2016年02月11日

嫁さんが保育所の入園説明会に行ってきて、すごく慌てているところです

 嫁さんが2歳10ヶ月の息子を連れて、保育所の入園説明会に行ってきました。で、今、すごく慌てているところです。私たちは、息子を保育所に入れるつもりだったんですが、どうやら息子を通うところは、保育所ではなくて「こども園」という名前の幼稚園だったようです。嬬恋村には、昔、幼稚園が3つと保育所が1つありました。それが合併して、今では幼稚園が1つとこども園が1つになっています。

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 で、こども園なんですが、これは保育所と幼稚園が合併してできたことになっていますが、入園のしおりをよく読んでみたら、ほぼ幼稚園なんです。午前中は幼稚園。午後からは、働いているお母さんのための預かり保育も、やっているというシステムなんですね。だから、入園説明会でも、幼稚園の入園説明会だったんです。こっちは保育所に入るんだとばかり思っていたので、これには驚きました。

 ちなみに、うちの嫁さんは群馬県出身で、幼稚園に通っていたそうです。私は新潟県佐渡島の出身で、保育所に通っていました。というか、佐渡島には幼稚園がほとんどなかったんですよね。だからみんな保育所通いです。逆に、嫁さんが生まれた群馬県館林には保育所がなかったようです。だからほぼ全員が幼稚園だったようです。変だなぁと思った私はインターネットで調べてみたら、群馬県は幼稚園だらけで保育所が圧倒的に少ないですよね。だから嬬恋村では、幼稚園3カ所に対して保育所が1カ所しかなかったんですね。これが軽井沢町になると、保育所が3カ所で幼稚園が1カ所なんです。これも早速インターネットで調べてみたら、長野県は圧倒的に保育所が多い県でした。もちろん新潟県も圧倒的に保育所が多い県です。

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 各都道府県によって、保育所が圧倒的に多い県と、幼稚園が圧倒的に多い県があるのは非常に面白いです。長野県や新潟県は、福利厚生施設として保育所をじゃんじゃん作ったのでしょう。 自営業者である農家や漁師が多い長野県や新潟県にとって、保育所の存在は欠かせなかったものかもしれません。これが群馬県になると、保育所よりも教育施設である幼稚園を優先して作っています。だから群馬県には幼稚園が大量にあって、それを補うように民間の託児所も大量にあります。

 北軽井沢にだって託児所があるぐらいですから、前橋あたりにいくと託児所だらけです。ところが、これが軽井沢になるとなかなか見つからないんですよね。全くないわけではないんですが、ホテルやスキー場がサービスでやってたりするものだったりします。要するに保育所が大量にあるので需要がないんだと思います。そう考えると、長野県や新潟県は働くお母さんを優先しているわけで、それに対して群馬県は、子供の教育を優先して幼稚園を量産したのかもしれませんね。

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 話がだいぶずれてしまいましたが、嬬恋村の「こども園」についてです。こども園が、ほぼ幼稚園であることは、すでに述べました。もらった入園のしおりそのものが、幼稚園のものでした。当然のことながら、すごく厳しい内容になっています。入園グッズをすべて手作りで作らなければならないし、洋服から下着から持ち物に至るまで全てに名前と指定されたロゴを縫いつけなければいけません。

 どうしてロゴをつけなければいけないかというと、ひらがなが読めない子供がいるからです。うちの息子は、ひらがなが読めるんですが、全員が読めるとは限りませんからね。だから各人にロゴが割り当てられるわけです。うちの息子は「どんぐり」のロゴになりました。これを下着から洋服。入園カバンや制服や上履きなんかにもすべて縫いつけることになるわけですが、うちの嫁さんはその作業の多さに悲鳴をあげています。ミシンも必要なので、早速インターネットで上等なものを注文をしました。もちろん、少しでも嫁さんの負担が軽くなるようにです。インターネットで、どんぐりのアップリケがないか一応探してを見ましたが、これがないんですよね。やはり自作するしかないようです。でもまぁ、どんぐりでよかったです。これがライオンだったらと思うと背筋が凍りますよね。

