2015年06月28日

大坂から北陸新幹線で軽井沢に来ると安いらしい・・・・

 最近やたらと、大阪方面から来るお客さんが多いかと思ったら、原因は北陸新幹線であった。なぜ北陸新幹線が開通すると大阪からのお客さんが多くなるかと言うと、そこに鉄道のマジックが存在したのである。

 私は鉄道オタクではないので、その方面の知識は無いのであるが、特急券と新幹線のチケットをあわせて買うと割引がされるらしい。つまり大阪から金沢まで特急のチケットを取り、金沢から軽井沢まで新幹線のチケットを取ると割引が適用されるのである。東京経由で新幹線で来るよりはるかに安いらしい。おまけに、線路の距離が600キロを超えると遠距離割引が適用されるらしくて、大阪からちょっと遠いぐらいの駅から軽井沢までのチケットを買うと、またさらに割引率が良くなるらしい。どうりで大阪方面からのお客さんが多いと思った次第である。そして、それらのお客さんの多くは鉄道趣味にしている人たちであった。

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 鉄道といえば、トワイライトエクスプレスがなくなって久しいが、今度は北斗星がなくなると聞いた。非常に残念である。私は鉄道の趣味はないが、昔の鉄道の旅行というものは、それは情緒深いものであった。

 昔は、冷凍みかん、プラスチックのお茶、そして駅弁。それらが、旅を盛り上げてくれたものだ。上野から夜行列車に乗って、北海道に行くと、県ごとに風景や乗り降りする人たちの服装が変わってくる。それがまた旅の情緒を盛り上げる。

 12月の末ごろになると、たくさんのお土産を持った出稼ぎのお父さんたちが、ウイスキーの小瓶を片手に、ちくわの燻製なんかをほおばっている姿が見られた。 30代ぐらいの女性が編み物をしながら座席に座っている風景も美しかった。息子さんの手袋だろうか?小さな指先を一生懸命編んでる姿は、見ているだけで心が和んだものである。そしてたまに、毛糸玉がコロコロと転がり、それを拾ってあげることもしばしばあった。

 昔は鉄道移動は時間がかかった。

 夜行列車は死ぬほど退屈だから、編み物をしたり、酒をちびちび飲むしかなかったのだ。暇をもてあまして見知らぬ人と会話を楽しんだりもしたし、菓子や果物を交換したりした。今のようにノートパソコンやスマートフォンがあるわけでは無い。ウォークマンだって、それほど普及していた訳では無い。長い移動時間の間に、みんないろんなことをしていたのだが、その風景にそれぞれの人生が見えて、地域の風俗が見え隠れして、情緒があったのである。

 鉄道だって油断がならなかった。冬の夜行列車は、暖房が効きすぎて暑くて列車内では薄着をしなければいけなかった。逆に夏の夜行列車は冷房が効きすぎて、ガタガタ震えるくらいのことなど日常茶飯事であった。今と違って不便な列車ではあったが、それだけに心にしみる出来事も多かった。

 農家のおじさんに、おいしいおにぎりをたくさんご馳走になったこともあった。ユースホステルのハンドブックを読んでいたら、見知らぬ旅人に声をかけられたこともあった。それも女性からであった。今では考えられないことだが、ユースホステルのハンドブックを持っているだけで、仲間意識が生まれていた。 知らない人に声をかけることが、非常識ではなかった。それも列車の中で多かった。街中や観光地で声をかけるのは難しくとも、列車の中だと気軽に声をかけられる雰囲気があったのだ。昔の列車にはそういう魔力のようなものがあったような気がする。

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つづく。

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posted by マネージャー at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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