2015年05月18日

二人の牢名主さん

 70歳前後の人がバイクに乗ってやってきた。そして昨日一昨日と、うちの宿に泊まっていったのだが、聞くと、これから2ヶ月間にわたって全国を旅するのだそうだ。とはいうものの、独身の男性というわけではなく、毎晩奥さんに長い電話をかけていたからかなりの愛妻家の様に思える。 40代のお子さんもおられるようだ。そこで何気なく見ると、テント装備をバイクにくくりつけてあった。青春しているなぁと感心してしまった。

 最近、こういう人が多くなってきた。 70歳位のライダーさん、またはドライバーさんで、全国を旅する人たちが、何気に多くなってきた。彼らに共通するところは、元気なところだ。顔色が実にいい。そして若々しい。だからつい、同世代くらいの感覚で話をしてしまうのだが、実際は20歳ぐらい年上なのだ。それを全く感じさせないところがすごい。痴ほう症とか、老人特有の病に無縁な存在に見えてしまう。

 無計画に旅をしているところもすごい。うちの宿にも当日の3時頃に予約を入れてきている。若い人たちよりも元気かもしれない。もちろん夜のお茶会にも出てくる。一緒に酒を飲んで語り合うわけだが、翌朝は、早起きして準備をしているから感心する。ちなみに私は、朝5時に起きて、愛犬コロを小浅間山に散歩に連れて行くのが日課である。自慢じゃないが、かなりの早起きだ。その私が、感心するのだから、お客さんも相当な早起きである。

 こういうお客さんたちを見ていると、今から30年前のことを思い出してしまう。実は、 30年くらい前のユースホステルは、こういうお客さんばっかりだったのだ。特に北海道などでは、若者たちが朝の夜4時ぐらいに起きて日の出を見ていた。北海道の日の出は早いのだ。もちろん、みんな計画など建てていない。無計画にあちこちを旅していた。

 と言うより、当時はインターネットがなかったので、宿がインターネットの代わりをしていた。だから、計画は宿にチェックインしてから立てたのである。宿には牢名主のような人たちがいた。牢名主といっても、怖い人たちではなく、その土地のことをよく知らない人たちに、旅のアドバイスをしてくれる人たちである。今で言うインターネットみたいなものだ。

 もちろん複数の牢名主がいる。鉄道に詳しい者や、写真の撮影スポットに詳しい者や、レストランに詳しい者や、美しい風景に詳しい者など、それぞれに得意分野があって、分野ごとに牢名主たちがいた。そして、電話帳ほどの分厚い鉄道時刻表で列車の乗り換えをアドバイスしてくれたり、登山道のコースタイムやクマ情報をアドバイスしてくれる人たちがいたのだ。と言うと「オタク」な人たちのように聞こえるかもしれないが、そんなレベルではなかった。インターネットそのものだったのだ。

 ここで私の昔の体験を話してみたい。
 35年くらい前に出会った牢名主(インターネット)の話である。

 当時、私が、まだ20歳位の頃の話である。小さな漁村にあるユースホステルに泊まっていたときのことだ。どういうわけか、私は、その宿に何連泊もしている牢名主に気に入られてしまった。そして、「一緒についてくるか? 」と言ってきたのである。

 他のお客さんたちは、偶然に泊まり合わせた、一人旅のお客さん同士でグループを作ってどこかに出ていった。車を持っている人が、そうでないとい人を誘って遊びに行くのだ。もちろん女の子をのせたいのが世の常である。だから車に乗れる人数の関係で、私は1人だけポツンと取り残されてしまった。そのために牢名主さんに目を付けられてしまったのかもしれない。私に「一緒についてくるか? 」と言ってきたのである。

 今から思えば、恐ろしいことなのだが、
 どんな人かもわからない牢名主さんに
 私は一緒に出かけていってしまった。
 
 ちなみに牢名主さんは、車を持っていなかった。だから歩いて、どこかに行くのかなぁと思っていたら、驚いたことに近くの漁師の家に入っていって、何やら挨拶をした後に、漁師の家から軽トラを借りてしまった。そして、その軽トラで私と一緒に観光旅行を始めてしまったのだ。

 そして昼の12時くらいになると、先程の漁師の家にまた戻った。
 すると昼ご飯ができていた。

 といっても農家のおじさんが、ご馳走してくれたわけではなくて、当時の金額で1000円で豪勢な料理を作ってくれていたのである。つまり、 2人分の昼飯代に2,000円払うことによって、昼飯と軽トラのレンタルをしたのである。私はたったの1,000円で、あちこち見学してまわれた上に、食べ切れないほどの魚料理を味わったわけである。

 牢名主さんは、そこの漁師の家主さんと、かなり仲が良いように見えた。時々 、その家にアルバイトに行っているとも聞いた。といっても漁師のアルバイトではなく、田植えとか稲刈りのアルバイトである。