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 ちなみに私は、保育所育ちです。というか、私が生まれた家は、保育所を併設している曹洞宗のお寺(正法寺)でした。今でも佐渡島に立派に存在しています。うちの親はそのお寺の養子だったんですね。この保育所に1年間通ったんですが、もちろん保育所ですから、託児所に毛の生えたようなものなので、嬬恋村のこども園のようなめんどくさいルールはありません。今は事情は変わっているかもしれませんが昔はなかったです。もちろん夜の7時まで延長保育があります。働くお母さんにとっては、非常にありがたい制度です。で、うちの親がお寺の養子から外れて旧姓に戻り、別のところに引っ越して、新しい保育所に入り直したんですが、やはり嬬恋村のこども園のようなめんどくさいルールはありませんでした。もちろん今は少し事情が変わっているかもしれませんけれど。

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 めんどくさいといえば、こども園(幼稚園)には、家庭訪問があるんですね。これには驚きました。保育所しか経験したことのない私にとっては衝撃でした。やはり幼稚園というのは、いわゆる教育施設なんでしょうね。さすが文部省管轄だけの事はあります。

 話は変わりますが、同級生に幼稚園出身者がいましたが、その幼稚園出身者と話をして衝撃的だった事は、幼稚園には1ヶ月の夏休みがあったことですね。小学校と同じだったんです。けれど保育所には夏休みは、なかったんですよ。あってもお盆の時期だけだった気がします。あと、昔の保育所では卒園する頃には、ひらがなやカタカナはもちろんのこと、自分の名前を漢字で書くレベルまで文字が書けるようになってました。ところが、幼稚園出身者の話を聞いてみると、小学校に入ってから生まれて初めて文字を覚えたという話でした。これには驚きました。

 じゃあ幼稚園で何やってたんだよ?

と、質問したのですが、あまり記憶になかったようです。幼稚園出身の嫁さんにも聞いてみても、それは同じでした。要するに、幼稚園に入る時間が短すぎてあまり記憶にないみたいなのです。これが保育所になると、日々の大半が保育所にていることになるので、保育所での記憶ははっきりと残ります。時間が長すぎるので、さんざん遊んだ後は、やることもあまりないので、ぬりえをしたり、絵本を読んだり、歌を歌ったり、楽器を練習したり、文字を覚えたり、昼寝をしたり、あらゆることをプログラムに入れないと、時間が余っちゃうんですね。だから、知らないうちに文字を覚えたりもしたんだと思います。

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 これは逆説的になりますが、当時の保育所は、教育施設でなかったために、子供たちは幼稚園よりも早くに文字を覚えたんだと思います。むしろ幼稚園は、教育施設であったために、文部省の指導に従って、文字を学習する機会がなかったのかもしれません。もちろん文字は、小学校に入ってから学んでも決して遅くは無いので、幼稚園のスタイルで問題ないといえば、問題ありませんけれどね。



つづく。

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posted by マネージャー at 12:37| Comment(7) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たぶん、数年前から、こども園にすると、その幼稚園に助成金が出るのもあって、急増していると思います。

娘の幼稚園も、娘が年長になってから、こども園になりました。
今まで、延長保育という別枠で、働くお母さんのお子さんたちは預かってもらっていましたが、確か、その年度から、こども園ということで手続きしていたように記憶してます。

そうそう。
入園時は、ほんっとーに、手づくり地獄でしたわ。

けど、ウチの末弟の息子は、保育園ですが、やはり、手づくり地獄だったようですよ。

今時は、保育園に通わせるお母さんも同じように手づくりから逃れられないようですよ。
Posted by みわぼー at 2016年02月11日 14:51
マークまで全部の持ち物につけるんですか!それは大変ですね。

例えて言うと、保育園は長距離走、幼稚園は短距離走、と学校で習いました。
時間の短い幼稚園は、時間内にキュッとやることを詰める。
時間の長い保育園で、幼稚園のペースで活動を続けるのは無理があります。だから、保育園は、幼稚園のようなハイペースにはしない。


保育園は時間が長いので、自由遊びの時間も多い。大きい子も小さい子も一緒の時間もあったりする。
そういう中で、大きい子のやることに自分から興味をもつきっかけがあるから、文字なんかは別に教えなくても知ることが早いんじゃないかと思います。
それに、集団生活の達人のような保育園の子達は、幼稚園の子達よりもしっかりしている。刺激があって、集団の中にいることに余裕があって、だから興味の広がり方も違う気がするんですよね。
Posted by まる at 2016年02月11日 14:57
みわぼーさん
まるさん

