1番驚いたのは、入園してすぐに1日中預かってくれるのかと思いきや、そうでは無いということです。最初の数ヶ月間は、 1時間とか2時間という短時間しか預かってくれないんですね。これは無茶苦茶ですよ。うちは自営業なので、都合がつくのですが、サラリーマンとして働いてるお母さんは、どうしたらいいんでしょうかね?
そもそもこども園というのは、幼稚園に毛が生えたようなもので、保育所とは根本的に違うのかもしれません。だから仕事を休めないお母さんは、どうしても託児所に預けるようになるのかもしれません。家の隣に、働いているお母さんがいますが、こども園に子供を連れて行っているのはお父さんです。たまたまお父さんの仕事が、電気関係のお仕事で、時間に融通が付きやすいので、送り迎えをできる訳ですが、そうでなかったら預ける事は出来なかったと思います。だから待機児童というのが生まれるんでしょうね。待機児童といっても、託児所に預けるわけでしょうけれど。
もし、保育所に入園した後に、お母さんが就職活動ができるのであれば問題ないのですが、実際は入園できません。働いてないと入園できないのです。でも働いていたら、入園して間もない間、 1時間だけ預けて、また引き取りに行くなんて芸当はできないはずです。これでどうやったら、お母さんが仕事できるんでしょうか? 根本的に何かおかしい気がします。だから群馬県には託児所が多いのかなぁと思います。少なくとも私は子供の頃の新潟県には、そのような不便なシステムは無かったですから。
まぁそんな事はどうでもいいとして、うちの嫁さんのやつは、すっかりミシンの虜になってしまったようです。着られなくなった服なんかを分解して再利用しはじめました。客は壊れても、小さくなった服の着を分解して、まだ着られる服のこなれたチャックと入れ替えたりしています。入園前に手作りの座布団や鞄を制作することを、強制されて、当初は不平不満が多かったようですが、今では楽しそうにミシンを扱っています。変われば変わるものですね。
そういえば、こども園から雑巾を作って寄付するように言われてるのですが、それも楽しそうに作り始めているようです。幸か不幸か、宿屋のうちには使えなくなったタオルがたくさんありますので、雑巾の1つや2つはいくらでも寄付できます。
で、思ったのですが、ちょうど1年前に、大量の高品質の毛布を廃棄というか、某所に寄付したのですが、考えてみたら、あれはこども園に寄付すればよかったなぁと思いました。宿屋には、雑巾に乗りそうなタオルとか、子供用のブランコとか、もう使わなくなったようなものがたくさんあるので、こども園の事情によっては、これからも寄付できるものがあるかもしれません。例えば、うちには除雪機があるので、本当に困った時は雪かきの手伝いとかも場合によってはできるかもしれません。もっとも除雪機ぐらい、こども園に設置してあるでしょうけれど。
話わかりますが、うちの息子は、なんだかんだと言って、こども園が気に入ったようです。知らない小さな子供たちと、何の違和感もなく仲良くなれるようなんですね。これはある程度予想はついていました。スーパーに買い物に行った時も、ホームセンターに買い物に行った時も、知らないことすぐに仲良くなってしまうからです。全く人見知りをしないんですね。
おそらくこれは、うちが宿屋であることと、無関係ではないと思われます。毎日毎日、いろんな人たちがやってくる宿屋ですから、知らない人に対して免疫ができているのだと思います。しかし、将来もそうであるかはわかりません。私は息子に対して厳しく接してしまえば、徐々に人見知りになってしまうでしょう。そうでなければ、今のままオープンな性格のまま推移する可能性もあります。
あと、うちの息子は、もともと手がかからない子であったので、あまり親を困らっすような事をしないんですよね。だからあまり厳しくする必要性もなかったのです。だから、人見知りになることもなかったのかもしれません。あまりクズったり、わがままを言ったりせずに、いつもニコニコして他の幼児たちと楽しく遊べるみたいです。特に小さいことか、大人しい女の子が好きみたいで、もうすでに紳士ぶりをみせています。全くもって手がかからない子です。
