだったらどうだろう。推理ものだったり、シックスセンスやスティングのような映画だったらどうだろう。最初からきちんとストーリーを追っていかなければ、つまらないと思う。
しかし、忠臣蔵や水戸黄門だったら、途中のストーリーを飛ばして見ても問題ない。どうせ、結末もあらすじも知っている。視聴者がこだわるのは、ストーリーではなくて役者の演技なのだ。どのように大石内蔵助を演じるかという点に興味が集中する。そのように、江戸時代の演劇は成熟していた。
これが、明治大正になったところで簡単に変わるものではなかった。しかし坪内逍遥や2代目左団次は一生懸命変えようとしていた。けれど、なかなか変わらなかった。だから、若月紫蘭の新劇研究所でも、なかなか歌舞伎の影響を抜けきる事は出来なかったようだ。リアルを目指していたくせに、自らの教養に邪魔されてリアルになりきれなかった。歌舞伎は、歴史を重ねた奥の深い教養の上に成り立っているのである。
それに対してソ連映画は、過去の教養を断ち切る形で成立した。ソ連は出来立てホヤホヤの若い国だった。だから簡単に教養を断ち切れたのだろう。彼らは映画の中に言語のようなものを見つけ、その言語を持ってメッセージお伝えようとした。いわゆるプロパガンダとしての映画作りを目指したのである。
余談になるが、ソ連映画の戦艦ポチョムキンを最も高く評価したのは、ナチスのヒットラーだと言われている。ナチスにも、このような映画が必要だと思ったヒットラーは、ベルリンオリンピックの記録映画として、民族の祭典を制作した。ところが完成してみると、その映画は、戦艦ポチョムキンとは真逆の方法で作られていたから皮肉である。ドイツ映画界のドイツ的教養が、邪魔をしていたのかもしれない。
日本だってそうだ。さんざんモンタージュ理論を学んでいるくせに、何度も何度も忠臣蔵を作ってしまう。日本国民はストーリーも結末もしているのに、それを見に行く。フーテンの寅さんだって同じだろう。あれだけのマンネリを48回も作り上げてしまっているのだ。けれど日本人はマンネリが好きだというわけでは無い。そうではなくて渥美清の表現(演技)を見に行っているのだ。決して寅さんのストーリーを見に行ってるのではないと思う。
しかもである。寅さん映画を見る人たちや、歌舞伎を見る人たちの中には、少なからず眠ってしまう人達がいるらしい。半分以上は寝ていて盛り上がってるときに起き上がる人もいると関係者から聞いている。この辺が非常に面白いところでもある。
つづく。
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私は演劇のことは全く知らないので、本当に新鮮です。
映画の背景にある歴史というか、お国柄というか。なるほどなぁ…興味深いです。もっと知りたいです。
私がフランスにいた時の家族がやっていたお芝居が、セリフのほとんどないもの(あってもそんなに重要ではない)でした。私は、お芝居っていうものはセリフがあって、役柄があって…というイメージだったので、言葉で説明されてもどんなものか想像できませんでした。でも、観て、キレイで、すごく好きだと思いました。
一方で、ダンスをやる友だちが作った舞台が、ダンスで表現しているのでやはりセリフはないですが、なんとなくお話が見えるんです。
お芝居とダンスは違うものだと括りを持っていましたが、その境がわからなくなりました。というか、括りなんて要らなかったなと。フランスの人はあんまり括りを意識しない気がします。そして今なら、その理由というか、背景がわかる気がします。
マネージャーさんが今興味をもっているのとは全然違うものなので、話がすっ飛んでしまうと思いますが、最近、その家族がやってた舞台をyoutubeで発見しました。よかったら観てみてください。きれいですよ。私にとっては本当に思い出深いお芝居です。
そしていつか感想を聞かせてください。
//www.youtube.com/watch?v=z4Iwo-oYdAg
日本でも、田楽、能、神楽、浄瑠璃、歌舞伎などでは、全く違いますよね。例えば能の場合は、舞台は極めてシンプルで、俳優たちは、腰を低くして、いわゆるすり足で動きます。これが歌舞伎になると、飛んだり跳ねたりジャンプしたり、はでなアクションが付きます。能は、短い時間で終わりますが、歌舞伎になると、 4時間以上も回りますから疲労度も大変なものになるでしょう。また浄瑠璃なんかは、西洋で言うところのオペラに近いのかもしれません。
あともう一つ言うと、歌舞伎を見れる客層というものが存在しました。貧乏人は、なかなか歌舞伎を見れる立場にはなく、庶民は主に落語を愛好したといいます。そういう意味で、歌舞伎を見る階層というのは、かなり高級な連中だったんだと思います。
フランスの芝居なんかは、いわゆる歌舞伎に近いんだと思います。教養があるから見れる。それに対してハリウッドなんかは、いわゆる落語に近いのではないでしょうか? 一番下の庶民の娯楽を目指して作っているような気もします。以上、独断と偏見に満ちた独り言でした。