私たちは、佐渡島の北の果てにある岩谷口に向かいました。
岩谷口はバスの終点です。そこから先も道があることはありますが、その道も昭和44年まで完成しませんでした。それまでは岩谷口から鷲崎まで一日二便の船が交通手段であり、そこから両津までも船が出ていました。つまり佐渡島で一番の僻地が岩谷口だったのです。
しかし、この岩谷口には、江戸時代から200年以上もつづいた旅館がありました。これが後の外海府ユースホステルとなる外海府旅館です。こんな辺鄙なところに、200年も前から、何故?大きな旅館があったのか? という疑問が、佐渡島民なら思うことでしょう。しかし、あって当然なのです。
今でこそ寂れている岩谷口も、江戸時代初期から中期にかけて大量の船が出入りする一大貿易拠点だったからです。取引先は、津軽・秋田・新潟・敦賀・下関・瀬戸内・大阪と広範囲に及び、岩谷口は大商業地帯になっていた時期があったのです。もちろん相川金山へ、資材・農産物・日用品などを送るためです。外海府ユースホステルの御先祖様も、大量の薪炭を相川金山に供給するために大もうけした口で、自宅を旅籠にして、おとずれる商人たちを宿泊させたりしています。それが外海府旅館です。
登山家・中村謙も、渾身の力作『山小屋の旅(昭和41年発行)』で彼は、内海府の虫崎から外海府の岩谷口までの海岸歩きコースを、
「怒濤が岩をかんで作り出した大自然の芸術は、まさに壮美というほかはない」
と手放しで絶賛して、ハイキングコースとして多くのページを割いて紹介しています。そして外海府旅館を紹介しています。それによると昭和41年当時で700円とあります。
ところで、この外海府ユースホステル。このユースホステルこそ日本で一番素晴らしいユースホステルかもしれません。部屋にしても料理にしてもいろいろなところが素晴らしいのですが、このユースホステルの魅力は、まだ観光化されてない秘密の穴場を大量にかかえているからです。もちろん、ここには書きません。心ない人たちに外海府の穴場を荒らしてほしくないからです。
建物は、2000年に建築された比較的新しい建物ですが、古民家風で宿全体がバリアフリーになっています。もともとこのユースホステルは、築200年以上の佐渡島でも最も古い古民家でした。しかし、2000年に火災で燃えてしまい、再建されたのが、今の外海府ユースホステルになります。
設計士は、稲田信之さんといって、この宿のリピーターさんだったか、元ヘルパーさんだったかの人で、外海府とユースホステルを知り抜いている方だったようです。で、御客様が使いよいような設計をしたようです。
http://atelier-baku.com/index.html
廊下は広いですが、これは200年前の古い建物だったときから、こういう建築でした。囲炉裏があったり、ピアノがあったりします。このピアノで、海外の有名なピアニストが、コンサートを開くこともあるそうです。当然のことながら、この宿を愛してやまない外国の方も大勢いらっしゃるようです。トイレも、お風呂もすばらしく、佐渡の郷土史なんかも充実しています。なにより徒歩一分で砂浜の海岸にでられます。
圧巻だったのは、その食事でした。
「いや、これじゃ赤字だろ!」
と叫びたくなる内容です。まずカニの大きさにびっくり。マネージャーさんは「安物です」と言ってましたが、東京の料亭でこれを食べたら、それだけで外海府ユースホステルの宿泊代を越えてしまいます。おまけにサザエ御飯の美味しいこと美味しいこと。なんと贅沢な食事なんだろうと思ってしまいました。もちろん息子も大喜び。
このブリが美味しいこと。
佐渡のブリは、ひと味違う。
カニは、季節ものなので、漁の時期でないと食べられない。
佐渡でカニを食べるなら秋が良いかもしれない。
そして食後、私はマネージャーさんにお話をうかがいました。
で、驚愕の真実を知ることになります。
つづく。
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