どういうわけか私は、息子の赤ちゃん言葉を理解する能力が高かったんですね。それはゼロ歳児の時から、今までずっとです。息子が、ちょっとでもぐずると、私はその原因を簡単に突き止めてしまう能力を持っていたわけです。
おそらくこれは、私の耳が悪かったことと無関係ではないと思っています。あと、 10歳以上年の離れた弟がいたために、子供の頃にそれを観察していた事も無関係ではなかったかもしれません。まぁそんな事はどうでもいいとして、私は息子がぐずりだすと、すぐに解決してしまう能力を持っていました。
泣き声の大きさや、音程の違いを判断して、背中が痒いのか、ミルクが飲みたいのか、それとも歩きたいのかを直感的に突き止めて、解決してあげてたのです。おかげで、うちの息子は、手がかからない子供に育ってしまいました。
今思えば、これが息子の言語能力の成長を阻害していたような気がします。泣き声1つで、親が察してあげるという事は、自分で言語を操って意思を伝える必要性があまりないということですよね。
昔、うちの宿でヘルパーをしていた女の子が、お母さんになって小さな娘さんを連れてやってきたんですが、その娘さんは高度な言語能力を持っていました。どうしてなんだろうと、質問してみたら、そのお母さんは、赤ちゃんに対して言葉で伝えてこないとアクションを起こさなかったと言います。つまり私とは、 180度違うやり方で、娘さんの言語能力を高めてきたようなのです。
これには、脱帽しました。
そうゆう発想が、私にはなかったのです。
うちは宿屋なので、お客さんに迷惑をかけまいと、ひたすら息子を泣かせないように、ぐずらせないように、私が息子に対して空気を読んで対処してしまっていました。なので、2歳になる前に、ひらがなもカタカナも数字も覚えていたくせに、会話能力はこれっぽっちも発達しなかったわけです。もちろん、聞き取り能力は十分に発達してました。こちらの言う事は、驚くほど理解していたのですが、自分の意思を相手に伝える言語力が、順調に育ったなかったのです。
例えばうちの嫁さんが、息子と一緒に風呂に入ったとします。するとお風呂の中で息子が激怒している声が聞こえてきます。わんわん泣いているわけです。変だなぁと思って、私は駆けつけてみると、すぐにわかってしまった。嫁さんには、さっぱり原因がわからなかったようなのですが、私には、息子がが泣きわめく手に取るようにわかってしまった。
うちの嫁さんは、お風呂のドアを閉めたわけですが、それに対して息子が激怒しているのが分かってしまった。嫁さんは、何がなんだか分からないという感じで呆然としています。でも、私にはピンとくるものがあった。息子は何でも自分でやりたがっていたので、自分でお風呂のドアも閉めたかったんですね。そこで私は
「お風呂のドアを閉めたいんだよね?」
と言って、ドアを開けて
「はい閉めてちょうだい」
と息子に道を閉めさせるわけです。息子は私の対応に満足するわけですが、今思えば、これが良くなかったようです。
もし、私が嫁さんと同じように空気が読めなかったとすれば、もう少し息子は言葉で伝える努力をしたのかもしれません。しかし、私が空気を読んでしまったために、息子が言葉を使う機会を失ってしまったんですよね。そのために、会話能力を鍛える機会が減ってしまったわけです。
自分の息子の言語能力は、決して低いとは思えません。息子NHKの教育テレビで放送していた百人一首の歌を一瞬にして暗記してしまいます。私が空を見上げて、今日は三日月だ。上弦の月だな。と独り言をつぶやくと、息子も真似して、三日月だ。上弦の月だとつぶやきます。また、中原中也の「汚れっちまった悲しみに……」という詩つぶやいたり、教えてもない童詩や童謡もテレビを見ただけでまねして歌います。なのに、会話が上達しないのは、親が空気を読んで、息子のうめき声を聞いて、瞬時に息子の意図を理解して、手を貸してしまっていたからに違いありません。
こう考えると、 2歳児の息子にイヤイヤ期らしきものがなかったことの理由がわかった気もします。息子はぐずる必要性がなかったんですよね。そのために、本来ならば2歳児のあいだに身に付くはずの会話能力が、なかなか身に付かなかった。確かに息子は、手もかからなかったし、ぐずることもなかったけれど、そのために言葉で主張する技術を身につけるのも遅かった。逆に言うと、 2歳の時に壮大なイヤイヤ期を経験した子供は、言葉で主張する技術を身につけるのが、早くなるかもしれません。
それに気がついて反省した私は、 1つの実験をしてみました。
息子が、大好物の果物を床に落としたとします。今までは、それだけで息子はぐずっていました。ひどいときには泣きわめいたりもしていました。そして私は、代わりのフルーツを即座に与えていたのですが、それを止めました。やめて、床に落とした直後に
「あ、落としちゃった」
と大げさに言うようにしました。もちろん私もわざと落として、「あ、落としちゃった」と大げさに言うようにしたのです。すると、息子も「あ、落としちゃった」と言うようになって、泣きわめく事は無くなりました。このように、 1つのアクションに対して、 1つの言語をぶつけて、その上身振り手振りも付け加えると、グズったり泣きわめいたりすることがなくなって、「あ、落としちゃった」というような言葉を発するようになったのですね。
この積み重ねを、少しずつ増やしていった結果、やっと最近、言葉を覚えるようになりました。息子の中に泣くとか、ぐずるという選択肢はなくなって、言葉を発するという行為が目立ってきました。以前なら泣いたことも、泣く代わりに言葉を使うようになった。しかし、これは思えばすごい遠回りだったかもしれません。普通の2歳児だったら、こんな遠回りをすることはないでしょうね。
それはともかく、言語を覚えると、息子は、ますますぐずらなくなりました。泣くという選択肢を捨てて、言語を使い始めたからです。もちろん、使い方は微妙に間違っていたりします。息子が床に転んでも「あ、落としちゃった」と言ったりする。なので、私がわざと転んで見せて、「転んじゃった」と言って見せなければならない。これは、途方もなく気が遠くなるような作業なんですよ。あまりにもめんどくさいので、最近は、多少間違えていても放置しています。そのうちに正確な言葉を理解していくのではないかと思っています。
つづく。
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