うちの息子ときたら素直に絵本の前でじっとしてくれません。絵本にかみついたり、足で踏みつけたり、破こうとしたりします。それをむりやり押さえつけて読み聞かせをすることもできなくはないですが、それこそ「干渉する教育」です。下村湖人や、次郎物語の次郎のお父さんにしてみれば「教育しすぎる」ということになるでしょう。
だから私は、絵本は諦めて、息子の前で大声でポースターか何かの簡単な文字を読んで見せました。当然のことながら2歳児の息子も親の真似をします。2歳児は何でも親の真似をします。
というか、たとえ悪いことでも親の真似をしたら褒めました。
だからますます真似るようになる。
で、私が看板やポスターにある平仮名を読む。
息子も真似して読む。
そして息子に真似をさせることによって、
ある程度、文字が読めるようになったら、
今度は絵本の文字を読む。
もちろん息子も真似して読みます。
そのうち息子は、中身を暗記してきます。
そしたら「お父さんに絵本を読んでちょうだい」と頼む。
すると読んでくれます。
これが『干渉しない教育』で、親ではなく息子の方が親に絵本を読んで聞かせるのが、我が家の読み聞かせです。3歳の息子が、知らず知らずの間に親に絵本を読んで聞かせるようになる。これっぽっちも強制されていない。だから息子にしてみたら父親と遊んでいるつもりで楽しそうにしている。下村湖人は、こういう教育を行って青年を育てていました。
この下村湖人の教師としての態度は、不思議と脳科学者の先生が言っていることと似ています。幼児は大人の真似をする癖があるので、真似をさせることが大切だという脳科学者(瀧靖之先生)が言ってることと似てるんです。
下村湖人は『心窓去来』という短編集に「子供は大人の真似をする。このことを大人が忘れさえしなければ、子供の教育は、さほど困難なことでは無い。しかるに世の大人たちは、御苦労にも子供たちに自分の真似をさせまいとして、いつも苦労し俺それを教育だと思い違いしてるかのようである」と書いています。脳科学者(瀧先生)と同じようなこと言ってます。ついでに言うと戦前の教育学者たちも同じようなことを言ってました。
戦前では、子供に余計な教育をしてはいけないと言う考え方がありました。当時は子供が多かったからです。十人ぐらいの子供も珍しくなかった。そのような時代では、兄弟姉妹に対する不平等が子供の心に深刻な影響を与えることが問題になっていました。子供が多いと、平等なつもりでも、どうしても穴がでて、不平等な躾をしてしまいがちになる。それを題材に多くの児童文学が生まれましたが、次郎物語やニンジンなどがその代表作です。
なので当時の教育雑誌等には、子供の教育は親の背中でしろという考え方がありました。親の働く背中を見せることによって、子供たちは自然と大人になっていく。それで良いとされていました。きっと当時は、サラリーマンなどは少なくて、ほとんどが農家や自営業でしたから、親の背中を見せやすかった。
子供は勉強しろと言われても勉強しませんが、親の後ろ姿を見てその真似はする。そういう意味では、子供は親の鏡とも言えます。だから子供を勉強部屋に追いやって、自分はテレビのお笑い番組をみていても、子供が勉強するわけがないです。
子供の個性は、親の後ろ姿や兄弟の後ろ姿を見ることによって少しずつ育っていきます。ところが、子供部屋があるとそういうチャンスは本当に少なくなります。社会化の勉強をする機会を失っているわけです。だから、むしろ貧しかった時代の子供たちの方が個性が育つのです。ようするにスポック博士の言っていたことは、全て逆だったというわけです。これが聖書の次に売れた本で、しかも母子手帳にまで影響があったというから戦後の育児教育のインチキ臭さに個人的に驚しています。
話を戻します。
ここから本題に入ります。
どのような方法で3歳児の息子を自力で(親の手を全く借りずに)三千メートル級山に登るように育てたか?と言うのが今回のテーマです。
結論から言うと、「自分から登りたい」と思わせることです。そうしないと絶対に登りません。幼児は、煩悩の塊で嫌なことは絶対にしません。スパルタは通用しません。スパルタが通用するのは、小学生の高学年か、中学生になってからだと思います。年齢が低いほどスパルタは逆効果な気がします。
これは息子が1歳3ヶ月の頃、ちょうどヨチヨチ歩きで歩けるようになった頃に分かりました。歩くのが楽しくて楽しくてたまらないという息子を、毎日近所の牧場に散歩に連れて行ったんです。最初は喜んで歩くんですが、帰ろうとすると激怒しました。最初は、帰りたくないのかなぁと思っていましたが、どうもそうではないらしい。かといってわがままを言ってると言うわけでもない。
