しかし、私は何回も降りています。降り方は、今は亡き外海府ユースホステルの矢部のおじいちゃんに聞きました。あえて、ここには公表しません。降りると、巨大な大滝があるのに加えて、おくに巨大洞窟がありますが、それも佐渡島のどの資料にも載っていません。
次に向かったのが大野亀。
この大野亀。昔は登れたんですが、いまは禁止されています。頂上には、昔の灯台らしきものがあります。このへんは佐渡でも最も美しい場所で、北海道の礼文島に似ています。春にはカンゾウが咲き乱れ、人々でごったがえします。佐渡一週道路ができる前までは、秘境として、全国の登山家が訪れたルートでもあります。登山家・中村謙の登山ガイド『山小屋の旅』にも詳しく紹介されており、そのコースの魅力を絶賛しています。願村は、ここからすぐそばです。
これが願村です。
松浦武四郎によれば、ここにも砲台があったようです。
願と書いて『ねがい』と読みます。全国から、いろんなねがいをもった人々が、この村の石動神社に訪れて願い事をしました。
この村に何を願う人々が多かったのでしょうか?
その願をこれから訪ねてみます。
下の写真は、賽の河原です。
ここに人々の願いがあります。
松浦武四郎の佐渡日誌によれば、「岩が多く並んでいる浜に、小石がたくさん積まれている。土地の人によれば、夕方にそれを崩しておいても次の朝に必ず元通りになっている。そばに洞窟があり、地蔵が安置されている」とあります。写真のとおり、無数の地蔵が安置されています。
内田康夫の浅見光彦を主人公とした推理小説の最高傑作『佐渡伝説殺人事件』は、ここを舞台としていますが、内田康夫は軽井沢の住人なんです。実は、この願村は、軽井沢&北軽井沢と佐渡島をつなげる重要な場所でもあります。
一つは内田康夫の浅見光彦シリーズ。
もう一つは、満州引き揚げ者の開拓地としての共通点です。
軽井沢も北軽井沢も嬬恋村も、満州から多くの引き揚げ者を受け入れていますが、佐渡島の願村も同じでした。願村には、山の方に二重平という大地があるのですが、そこに満州からの引き揚げ者の入植者が、かなりの数入りました。入植者たちは非常に苦労して開墾を行ないましたが、このあたりは佐渡島でも指折りの自然が厳しいところだったので、餓えと寒さと山ヒルなどの天敵に苦しみました。もちろん子供たちも大勢居て餓えながら開墾を手伝いました。
あまりに酷い状況に願村の人たちは同情して魚などを分け与え、外海府村も掘っ立て小屋を建てて、海府小学校・中学校の分校を作りました。しかし開墾生活で食べてはいけず、次々と出稼ぎにでるようになり、高度経済成長時代となると、食料があまりはじめ、国は離農する人に、離農資金を出すようになり、次々と離農者がでて、最終的には一軒の家も無くなってしまいました。
私は、25年前に、大佐渡山脈縦走のついでに、この二重平の跡地を探検したことがあったのですが、かっての開拓地は森の中に沈んでしまい、道路も無くなっており、人の気配さえありませんでした。北軽井沢・軽井沢の入植地とは大違いです。ただし、二重平の開拓者たちは、その後、東京などに上京し、それぞれ立派に成功したと聞いています。
犀の川原からさらに進むと、二つ亀です。
このあたりは、縄文遺跡がたくさん出土しています。
二重平にもです。
二重平の開拓で、縄文土器が出土したのです。
二つ亀は、干潮ならわたれるのですが、満潮のためにわたれませんでした。どのガイドブックにも、郷土資料にも、インターネットにも載っていませんか、二つ亀の反対側には、非常に面白いものがあるのに、それを画面で紹介できないのが残念です。現在の佐渡島の情報は、観光ガイドにしても、インターネットにしても、非常に浅いものばかりです。北軽井沢に住んでる私にしてみれば、
「何をやってるんだ?」
という感じで歯がゆいばかりですが、外海府ユースホステルの矢部のおじいちゃんのように、わざと情報を隠しているケースもあるので、やはり訳があるんでしょうね。ディープな情報を知りたい人は、島民に信頼されないと、教えてくれないかもしれません。しかし、情報を隠し持つあまり、その人が他界してしまったら、どうするんだろう?と私などは、思ってしまいますが、そのへんは大丈夫なんでしょうか?
つづく。
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