ただし、それは集客のためというよりも、私を必要としてくれる人のためのツアーです。つまり何らかのワケありの人(例えば視覚障害者など)からお声がかかったら、よほどのことがない限り断らずにツアーを出していたんです。そのなかの1組のお客様から、神戸牛の贈り物が届きました。神戸牛ですから、かなり高かったと思います。それを家族でいただきました。食べながら、さっきまで3人のお客様と根子岳から四阿山まで縦走した思い出にふけっていました。
根子岳から四阿山の縦走を行いたいとゆう3人のご高齢のお客様がいました。
3人のお客様のなかには80歳近くになろうとする方もおり、しかもその方は脳溢血でいちど倒れていました。しかし、奇跡の復活を遂げて、去年は浅間山に登っています。そして今年は、根子岳と四阿山を縦走したいという希望でした。しかし運悪く、ちょうど梅雨のシーズンにあたり、梅雨前線まっただ中に根子岳と四阿山が入ってしまいました。
ああ、これは絶対無理だな。
雨の中、高齢者に縦走を強いるのは無理です。無茶です。登山口までは、行くだけは行きますが、内心絶対無理だと思っていました。しかしです。奇跡的に、その日は根子岳の辺りだけが、晴れたんです。これはたまに、起きることで、下界では雨が降っていても、標高2,000メートル以上は、晴れていることが稀にあるんですよね。つまり、雲海の上だけがぽっかりと晴れることがあるんです。また、梅雨前線は、ちょっとした気圧の変化で、上下に移動して、一定の地域だけ晴れることがあるんです。私は山の神様に感謝しました。そして 3人のお客様を縦走に連れて行こうと決意したのです。
さいわい、お客さんも、体力だけはありました。
話を聞くと、 1年も前からこの日に向けて
毎日トレーニングを続けてきたそうです。
おかげで根子岳までは、コースタイム通りでした。私が荷物を担いでいるとは言え、 80歳近くでありながら、コースタイム通りに上るというのは至難の業です。ましてや脳溢血から復帰した人ですから、この体力は驚異的ともいえるでしょう。
しかしです。問題は下山の時におきました。根子岳から四阿山に向かう途中、標高を150メートルぐらい降るところがあります。そこで、問題が生じました。脳溢血の後遺症が出たのです。足の動きと、脳の動きが、下山の時に限ってシンクロしないのです。そのために、走って下山する様になって、私がそれをブロックするために、何度も抱きかかえる羽目になりました。体力は、 1年にわたる訓練でなんとかなりましたが、脳溢血の後遺症だけは、訓練でどうにかなるものではなかったようです。
しかし、それから四阿山の登山は、順調でした。ほぼコースタイム通りに登れたのです。 1年間の訓練の賜物です。 2人の親友が、一緒になって訓練してくれたおかげかもしれません。これはすごいことです。その年齢で、根子岳と四阿山を縦走することだけでも大変なのに、脳溢血からの奇跡的な復帰登山ならですから、本当にすごいことだと思います。これはご本人の努力もさることながら、 2人の友人のサポートも素晴らしいものがあったと思います。 3人は良い山仲間だと思いましたね。
きっと山の神様は、そんな3人に、素晴らしい天気と、
たくさんの花畑をプレゼントしてくれたんだと思います。
ちなみに、登山にかかった時間は、ほとんど休みなしに歩いて9時間30分。
これを病後の後期高齢者がなしとげたわけですから、驚かされますね。
つづく。
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