そういえば、子供には、手のかかる子と、手のかからない子がいますが、宿屋をやっていると面白い証言を聞く機会があります。 手のかからない子供というのは、お母さんが働いてるケース・または自営業のケースが多いのです。
「うちの子は手がかからなかった」
というお母さんは、たいてい働いているんです。ほんとに手間かからなかったのかどうかは、実際見ているわけでではないので、わかりませんが、そう証言しているお母さんの大半は共稼か自営業なんですよ。そして子供さんは、保育所に通っているんです。幼稚園ではありません。
これは保育所のおかげなのか、
お母さんが働いてるから子供が空気を読んでいるのか、
どちらが原因なのかわかりませんが、
きっと両方が原因なんでしょうね。
つづく。
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息子は最初、認可保育所に落ちて無認可(認可より基準は劣るが、市の指定保育室)に預けましたが、初日は1時間だったかなあ…
近所でお茶しながら数日間、待ちました。
ですから、4月1日からの復帰はできません。
2ヶ月後、認可保育所から入所許可の連絡があり移りましたが、無認可園に通っていたから「ならし保育」は本来よりも短くて済んだと記憶しています。
子どもに「親は迎えに来る」と理解させることと、園側も安全を期して子どもの様子を見たいからでしょうか?
無認可の時は泣いて過ごした息子も、預けられるのに慣れたのか、先生方が手厚くお世話くださったからか、新しい園では泣かずに穏やかでした。
建くんは大丈夫そうですね。
宿泊客が入れ替わり立ち替わり来るでしょうから、そういう賑わいに慣れていそうです。
適当に親子のコミュニケーションもとられている様子。
ちょっと生育歴的なことに関心があるので述べていみました。
あ、でも、私は慣らし保育は絶対不可欠だと思います。
私がいた保育園は、最初の三日は、保護者の方に一緒に過ごしてもらうなり、短時間でお迎えに来てもらうなりしていました。
保護者の仕事の都合もあるので、そこは考慮して、慣らし保育はやるけど短縮したりして、その後すぐ一日預かる子もいます。
幼児だったら最初から一日預かっちゃいます。保育園の幼児の場合、いっぺんに全員が新入園児ということはありえませんから、可能です。幼稚園だったらどうなんでしょう…?やはり数日は短時間保育なりになるかもしれないですね。
ただ、特に乳児の場合、預かる側としては何はともあれ食べてくれないとダメなんですよ。
朝からずーーーーーーーーーーっと大声で泣き続けていようと、預かることはできますが、食べてくれないことには健康的にも精神的にもどうなのかとなってくる。だから、早お迎えをしてもらうことになります。そういう、一日預かりになったけど、電話がかかってくるかもしれない期間がだいたい一週間くらい。
でも、考えてください。(乳児クラスだとして)4月、知らない場所に初めてくる子どもが、10人くらいいっぺんにやって来るんです。
場所も知らなければ人も知らない。大抵の初めての場所で子どもが楽しく過ごせるのは、そこに見知った大人がいるからなんですよ。
親がいないと気づいたら普通、泣きます。10人の子が泣きます。
大丈夫そうだった子も、だれかが泣いていれば釣られて泣きますし、やっと泣いて気が紛れて遊び始めた子でも、また思い出して泣きます。
慣らし保育後でさえ、こういう状態が一週間くらい続きます。少しでも子どもの負担を軽くするために、保育士や場所を知る期間、また保護者にどんな感じで過ごすのかを知ってもらう期間なんだと思います。
それから、保育園で手がかかる子って、家でいい子だったりしますよ。625さんのおっしゃっているのはこのケースだと思います。
逆に、幼稚園でしっかりしている子は家では結構甘えてたり、園での姿からは想像できない感じだったりするようです。幼稚園に来て、個人面談をして、大抵の場合、子どもの姿が園と違うので驚きました。
幼稚園の子にとって、集団の場、幼稚園は頑張る場所で、家は甘える場所みたいです。甘えられる環境なんですね。