車で別の場所に移動して、全く別の道路を散歩させてるときも、同じようなことがおきました。ある一方方向にしか歩きたがらないのです。具体的に言うと北軽井沢で散歩させると北側のほうにしか歩こうとしない。しかしどういうわけか軽井沢で散歩させると南側にしか歩こうとしません。まるで浅間山から遠ざかろうとしているんです。
変だなぁと思ったので工具箱から水平儀を持ってきて散歩コースを測ってみたら、息子が行きたがる方向は必ず下り坂だった。大人には全く気づかないぐらいの微妙な下り坂だった。その微妙な下り坂を1歳の息子は喜んで歩くけれど、ちょっとでも登り坂になるとすごく嫌がる。大人にはまったくわからないのですが、2歳の息子には、どんなに微妙な坂もわかっていた。そのくらい疲れることを嫌がっていた。
これは3歳になっても同じで、うちの息子は大人でも息を切らして登る四阿山・浅間山・八ヶ岳で息を切らしたことがありません。息を切らしてまで登ろうとはしないのです。そういう苦行を基本的に受け付けないのが幼児。小学生ならともかくとして、幼児という生き物は、楽しくなかったら絶対に登らない。
道路には下り坂もあれば、必ず登り坂もあります。下りっぱなしで散歩から帰るなんて不可能です。そこで散歩コースを変えることにしました。牧場ではなくて登り坂ですが迷路のようになっている別荘地を散歩することにしました。
別荘地のなかには、様々な草花や置物が飾ってあったりして、息子の好奇心を満たしやすい。何より別荘地に行くには坂を登る必要がある。はたして登ってくれるだろうかと思ったのですが、やはり登ってくれません。
5メートル歩いては道端の石ころをいじったり、10メートル歩いては野草をいじったりして、なかなか前進しない。最初は百メートル歩くのに1時間もかかりました。しかし脳科学の先生は非常に良いことだと言っていたので根気強く我慢しながら息子の好奇心につきあいながら、少しずつ散歩コースを伸ばしてきました。そして少しずつ少しずつ体力をつけていくと、10メートル、20メートルになり、それが30メートル、40メートルになりました。
そうやって体力がついてくると、あれほど帰るのを嫌がっていた牧場コースも難なく帰れるようになってくる。丘陵地帯である浅間牧場に連れて行っても、喜んで歩くようになります。
浅間牧場は、アップダウンの激しいところで、大人でも運動不足の人は息を切らします。幼児は息を切らしてまで歩きませんから、うちの息子もタダでは登ってくれません。何らかの好奇心を満たさないと駄々をこねて登りません。だから毎日、いろんなもので釣りました。
あるときは、枯れ枝を振り回してみたり、あるときは枯葉を大空に舞い上げてみたり、タンポポの綿毛を飛ばしてみたり、野の花を摘んで差し出してみたり、いろんなものを息子に見せて、坂道を上らせたのです。
幼児は、好奇心の塊なので坂道を上るという苦行よりも好奇心の方が勝ってしまう。ときには駄々をこね、ときには全く前進しないことも多かったのですが、根気強く毎日出来る限り浅間牧場の散歩を続けました。途中何度も倒れては傷だらけになりましたが芝生なのでたいした怪我しません。
そうやって1歳をすぎ2歳となった頃には、自分の体の半分もあるのかという階段をスイスイと上れるまでになりました。ちょうと2歳6ヶ月くらいに登山できるレベルの体力がついてきました。
けれど浅間牧場は、見渡す限りの芝生なので、倒れても大して怪我をしませんが、登山道では死につながります。登山道で倒れるわけにはいかない。つまり子供の手を握って山に登ることになります。つまり山に登るためには腕の筋力と肩が脱臼しない頑丈さが必要です。
なので公園で盛んに鉄棒をやり、アスレチックで遊ばせました。毎日寝る前には、マット運動・でんぐり返し・綱引き・逆立ちもどきを行って、腕と肩と握力と骨を鍛えました。バク転は無理にしても、親の手を持って空中回転するぐらいの身のこなしをマスターさせました。
もちろん遊びながらです。息子は毎晩寝る前にキャッキャと笑いながら布団の上マット運動・でんぐり返し・綱引き・逆立ちもどきで遊んだ後に眠ったのです。危険な岩場・鉄ハシゴ・鎖場などがつきものの百名山に3歳児が登るわけですから、少々のことでは脱臼しない体に改造しなければなりません。こうやって丈夫な体に鍛え上げたのです。
つづく。
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