といっても、無理に勉強させたわけではなく、息子の方で勝手に覚えるのだ。要するに数字のパズルやアルファベットのパズルで遊んでいるのである。教育テレビで覚えるケースもあるが、基本的に息子にとってはゲームなのだ。こっちが気が進まなくても、アルファベットのパズルを持ってきて、一緒に遊ぼうとしてくる。仕方ないので付き合うわけだが、結果としてどんどんアルファベットや数字や漢字を覚えるのである。
ところが、カタカナだけは覚えない。
その理由が面白い。
「あ」と「ア」の発音が同じであることを認めないのだ。
カタカナの「ア」を教えると激怒する。
【あ】という発音は、「あ」だけであると、
泣きながら「あ」のパズルや積み木を持ってくるのだ。
これは彼の中に、そういうルールが存在することによって起きた現象なのかもしれない。2歳3ヶ月の息子には、ひとつの発音に1つの文字しかないと言うルールが確立しているらしい。だからそれをはみ出したことを教えると激怒するのである。最初私は、ひらがなを完璧に教えてからカタカナに移る予定だったのだが、こうなると両方同時に教えれば良かったと後悔した。
それにしても、我が息子はかなり気が強い。
イヤイヤ期なのだろうか?
いやそうではあるまい。
自分の中に強力なルールがあって、それをはみ出すのが許せないのだ。だから、きちんとシートベルトをしてあげないと怒り出すし、何でも片付けようとする。児童公園の滑り台に枯れ葉のようなゴミが落ちてると、それを始末するところから始める。滑り台をきれいにしないと遊ばないのである。これは、親の毎日やっている客室の清掃を見ていて、それがルールとして染み付いたのであろう。
おもちゃにしても、いちいち片付けないと気が済まないらしい。そのために、おもちゃを出しては、それを片付ける。おもちゃを出して、それを片付ける。その繰り返しをして遊んでいる。これも親の真似をしているのだと思われる。わたしは宿屋なので、ものを片付けたり、掃除してばかりいるために、息子にもそのような行動パターンが染み付いたのだと思われる。
そこで、他のペンション仲間たちのお子さんもそうだったのでは無いかと思って、いろいろ聞いてみたのだが、うちもそうだと言う宿と、全く違うという宿に分かれてしまった。うちも同じだと言う宿のオーナーさんに聞いてみたら、部屋掃除がベットメイクに息子さん娘さんを一緒に連れて行った宿のオーナーだった。しかも一人っ子が多かった。
うちは違うという宿のオーナーさんたちは、邪魔だから一緒に仕事をしてないと言うオーナーさんたちである。そして2人兄弟3人兄弟というパターンが多かった。なるほどと思った。小さい子が何人もいたら、一緒にベットメイクや部屋掃除をするわけにはいかないだろう。
それに、次男や三男などは、親を真似するというよりも、兄や姉を真似するケースが多いだろう。親の後ろ姿だけを生とは限らないと思う。それに対して一人っ子の長男長女は、親の真似をしやすいのではないだろうか? 子供は親の鏡というが、それは一人っ子の長男長女に濃厚に出てくる現象なのかもしれない。
今回もすごい前置きとなってしまった。
ここから本題に入る。
児童公園で息子を遊ばせていると、お母さんたちと仲良くなる。
といっても、夫婦2人で遊ばせているときは、そういう事は起きない。
私ひとりで遊ばせているときに限って、別のお母さんから声をかけられるのだ。理由ははっきりしている。私が息子の父親なのか、おじいちゃんなのか、よくわからないためらしい。そのために公園のお母さんたちは当たり障りのない会話を仕掛けてくるのだ。私は、また始まったなと苦笑いしながら父親だとわかるような回答をしてみる。
もちろん公園のお母さんたちは、私よりも20歳ぐらい若い。若いのに、子供を4人も産んでいたりする。だから子育てに関して言うと、私の大先輩である。その先輩お母さんたちが面白いことを言ってきた。 3歳位までは男の後の方が可愛い。けれど5歳以降になると逆転して女の子の方が可愛らしくなるというのである。