「お前もするか?」

と言われた。私が愛想笑いをしながら曖昧な返事をしていると、どういうわけか2人して稲刈りのアルバイトをすることで決まってしまい、午後から稲刈りが始まってしまった。それはもう重労働だったが、途中で海に沈む夕日がとてもきれいだった。おまけに1,000円分の昼飯代と軽トラレンタル代が、それでチャラになった上に、いろいろな魚介類をお土産にもらった。

 魚介類をもらっても、旅の途中であるから、持って帰るわけにはいかない。仕方がないので宿泊していたユースホステルに寄付した。それで終わるかと思ったら、ユースホステルの厨房の中から、別の牢名主が現れてきた。その牢名主は、「じゃあ一緒に刺身を作ろうか」と、有無を言わさずに私を厨房に引きずり込んだのである。その牢名主は、魚料理に関するスペシャリスト(板前)であった。私はそこで、またもや貴重な体験をすることになる。 30年前のユースホステルには、このような不思議な人たちが少なからずいた。あれはとても不思議な空間だったと思う。

 ちなみに、 ひととおりの魚料理を作り終えた頃に、他のお客さんたちが帰ってきた。自家用車に一人旅をしていた女の子達を乗せて遊びに行ってたグループの人たちが帰ってきたのだ。どういうわけか、その人たちに魚料理を、私が振舞うことになってしまっていた。

 しかもさっきまで一緒に作っていた牢名主さんは消えてしまっていた。
 一緒に農作業をした牢名主さんも行方をくらましていた。

 そして、その夜は、私が主役のような感じで、みんなからちやほやされたのだが、消えてしまった牢名主さんたちが、気になって気が気ではなかった。なんとなく居心地が悪くなって、私はふらりと、外に出て星を見上げた。すると、
「魚うまかったか? 」
と声がした。振り返るとユースホステルの屋根の上に、 2人の牢名主さんたちが寝そべって夜空を見上げていた。あの人たちは、いったい何者だったのだろうか? 残念なことに、私は彼らの名前をどうしても思い出せない。もし、まだ生きていれば、昨日泊まったバイクで2ヶ月旅する人の年齢くらいだろうか?


つづく。

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posted by マネージャー at 23:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昔のユースホステルは本当に楽しかった。20歳で女ひとり北海道へ旅した時、1週間の宿の予約をしてでかけたのに、2日目から次々予約をし直して、とんでもないルートの旅をし、YHでしか体験できない事にも出会いました。味をしめて、何度も北海道に出かけたし、雌阿寒岳など一人で登って怖いもの知らずでした。エバもYHで軽自動車を借りて観光して回った事があります。
Posted by えば at 2015年05月19日 21:04
ーーーすてきですね!
マネージャーさんの旅の話も、心若い現役の旅人の方々も。

振り返れば不思議な時間や空間って、ありますよね。

Posted by まる at 2015年05月19日 23:51
えばさん
まるさん

良い悪いは別にして、昔はおおらかだったですね。今は保健所がうるさくて、お客さんを厨房に入れることなんてもってのほかな時代になってしまいました。気軽に軽トラを借りるなんてことも、事故考えたらできませんよね。しかし、昔はそのへんが、おおらかだったので、今より旅が面白かった事は確かです。ただし、それが安全だったかどうかは別の話ですけれど、不思議と、あまり事故は起きなかったような気もします。
Posted by マネージャー at 2015年05月20日 18:58
そうそう、YH旅の第一泊目に浜中YHで厨房に入って料理の手伝いをさせられたのも楽しい思い出で、オーナーさんとは33年後に再会を果たしました。あの頃、ホステラーでもなくヘルパーでもなく、ホスパーって言葉があったと記憶してます。
Posted by えば at 2015年05月20日 19:45
…なんでも可能に思えるようなおおらかさ、アジアみたい。

だから昔はユースが流行ったのだろうし、そこに思い入れのある世代の人は、定年しても戻ってくるのでしょうね。
で、思い入れのない若い人は、安く行けて、まだ(多分)アジアにあるそういう感覚が楽しかったりするから、そちらに行くのだろうなと思いました。
Posted by まる at 2015年05月21日 21:58
えばさん
まるさん

今でこそ、豊かな日本ですが、昭和45年頃までは、アジアと大差なかったです。特に佐渡島の田舎では、水洗便所なんか皆無だったし、時間の流れもゆっくりでした。友人の家に行くと、小便をするところは桶だったし、大便は小屋の中でした。そうです。昔はトイレが離れになっていたんです。便所紙は、少年ジャンプなんかを使っていましたね。だから友人の家では、オイルショックがおきてトイレットペーパーが不足しても何も問題がなかったようです。


Posted by マネージャー at 2015年05月22日 18:54
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