保育園の子にとっては、園も生活の一部みたいなところだと思うので、集団生活での頑張りもあるけど、おうちでの親の様子を見るところもあって、自分が出しやすい方で出しているんだと思います。
あんみつさん
>「ならし保育」、こちらの保育所もありますよ。
それは知りませんでした。というのも昔はそんな制度はなかったからです。私の例をとると、生後2ヶ月で、近所の老婆たちに預けられました。いろんな家を転々と預けられたようです。しかもその時の記憶がいまだにあるんですよね。昔の公務員は、生後2ヶ月で仕事に請求しなければいけなかったので、うちの母親はきつかったと言っていました。
あと、お客様によっては、そういうものがなかったというところもあるんですよね。先日とまっられたお客様も、神奈川県ではありましたが、乳幼児の頃に保育園にすぐに預けて仕事に行ったそうです。私のパターンと一緒でした。ただし、公立保育園に入ることができなくて、待機児童として私立の保育園に入ったようです。入学金何十万円で、毎月10万円かかっていていたようです。しかし、それが無駄になるわけではなくて、私立の保育園に多額の費用をかけると、それがポイントに加算されて、ある程度のポイントが貯まると公立保育園に入ることができるんだそうです。地域によって色々な制度があるんだなぁと感心しました。
625さん
>本当に手がかからなかったらいいのですが、実は寂しかった、
>もっと甘えたかったと、のちのち吐露するケースも聞きます。
>徒労だといいのですが。
こういうケースは、むしろ大きくなってからでは無いでしょうか? 手がかからないケースの大半は、きちんと躾をされている場合だと思います。しつけにもコツあります。脳科学的に言うと3歳を過ぎて躾を行っても効果的ではないんですよね。 2歳児のイヤイヤ期に躾をするのが最も効果的だと聞いています。その時に、きちんと躾をしてないと、どんなに甘えても、甘え足りなくなるんですよね。
犬を飼う人ならよく分かると思いんですが、犬のしつけにも時期というものがありまして、生後6ヶ月以前に躾をしても効果が薄いんですよね。効果があるのは生後6ヶ月からです。あと、生後3ヶ月までに、外に出して遊ばせないでいると、走らなくなるんですよ。いわゆる引きこもりになります。時期と躾というのは、非常に重要なわけです。これを臨界期というんですけれど、臨界期をすぎてしまうと、とたんに効果が薄くなるんですよね。これは人間でも一緒で、最近の脳科学では、保育所や幼稚園に入る前の一年が非常に重要だと言われています。
さて、ここからが本題ですが、親に甘えることと、躾がきちんとされてるかどうかというのは、関係性は低いと思います。また、親が厳しくても、きちんと躾がされてないケースもあります。一見子供に甘いように見えても、躾がうまくいっているケースもあるんですよね。これは、躾されている時期が、効果的な年齢だったために、ちょっと褒めるだけでうまくいくケースもあると思うし、効果的な年齢でなければ、全くうまくいかないケースもあると思います。特に言葉が、うまく使えない場合は、相手の空気を読む力が強いですから、こちらも空気を読むと、相手のそれの真似をして、あまり迷惑をかけない行動をとるようになるように思います。
まるさん
>私がいた保育園は、最初の三日は、保護者の方に一緒に過ごしてもらうなり、
ああ、これいいですね。
できれば私も最初の三日間は一緒に行きたいです(笑)
残念ながら、そういう制度ありませんけれど。
息子が保育園で、どのような遊び方をするか観察したいです。
それが無理なら、隠しカメラを設置したいぐらいです。
実は、昔預けた託児所では、 24時間見られるライブカメラが設置してあったんです。あれは便利だったですね。うちの息子は、当時1歳でしたが、託児所が大好きだったようで思いっきり遊んでいました。
それはともかくとして、保護者の仕事の都合を考えて慣らし保育を短縮したりして、その後すぐ一日預かる子もいるというのはいいですね。
>幼児だったら最初から一日預かっちゃいます。