確かにそうなのだ。
公園で見ていても 3歳位までは男の子の方が可愛らしい。
当たり前である。
女の子は早く成長するからだ。
しかし男の子は、成長が遅いために赤ちゃんぽいのである。
現にうちの息子は、 2歳3ヶ月なのに、まだよく話ができない。
ひらがな数字アルファベット漢字まで覚えるくせに、会話が上手に出来ないのだ。
だから色んな文字を記憶するといっても、息子の知能指数が高いとは、とはとても思えない。ただ単に、ゲームの結果覚えているだけで、言語能力が向上しているわけでは無いと思う。それが証拠に、しばらくゲームをしてないと、すぐに忘れてしまう。
しかし女の子は、たとえ平仮名を覚えてなくても、会話力はある。だから親に何かしてほしいときは、言葉を使ってお願いする。ご飯を食べたいとか、あれをとってほしいとか、言語によるコミュニケーションをとるのである。つまり大人の対応が可能なのだ。
それに対して2歳の男の子たちは、何かしてほしいときは、親の手をとって、台所に引っ張っていく。そして、ご飯が食べたいんだなぁとわかるわけだ。何かとって欲しい時も、親の手を引っ張って、何かを指差す。そして、あれをとってほしいのか?とわかる。
言葉でコミュニケーションを取るよりも、
親の手を引っ張ってコミュニケーションをとる方が、圧倒的に可愛い。
だから2歳児の場合は、女の子よりも男の子の方が可愛く見えるのだ。これが6歳ぐらいになると逆転するらしい。女の子は、自分を可愛く見せるスキルを磨くようになるけれど、男の子はそうはならない。だいぶ遅れて、言葉を得ることができた男の子たちは、ここぞとばかりに生意気な口を利くようになるらしい。けれど、そのころに女の子たちは、その先を行っているのだ。やはり女の子の方が、小さい頃は圧倒的に知能指数が高いと思う。
しかし、別のお母さんは、こんなことを教えてくれた。男の子は言葉がわからないうちが華ですよと。もし、言葉でコミュニケーションを取れるようになったらとんでもないわがままや、罵詈雑言がでてくるかもしれない。だから、 2歳3ヶ月の今が1番かわいいかもしれませんよ。そうアドバイスをしてくれた。確かにそうかもしれない。
そんな話を、昨日、お客さんと語り合っていた。昨日はたまたま、 3人の息子さんを立派に社会人として育てあげたお母さんでもある小学校の学校の先生と、幼稚園でセラピストをしている先生が泊まっていた。で、 3人の息子さんを立派に社会人として育てあげたお母さんに、いろいろ聞いてみたら面白いことがわかった。
3人の息子さんの中で、ただ1人、 4歳まで会話ができなかったお子さんがいたらしい。家にも引きこもっていて、運動もせず、この子は将来どうなるんだろう?と言うお子さんがいたのだが、そんな危うそうなお子さんが、社会に出て1番成功しているという。 4歳まで言葉が話せなかったのに進学校に進み、大学就職も1番良かったとのことである。
その理由を聞いてみたら、出会いが良かったらしい。素晴らしい塾の先生に出会ったらしいのだ。といっても進学塾では無い。できない子供を教える塾である。そこで、その子にとって素晴らしい先生にであったらしい。だから、人生はどう転ぶかわからないのだ。 4歳まで言葉が喋れなかったのに、聞いて驚くような学校や就職をしているわけだから、人生なんて先の先までわからない。もっとも、その先だってわからないのだから、人の幸せなんてものは、その人が死ぬ直前までわからないのである。だから何かに悲観して自殺するなんて、もったいなくて出来る訳がない。その先に何があるのかわからないのだから。
つづく。
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