四阿山の山麓をハイキングしました。
非常に貴重な柱状節理の的岩と花童子宮跡を巡るルートです。
このルートは行政的には嬬恋村にあるのですが、必然的に嬬恋村が登山道を整備するのが本筋です。ところが、嬬恋村が整備をするたびに、旧真田町の人たちが、感謝のお礼を言ってくることが多かったと聞いています。四阿山は、旧真田町の人たちにとっては、非常に大切な山だったようです。元々嬬恋村は、真田一族が大半を占める村でした。その真田1族は修験道と関わり深い1族であったようです。立川文庫の真田10勇士を読めばわかりますが、 10勇士全員が、修験道と関わりを持つ地域の生まれです。その代表的な存在が猿飛佐助であり、猿飛佐助の本拠地が鳥居峠と言われています。それが史実であるかどうかは別にして、鳥居峠が、真田1族にとって非常に重要な場所であった事は確かなようです。
これが的岩です。古来日本人は、このような巨石に神が宿ると信じられていました。そしてこの巨石から霊力を引き出して、自分の力として利用したと言われています。それが本当かどうかは別としても、当時の人間はそれを信じて全国の山伏たちが四阿山に登りました。当然のことながら、途中の花童子宮という神社を通過します。そこには猿飛佐助のようなものが常駐していますから、全国から情報がそこに集まります。つまり四阿山は、 真田1族にとってのCIAの本部のような存在であったかもしれません。
これが花童子宮という神社の跡地です。今から15年前に、ここに訪れた時は、もう少しマシでした。神社の礎石や石垣がきちんと残っていました。しかし現在は、廃墟を通り越して、石垣の後さえ残っていません。非常に残念ではあります。このような文化財は本気で守ろうとしないと、たかだか15年で痕跡さえも失ってしまうということに驚かざるをえません。
関係ないですが、真田10勇士を読むと、ついニヤニヤしてしまいます。嬬恋村から真田町のあたりの地名が、大量に出てくるからです。地元民でないと分からないような話もたくさん出てきます。しかし、私が子供の頃、さっぱり分かりませんでした。新潟県の出身だからです。あの話は、嬬恋村や真田町の人間でないとわからない話がたくさん出てくるから厄介です。いつかそれについて、お話ししたいと思います。
つづく。
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