うちのお客さんに、このケースがありましたね。生後数カ月で、最初から預けていたお母さんがいました。このお母さんとお話をすると、びっくりすることが多いです。まず、いつオムツが取れたのか知らないんですよ。保育所の先生が、みんなやってくれたみたいで、年小組に入るかなり前にオムツが取れていたようです。
>ただ、特に乳児の場合、預かる側としては何はともあれ食べてくれないとダメなんですよ。
>一日預かりになったけど、電話がかかってくるかもしれない期間がだいたい一週間くらい。
これはしょうがないですよね。実はうちの嫁さんは、ドコモショップの副店長やっていたわけですが、その時に雇っていたパートさんが、役に立たないとこぼしていました。理由は、子供の状態が悪くて保育園や幼稚園に子供を迎えにいかなければならなくて、仕事が回らなかったからです。その頃は、困ったやつだなぁと思っていたみたいなんですが、今は全く違う考えになっていると思います。
>親がいないと気づいたら普通、泣きます。10人の子が泣きます。
これに関しては、うちの子には当てはまらないようです。これは家が宿屋であることと無関係ではないと思います。あと、私も家内も、四六時中一緒でいることと無関係でないかもしれません。誰かが泣いていると、慰めるような仕草をしています。その時はにこにこ顔です。まぁ、実際こども園に入ってみたらどうなるか判りませんけれど。
>幼稚園の子にとって、集団の場、幼稚園は頑張る場所で、
>保育園の子にとっては、園も生活の一部みたいなところだと思うので、
なるほど、この両者の比較面白いですね。ライブカメラで、幼稚園と保育園を両方見ることが出来たら、面白いものを発見できるかもしれません。できれば託児所も一緒に比較すると面白いですね。ここ最近で脳科学が発達したのは、ライブカメラのせいだと聞いています。いろいろな画像サンプルを集めると非常に面白い結果が出るかもしれません。
なるほど、確かに宿屋さんという環境は、小さな子にとって恵まれていますね。知らない人に会う経験が、自分の一番よく知った場所である家で、ご両親も必ずそこにいる中でできる。だから、穏やかに過ごせる。その経験を重ねていますもんね。もしかしたら、知らない人も、何度も宿に来てくださっていれば、いつか知ってる人になることも感覚的に分かってるのかもしれないですね。
パンツの練習は、保育園では1歳クラス(4月の時点で1歳の子たち)の夏頃から始めてました。
月齢の高い子は、ちょうど2歳を過ぎた頃、服を脱ぎやすい暑い時期、スタートするのにちょうどいいんですよね。月齢の低い子はタイミングが冬になってしまうので、だから月齢の高い子よりかはパンツになるまでの期間は長いかもしれません。
寒い時期の長い北軽井沢で、3月生まれの健くんには、夏から始めて一回崩れてこども園に間に合うかどうか…というところですかね。
ライブカメラ、撮られる方は嫌ですけど、同じ子をおうちでの様子と見比べられたら面白そうですね。
これは宿屋という特殊な環境であることが原因だと思いますけれど、その他にももう一つ理由があると思います。これは私が意図的に行っていた事なんですが、 0歳児の頃から好奇心だけをくすぐっていたんです。具体的に言うと、背負って、どこにでも連れて行ったわけです。それこそおもちゃ王国から、託児所から、浅間牧場などの観光地から、スーパーや、こども園など、あちこちに引きずり回したんですね。
これには理由がありまして、犬の飼育の経験を踏まえて行っています。犬というものは本来走る動物です。特に牧羊犬は走らないとイライラするものなんですね。ところが、ドッグランなんかに行くとわかるんですが、全く知らない牧羊犬が7割以上いるんです。で、飼い主に聞いてみると、生後3ヶ月ぐらいまで家から出さないんです。そーゆー犬は走らなくなるんです。生後4ヶ月ぐらいまで家から出さないのは、もっと走らなくなります。ドッグランに連れて行っても、臆病に隅っこで震えているだけです。そして、その性格を直すのに時間がかかるわけです。そういう実例を散々見てきていますので、うちの愛犬コロは生後2ヶ月で外に出しているんです。 11月生まれだから、 1月の寒い時期に、さんざん外で遊ばせてみました。すると、ものすごく走るわけです。好奇心も強くて、活動的になりました。また、興味のあるお客さんに片っ端から抱かせましたので、人間に対しての警戒心も持ちません。
