それから1年後、東京都中野区の小学校教育研究会国語科研究部が発行する冊子が、お父さんから送られてきた。女の子の手紙が、小学校の補助テキストに掲載されたのである。どうやら、今の小学校では、手紙を書くと言う授業があったらしい。その授業の一環で、うちの宿に、手紙が送られてきたらしいのだ。そして、家に送られてきた手紙の出来栄えが良かったため、テキストに掲載されたらしい。
これは、かなり良い教育システムでは無いだろうか?
手紙を送るという作業は、子供たちの文章能力を鍛えるだけでは無い。子供たちに楽しかった思い出をもう一度記憶の奥から引きずり出して、日常の嫌なことや忘れたい事をリセットしてくれると思う。また、いろいろなものに対する感謝の気持ちを人に伝える訓練にもなると思う。他にも色々な副次的な効果があると思う。自分の体験を文字にするということは、論理的な思考を鍛える意味でも非常に重要なことである。会話能力も磨かれると思う。体験を文章にするという作業は、かなり高度な知的作業なのである。
話は変わるが、お父さんからもらった文集を読んでみた。そして驚いた。うちの宿に手紙を書いてくれた女の子に限らず、掲載されている文章の大半が、大人顔負けのものばかりだったからである。昔の子供たちは、こんなに文章がうまくなかったと思う。もっとへたくそだったと思うし、どこかで聞いたことあるようなレトリックばかりを使っていたような気がする。つまり教科書を手本に字面を変えただけの文章が多かった気がする。今の子供たちの方が、文章レベルは上な気がする。
しかしよく考えてみたら、昔はインターネットのようなものはなかった。とはいうものの、小学校3年生が日常的にメールを打っているわけでは無い。その点においては、昔も今も変わりはないと思う。しかし、今の子供たちの方が文章が上手に見えて仕方ないのはなぜだろう? 上手なものばかりが文集に掲載されているからだろうか?
話は変わるが、今の学校教育になくて、昔の学校教育に合ったものに、話し方教室というものがある。みんなの前で、演説や落語や歌を歌うなどの人前で話をする授業である。これが、最近の小中学校では行われてないらしい。
また、私よりだいぶ年上の人たちの学校教育で存在したのが、生活綴方教室(ありのままの実際を文章にすること)であった。これは、私の世代にはもう存在しなくなっていた。私よりはるか年上の世代で流行した教育だったようである。
そういえば、私の子供の頃は、夏休みの研究発表というものもあった。しかし、実際に研究発表している子供たちは、それほど多くはなく、いつも常連組が発表していた。たいていは、親が教師であるケースが多かった。教師である親が息子や娘の指導していたことが多かったのだ。そもそも、小学校1年生や2年生位で、大人の科学者のように研究発表を自発的にするわけがない。大抵は、大人達の指導が入るのである。しかし、最初のきっかけはそうであっても、徐々に、科学好きになっていくケースは出てくる。そして、子供のくせに本物の学者のようになってしまうこともある。私の友人にそういう奴がいた。
同級生のK君が、そーゆー人間の代表だった。彼のお父さんは、私が通っていた小学校の先生で、K君は、お父さんと同じ小学校に通っていたことになる。まぁそんな事はどうでもいいとして、彼は何度も研究を行い、夏休みが終わると研究発表という物をやっていた。最初は、またやってるなぁと思って見ていた。もちろん背後に先生であるお父さんがついているのは承知の上である。私の母親も、小学校の教師だったので、だいたい事情は分かっている。こういう研究発表は、背後に大人(それも教職の親)が必ず存在するのである。
ところが、何年か経つうちに、彼の科学好きは本物になっていった。彼の研究発表も、だんだん玄人じみてきていた。それは子供心によくわかった。そのうち発表さえしなくなり、研究だけを続けていた。ある日彼は、黒いガラスで太陽を覗いていた。夏休みはもう終わっていたのに、しきりにノートに記録していた。
何をやってるんだい?
と尋ねたら、太陽の黒点を観察していると答えた。そして、大学ノートの記録を見せてくれた。私はこの頃、航空機のエンジンと構造に熱中していた頃なので、お互いに、科学談義に花が咲いた。昭和30年代に生まれた子供たちには、そういう科学好きのところがあったのかもしれない。
当時は、学研の科学と学習をみんな取っていた。学校が、それらの雑誌を積極的に子供たちに進めていたのである。そのために学研の科学を購読している男子が多く、みんな、 その付録で遊んでいたのである。今の子供達よりも、科学好きな男の子が多かったのかもしれない。
話がそれた。
私とK君は、その後、お互い同じ高校に進学したが、ほとんど話をすることがなくなってしまった。何を思ったのかK君は、高校の演劇部に入ってしまった。もう科学は、やめてしまったのかと私は思いこんで、少し距離をとってしまったのだ。しかし、あとから聞いた話によると、演劇部に入った後でも、毎日のように太陽の黒点を観察していたらしい。そして彼の頭は、日に日に薄くなっていった。
1年後、彼は短い命を閉じてしまった。
癌だった。
この病気は、今でこそ治る病気になってきている。数年前に甥っ子(10歳くらい)が遊びに来たとき、甥に髪の毛が無かった。食事の時間になってもそして客室から出てこなかった。放射線治療をしていた。今は、ふさふさしている。健康体そのものである。が、今から35年以上前は、医学は今より劣っていたようだ。良い治療が無かった。
冬の寒い時期に、「さむいなあ」コタツに入りながら眠るようにK君は亡くなったらしい。その日の彼も黒点を観察していたのだろうか? あれから35年経つが、今私が日本の演劇史を調べなおしていることを考えてみると、何か運命のようなものを感じてしまう。 35年前の私は、そんなものには全く興味がなかったからだ。ところが今の私は、演劇史の調査をしつつも、毎日のように御客様を星空観察に連れていっているのだから。
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今の世の中は手っ取り早い即席の教育が主流のようですね。
それならそれなりに幅広く教育の機会を与えてあげたいですね。
もちろん、私もまだまだ学ぶ事があります。
今、通勤電車で百人一首をいちからたどっています。選者の歌の選びかたや兼ね合いを知っても面白いし、今更学ぶ事があります。