2015年07月26日

草軽鉄道廃線跡のハイキング 国境平駅から小瀬温泉駅

 今回のツアーはも草軽鉄道廃線跡のハイキングです。
 ルートは、国境平駅から小瀬温泉駅までです。
 旧国境平駅にて。17名の参加者。大所帯です。

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 1910年(明治43)に軽便鉄道法を公布。これが全国的な軽便鉄道ブームに火を付け、各地に多くの軽便鉄道が建設されることとなります。そんな時代に草軽電鉄は生まれました。スイスの登山鉄道に着想を得て、高原の避暑地へ、また草津の温泉へ、多くの旅客を運びたいというものでした。

 建設費用をできるだけ抑えようとしたため、橋なども極力少なく、山岳地帯を走るにも関わらず沿線にトンネルはありませんでした。おまけに、すぐに脱線し立ち往生することも多かったといいます。脱線すると御客さんと一緒に列車を持ち上げてレールに戻しました。そのためのテコ棒が車両にのっていたと証言するのは、北軽井沢駅最後の駅長だった山田温泉旅館の初代当主です。

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 1926年(大正15)に新軽井沢〜草津温泉間の路線が全線開通。全線開通後、会社は「四千万尺高原の遊覧列車」をキャッチフレーズに、春はツツジ、秋は紅葉、冬はスキーと宣伝して、観光客の誘致に努めました。1927年(昭和3)にラジオで「草津節」が流され草津温泉が全国的に有名になりますと、草軽電鉄も大いににぎわいをみせます。また北軽井沢に法政大学村、昭和9年には千ヶ滝別荘地が開発され、旅客輸送も増大しました。貨物運送でも吾妻地方の発電所の建築資材運搬や白根山から産出される硫黄の輸送を一手に引き受けました。

 終戦とともに進駐軍が軽井沢にきて万平ホテルや三笠ホテルなどの有名ホテルは接収されましたが、草軽電鉄はボロすぎたため、視察にきたGHQの幹部が怖くて乗れなかったために摂取されなかったと言われています。ちなみに線路の幅が762ミリ。76p。ハイエースの巾が169pですから、すごく狭いのが分かりますね。お猿の電車もいいところです。GHQの幹部が恐れをなしたのは、その小ささかもしれません。また、建設費を安くするためには地形にさからわぬことという思想に徹底していて、山が出っ張ったところではその先をぐるりと回り、谷があれば奥まで溯っていく。 山岳鉄道であるにもかかわらずトンネルが一つもない。これがお猿の電車ぽくて観光客には大人気だったといわれています。

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わずかに残る橋脚の跡。

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これは、昔の小瀬温泉駅

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これは、今の小瀬温泉駅

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ここでは、森繁久弥主演の名作「山鳩」の舞台(ロケ地)にもなりました。

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その名残でバス停が「唐松沢駅」となっています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 21:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 北軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
久々のYHらしいツアーになりました。
2日前に最後の枠に滑り込んで参加できました。
夏休み最初の大イベントでしたね。
まだまだお願いします。
Posted by エバ at 2015年07月27日 09:48
今度は別ルートの案内もお願いします。
Posted by イトウ at 2015年07月27日 12:18
エバさん
イトウさん

ご参加ありがとうございました。別ルートもいつかやってみたいですね。特に軽井沢から小瀬温泉のルート。国境平から北軽井沢のルートは、かなりのベテラン向きです。
Posted by マネージャー at 2015年07月28日 07:54
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