これは以前にも話したことなんですが、武田信玄と言うのは、戦国時代には珍しいインテリだったんですね。どうしてかというと、血筋がスーパーサラブレットだったんです。下手したら足利将軍なんかよりもずっと血筋がいい。だから鎌倉幕府には警戒されていたくらいです。そういう血筋なので、幼い頃から教育を受けています。もちろん禅宗の坊さん達から儒教などの古典教育をしっかり受けています。当時の僧たちは、今で言う大学教授みたいなもので、政治経済歴史古典なんでもたしなんでいましたので、武田信玄は山梨県の田舎にいながらも、その情報収集力は京都にいるのと全く変わらなかったようです。
有名な風林火山の旗印も、心頭滅却すれば火もまた涼しと叫んで、織田信長に焼かれてしまった快川紹喜が書いて与えたものだと言われています。ちなみに風林火山とは、孫子の言葉からとった文句でもあります。孫子の本質は戦わずして勝つことにありますので、武田信玄の兵法は、無駄な死者を出さないことに集中していました。
まぁそんな事はどうでもいいんですが、ここで注目したいのは、武田信玄が、戦国大名には珍しい教養人だったということです。要するにエリートだったんですね。幼い頃から帝王学を学び、中国の古典、儒教などを学ぶことによって、人に気遣いをする様に訓練をし、さらに和歌、絵画、蹴鞠まで嗜みました。
こんな武田信玄は、 21歳で父親を追放して、家督を継いでから、すぐに行ったのは土木工事です。戦争ではなく、土木工事行っているんですね。これがいわゆる信玄堤です。これは家督を継いでから19年もかけて完成しています。もちろんそのメンテナンスも抜かりありません。メンテナンスをする農民たちには税金を免除して、これに従事させています。
さらに、すごいことには鉱山の開発を行いました。もちろん金鉱石を精錬するためには燃料が必要です。その燃料は、もちろん樹木です。金銀がが掘られるたびに、次々と山が禿山になっていきますが、その禿山も段々畑や田んぼにして、農業生産力を拡大してしまいました。
また、道路の建設や、通信手段としての狼煙台も盛んに設置しています。もちろん狼煙台は、嬬恋村にも跡地が残っています。有名なのは、桟敷山の狼煙台です。
福祉施設も大量につくりました。その一つが温泉です。山梨県には、信玄の隠し湯なるものはたくさんありますが、群馬県にもたくさんあります。その中でも有名なのが、伊香保温泉です。これについては後で解説してみたいと思います。その上、商業を奨励し、付加価値の高い農作物を作らせました。
とにかく武田信玄という男は、自分の国のGNPを増やし続けました。どのくらい増えたかというと、平安時代には、たったの1万石しかなかった甲州 の石高が、太閤検地の頃には、22万石に増えています。22倍に増えているんです。これが隣の長野県になると、平安時代には15万石で、太閤検地の頃には、40万石です。だいたい2.5倍ぐらいしか増えていません。他の国々でもにたようなもんです。同じ山国の飛騨なんかは、平安時代も太閤検地の頃も同じ3万石ちょっとです。これを考えると、武田信玄の開発力が、いかに凄かったか分かるかと思います。
だから甲斐の領民たちが、武田信玄を崇拝する気持ちはよくわかります。領主が交代しただけで、あっという間に豊かになったわけですから、尊敬しない領民が居る訳がないのです。おまけに武田信玄は、甲州法度で法治国家を作り上げ、領民に不平不満がないようにしています。その上、戦争になっても、できるだけ自分のところには犠牲のないように、謀略を中心とした方法で領土を拡大しています。
雑談も大好きで、家来に気配りをし、常に家来や領民の言葉に耳を傾けたわけですから、これほど心地よい上司もないかもしれません。その信玄の側で、一部始終見ていた男が、真田昌幸であり、武田信玄のエッセンスをことごとく自分のものにしていたわけです。
つづく。
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道三の遺伝子を継いだのも子達ではなく、信長だと思います。
ちなみに家康は、今川家の家来でした。今川家の家法(法度)は、甲州法度と似ているところがあるんですよね。つまり家康にはなじみやすいわけです。
駿河が、15万石
遠江が、25万石
合計40万石。意外に国力は少ないんですよ。で、あれだけ暴れられたのは凄いと思います。三河は、29万石。充分に対抗できるんですよ。武田・北条・織田のどれかと同盟すれば、負ける要素は無い。尾張に至っては、57万石ですよ。織田が尾張を統一していれば、今川と五角に戦える国力がある。そんな中で、今川義元はよくやったと思いますね。彼だってただものではないはずです。誰か、この人の伝記を書く人はいないのかなあ。
国力は、港と金だったのでしょうか?
桶狭間も、史実は違うという研究も進んでますし〜
子の氏真でさえ、凡庸でなかった説も出てますね。
>義元が、凄い人なのは知られていますが、駿河がたった15万石とは!
そうです、ここが盲点なんですよね。さらに言うならば、群馬県は50万石です。その北側を真田昌幸を手放す訳がありません。いくら家康に命令されても、長野県にかわりの土地を提供されても手放す訳がないんですよね。なぜならば長野県は、あれだけ広くても40万石ですから。おいしくないんですよ。逆に言うと、今川義元は凄かったですよ。駿河がたった15万石ですから、よくこれで北条軍と戦えたもんだなぁと感心します。ちなみに北条氏の領土を計算してみると、
武蔵 67万石
下総 37万石
上総 37万石
相模 19万石
伊豆 7万石
で、 167万石です。これを寄せつけなかったわけですから、今川義元も相当なもんですよ。逆に言うと、この北条氏をコテンパンに叩いた上杉謙信と言う人間の凄さに驚いてしまいます。だって、越後はたったの40万石ですからね。群馬県の方が石だかは高いんですよ。もっとも、越後の経済力は、実際の石高の数倍はあったと言われてますから、その辺を考慮すると、まったく違う数字になってしまうと思いますけれど。