>例えて言うと、保育園は長距離走、
>幼稚園は短距離走、と学校で習いました。

なるほどぉねぇ。これはそうなのかもしれませんね。

 今は、どうかわかりませんが、私が子供の頃は、保育所ももっとおおらかというか、良い意味で、いい加減でした。

 例えば、私が子供の頃にこんなことがありました。七夕飾りを作るから、笹竹と折り紙を持ってくるように言われたことがあるのですが、口頭で揺れただけなので持ってくるのを忘れたんです。当然のことながら、私は皆が七夕飾りを作っているのを眺めていました。持ってくるの忘れたわけですから、子供心に、自分が悪いんだと、友達が作ってるのを眺めていたわけです。で、今度から忘れないようにしようと反省していたわけです。
 この話を、同級生の幼稚園出身者に話したら、信じられないと言っていました。なぜならば、幼稚園では、そのような工作があれば、あらかじめプリントで親に通達が言ってたというからです。つまり、それほど本気で作っていたわけです。忘れ物は絶対ないように、親に通達が届いていたわけですね。しかし当時の保育所では、それほど真剣に工作をしていたわけではなくて、幼児が、忘れて持ってこなければ、ぽつんと他の子どもたちが作っているのをぼーっと眺めていたわけです。実際、工作も、それほど真剣にやっていたわけでは無いし、いわゆる暇つぶしに近いものだったんですね。
 でも、その暇つぶしが悪いとも思えないんです。ものを忘れるということが、どういうことなのかも子供ながらに理解できるし、人が作ってるのを眺めるという行為も、いろんな視点が頭のなかに湧き出てきて、これもなかなか面白いんです。
 それに真剣に作ってないというところも、子供にとっては決して悪いことではなくて、真剣さがないだけに、遊び心も生まれるんですよね。

 ただし、当時でも大人たちは早は思ってなかった可能性はあります。なぜならば、私の祖母が、保育所の先生に対して怒りだしたからです。で、私は保育所の先生と、こっそり裏山に走っていって、笹竹を切ってきて、大急ぎで七夕飾りを作り上げて、迎えに来た祖母の前に何食わぬ顔で現れました。私は保育所の先生と共犯関係になったわけです。これもまた楽しい思い出です。



>集団生活の達人のような保育園の子達は、
>幼稚園の子達よりもしっかりしている。
>刺激があって、集団の中にいることに余裕があって、
>だから興味の広がり方も違う気がするんですよね。.

 
 これも心当たりがあります。幼稚園出身者の同級生に、幼稚園が終わったら何してた?と聞いたことがあるんですが、例外はあるにしても、ほとんどの人たちが自宅で遊んでいたと言うんですね。これが保育所出身者になると、夕方5時までは保育所に入るわけですが、自宅に帰ってから夕食の時間まで、保育所の友達と一緒に遊ぶんですよね。

 保育所に入る時間が長いですから、友達関係も濃密になります。なので自宅に帰ってからも、友達の家に遊びにいくわけです。当時は今のような少子化問題はなくて、むしろ子供が大量にいた時代ですから、近所に大勢のお友達がいたんですよね。その子たちと遊んだわけです。

 で、面白いことには、学年をまたいで遊びをするわけです。小学校に入ると、同じ学年の同じ学級の子供たちとしか遊ばなくなるんですが、保育所時代はいろんな年齢の子供たちと遊ぶんですね。これは当時、兄弟が多かったこととも関係してるのかもしれません。また、兄弟が多いために、子供1人1人に、親が面倒見ることもできなかった時代でもありましたから、今のように、手作りでカバンを作らなければいけないとか、手作りで布団を用意しなければいけないとか、そういうルールを親に強制することもできなかったんだと思います。要するに、当時の保育所は、今で言う託児所みたいだったんだと想像しています。



Posted by マネージャー at 2016年02月12日 02:43
ああ、それくらいおおらかだったら、いいですね。
無理がないというか。
当時のようにはいかないでしょうけど、
幼稚園よりは、保育園のほうがそういうおおらかさはあるかもしれませんね。

両親ともに働いているから、子どもを見られないという理由で存在する保育園に対して、
同じ年の子と関わることで学びが広がるという教育的理由で存在する幼稚園。幼稚園は、わざわざその活動のために、子どもが行くところなわけだから、こどもに対する大人の管理度合いが違うんですよね。

幼稚園は全て、子どものために回っているけれど、保育園は必ずしもそうではないところがでてきます。
でも、だからこそ、私は保育園のほうが自然だと思います。
子どもだって、大人の都合が見えるし、仕方がないことだってあることがわかるじゃないですか。


それにしても、笹を用意してくださいといわれて各自で用意できるのは、すごいですね 笑

笹ってどこに生えてるの?
花屋に売ってるの?
ここの土地のものは勝手に取っていいの?