これが猫になると、もっとすごいですよね。猫は、飼い猫であっても生後4ヶ月ぐらいまでに人間に抱かれてなければ、人間をひどく警戒するようになります。逆に、野良猫であっても、生後2ヶ月ぐらいから人間に抱かれれば、人間を警戒しなくなりますね。
このように、犬と猫の飼育事例から、人間にも当てはまる可能性が高いと思って、 0歳の頃から盛んに外に連れて行ったんです。そしてお客さんにも抱っこしてもらいました。もちろん、最初は人見知りが激しかったですが、 1歳8ヶ月ぐらいから、人見知りしなくなり、好奇心も強くなってきています。社会のルールもきちんと守れるようになってきました。ただ、ちょっとだけ心配なのは、人間を性善説で捉えすぎているところです。これからこども園で人間関係で、もまれるでしょうから、その時に初めて苦労するのかなーと思っています。自分がルールを守っても、他人がルールを守るとは限りませんからね。
動物と比較して考えたことはないので、私には、なんとも思い当たることが経験としてないですが(猫や猿を見て、一歳前くらいの子と同じ、と思ったことがあるくらい笑)、その視点での色々な事例があったら興味深いですね。
思い出したのは、フランスで見ていた子のことです。
去年の夏、3年ぶりにフランスに遊びに行ったとき、
友達の子どもR(4歳仏人)とはコミュニケーションががうまくできなかったのに、
私が見ていた子M(5歳仏人)とは、当時と変わらず、楽しく過ごせたんですよね。
私の話す仏語は、やっぱり音とかおかしいはずで、大人と違って、普通の子はそのおかしな言葉を話す人のことを少し下に見るというか、同じ大人だとは思わないと思うんですよ。
これは、今ベトナムで働いていても、やっぱり流暢ではない日本語を話すベトナム人先生のことを、子どもが日本人の先生と同じとは思っていないことが見ていてわかるので、そういうものなのだと思うんです。
けど、Mとはなぜか、基本、言ってることが分かったし、分からなければ、どういう意味か聞けば他の言葉を探そうとしてくれました。
Mは、当時から(1歳半ー2歳)、世界には仏語ではない言葉を話す場所があり、人がいることを、肌で分かっていたように思います。それは、私の存在もあったろうし、劇団の人達と一緒にヨーロッパ中を行っていたからだと思うんです。
その違いが、この反応の違いなのかな、と思い、肌でわかって自然に振る舞えるこの子、すごいなと思いましたね。
タイミングの差というよりは、経験の差かとは思いますが…
でも、タイミングという視点でみれば、彼のように小さければ小さいほど、意識してそうなるのではなく、自然にそう思えるのだろうなとも思います。
幼児教育の本には、あまり書かれてませんね。でも脳科学・認知学・動物学では、けっこう重要な問題です。特に犬の現場の専門家にとって重要で、この発想がないと、噛まれたり怪我をしたり犬が瀕死の重傷をおったりしますから重要だと思います。
ただし、例外もありまして、窓際のトッとちゃんで有名な、トモエ学園の校長先生が、ここに目をつけています。彼(金子宗作)は、嬬恋村の近く。岩櫃城あたりで生まれており、彼の「早教育」理論は非常におもしろいです。なぜかウィキペディアには載ってないんだけれど。
東京の保育園では、それほど熱を入れてやっていなかったと思うのですが、広島出身の先生たちはけっこう熱心で、そんなに語るほどのものだったのか!と認識が違うことにびっくりしています。てっきり広島、そうでなくても、西日本発祥のものだと思っていました。
リトミック自体も、その、早教育理論に基づくものの一つなのかもしれませんね。
広島の先生たちが実践方法の一つとしてのリトミックを見てすごい!と思うことも、トモエ学園の先生の独自の考えに基づいてできたものと聞くと、なんとなく頷けそうですね。
とはいえ、そんなに印象に残るようなリトミックや総教育論を自分の経験で見ているわけではないので、まず自分でそう感じてみたいです。