北軽井沢から通える範囲で1番有名なのが佐久病院である。全国的に有名な病院で、名医がいっぱいいるらしい。日本中から患者が押し寄せるらしい。お医者さんの卵も佐久病院に憧れて集まってくるらしい。
「・・・らしい」
と、ばかり書いてしまったが、私も1度だけ佐久病院に行ったことがある。そして懲りた。かなり長く待たされるからだ。何時間も何時間も待っている間に、どんどん病気が悪化していった。こういう病院には、軽い症状の人間は行ってはいけないと思った。だから二度と行くつもりはない。いくら名医がいても、診療に時間がかかってしまっては、治るものも治らないからだ。
なので、最近はヤブ医者のいる、●●●総合病院に行くことが多い。なぜこの病院にヤブ医者がいると断言できるかというと、私が、この病院のヤブ医者の診断の犠牲になっているからである。
あれは10年以上前のことだ。足に水虫のようなものができたので、●●●総合病院に行った。先生は、見るなりにひどい水虫ですねと言って、飲み薬を処方してくれた。しかもパルス療法といって、 1ヶ月間の間に3倍も4倍も大量の水虫薬を飲んで、 1カ月間全く薬を飲まないと言う治療方法である。これを3回繰り返すわけだが、普通の人は大体1回ぐらいで水虫が治るのであるが、私はまったく治らなかった。これ以上のパルス療法は、肝臓の負担が大きいと言うことで、この治療は行えなくなる。仕方がないので、普通の塗り薬で治療することになった。
どうも変だなぁと思ったので、思い切って病院を変えてみた。近所の人たちのアドバイスに従って、長野県ではなくて、群馬県の原町の日赤病院に通ってみた。実は、群馬県には皮膚科の病院があまり多くない。草津温泉があるために、皮膚病を患う人が多くないのである。
で、日赤病院に行って診察受けると、まず皮膚の細胞を採取して顕微鏡で白癬菌があるかどうかを確認した。まぁ当然と言えば当然なのだが、●●●総合病院では、この確認がなされてないのである。目で見ただけで、水虫と診断されたのだ。これは私だけのケースではなかった。別の友人も、目で見ただけで水虫と診断されたと言う。そういう病院であった。もちろん先生は1人では無い。いろんな先生が居るはずなのだが、どの先生も目で見ただけで診断されていたようだ。幸い友人の場合は、本物の水虫だったらしく、治療によって治った。
しかし、私の場合は違っていた。
私は水虫ではなかった。
本当は皮膚のアレルギーだった。
なので、今まで逆の薬を処方されていたらしく、最悪の治療を受けていたらしい。皮膚のアレルギーの治療と水虫の治療は、全く正反対の治療であるらしい。なので、このままだと大変なことになっていたとのことである。特に肝臓に悪いパルス療法を、半年間にわたって行ってきたワケなので、下手したら廃人になっていた可能性もあったらしい。それを聞いた私は、背筋が凍るほど驚いた。結局、私の皮膚アレルギーは、日赤原町病院で治療してもらったのである。
ここで話が終われば、医者の誤診の話になるが、実はそうでは無い。確かに誤診恐ろしいのだが、私は●●●総合病院を、憎む気になれなかった。誤診でひどい目にあったのは確かなのだが、ここのお医者さんは、人柄が良いのだ。看護師さんも、いろいろ気がつく上に、院長や他の偉い人たちも、一生懸命なのが伝わってくるのである。
いつだったか、待合室で会計を待ってる時に、立って待っていた。すると、たまたま通りがかった偉い人が、お客さんが立っている。お客さんを立たせてはダメだ。と、受付の人に注意していた。
もちろん私が立っていたのは、席がいっぱいだったからではない。席はガラガラだったが、体力作りのために立ってストレッチをしていただけである。だから申し訳なく思ってそれを説明した。こんなことが日常的にある病院なのである。切り捨てるには、ちょっと惜しい病院だったのだ。だから私も嫁さんも、そこをかかりつけの病院にしたのである。しかし、先生を100%信用しているわけでは無い。疑問を持ったら、他の病院にも診断をしてもらっている。人間ドックは、原町の日赤病院にかかっている。だけど、かかりつけの病院は、その病院にしているのだ。待ち時間が長いと、それをこっそり教えてくれる、その病院をかかりつけの病院にしている。それが、息子の誕生につながるのだから、世の中何が幸いするのか分からない。
3年ぐらい前、私は、健康診断で前立腺がんの疑いをかけられた。前立腺がんは死に至る病では無い。しかし治療によって生殖機能は失われることがあり得る。それを家内が病院の先生に相談したら、大変心配して頂いて、いろいろな先生に紹介して頂き、不妊治療を行うことになった。そして息子が授かった。といっても、嫁さんはともかくとして、私自身は精子の検査以外に特別に何かしたと言う訳では無いのだが、いろいろな先生方の応援によって、無事に息子が授かった。それも、ありがたいことに健康体の息子である。だから私は、この病院には足を向けて寝られない。なのでこの病院の名前は伏字にしておく。
医者にもいろいろなタイプがいる。それを嗅覚で判断し、使い分けることができるようになってきた私も、どうやら老人の仲間入りをしたのかもしれない。
つづく。
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地元の病院も非常に待ち時間長かったのを覚えています。
あの待ち時間の長さはかなり無駄な時間を過ごしたなぁ〜
と今でも思っています。
逆に小さな病院では待ち時間なく診察で来たのですぐに
終わったことも覚えています。
大病院ってどこも待ち時間長いんですかねぇ〜?