って今ならなると思うので、時代そのものがおおらかだったんですね。
Posted by まる at 2016年02月12日 15:25

>幼稚園は全て、子どものために回っているけれど、
>保育園は必ずしもそうではないところがでてきます。
>でも、だからこそ、私は保育園のほうが自然だと思います。


ああ、なめほど!
これには凄く納得しますね。
長年、喉にひっかかっていたものが取れた感じです。

というのは、私は保育園で色々な社会勉強をしたと思っていたからです。私は、保育園を2回かわったのと、その前に地域の老人たちに面倒見てもらったのと、環境を3回変わっているんですが、そのつどいろんな大人達と接して、社会勉強をした感があるんですよ。大人達と一緒に何かをやってきた。例えば農作業や裁縫作業のそばで遊んだりしたんですが、これが楽しかったし、大人になってから良かったと思っていたんです。だから息子に対しても、0歳の頃からベットメイクや部屋掃除を一緒にしています。おかげで、うちの息子は空気が読めるようになってきました。御客さんがいるときは我が儘を言わないで一人遊びしてくれるんです。逆に御客さんがいなければ、我が儘を言います。

 で、息子がこうなることは、なんとなく分かっていたんです。
 なぜなら自分も小さい頃に、そうだったから。

 まさに子供は、「大人の都合が見えるし、仕方がないことだってあることがわかる」んですよね。これは、本当にそのとおりだと思う。だから

>幼稚園は全て、子どものために回っているけれど、

というのは不自然なんですよね。子供のためによかれと思ってやっているんだろうけれど、逆に子供も、大人も苦しめている結果になっている気がします。自分のことに限っては体験的にすごくなっとくします。本当に子供のためを思ったら大人の都合を含めて子供に接した方が、結果として子供にとって良い影響があるかもしれませんね。



>笹ってどこに生えてるの?
>花屋に売ってるの?
>ここの土地のものは勝手に取っていいの?

>って今ならなると思うので、
>時代そのものがおおらかだったんですね。

考えてみたら凄いことですよね。

そもそも、保育所の裏庭にいくらでもあったわけだから、私が忘れたとしても何度問題もなく笹は用意できたはずなのに、忘れた罰なのか、他の人が作っているのを私は見ているだけでした。教育のつもりだったのか? めんどくさかったのか? 真意は分かりませんが、私自身のためには、忘れた人間として見ていただけの方が、本人のためになったと思っています。思い返しても楽しい思い出です。



Posted by マネージャー at 2016年02月13日 16:11
子どもの、察する能力は大人なんかに比べ物にならないくらい高いですよね。

0歳クラスの子でさえ(子だからこそ、かもしれない)、
新しく来た子が泣いたりして、本当に手が離せない時には甘えたりしないで、ちゃんと、手が空いた隙を見てやってくるし、
親が忙しくてイライラしていたら、それを察して不安定にもなるし、
子ども同士の人間関係・力関係だって、察して行動している。
0歳児でも、弱そうな子には強気な態度とかあるんですよ。あの子には一目置いてる、とか。

察する能力が高いから、どんな言語のどんな言葉だって感覚的に理解できるのでしょうし、だから母国語になるんですよね。この時だけのものすごい能力だと思います。
Posted by まる at 2016年02月15日 22:38
>0歳クラスの子でさえ(子だからこそ、かもしれない)


私も同じことを思っていました。うちの息子も生後6ヶ月ぐらいの時にすでに、空気を読んでいましたから。具体的に言うとお客さんの食事用調理してる時に泣いたりしないんです。最初は偶然かな?と思っていたんですが、どうも違うんですよね。これが生後12ヶ月ぐらいになると、もっとはっきりしてきます。あれ?と思ったのは、 2歳6ヶ月ぐらいからです。この頃から少しずつ空気を読む力が衰えてきて、代わりに言語能力が格段に高くなってくるんですよね。

Posted by マネージャー at 2016年02月20日 08:00
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