それを解明するために人類交替劇プロジェクトというものが立ち上がっています。世界中の各分野の学者たちが、ネアンデルタール人が滅びた原因をさぐる人類交替劇プロジェクトです。このプロジェクトは、従来の専門家の他に、文化人類学、発達心理学、生体力学、精密工学、認知神経科学、古神経学などの異分野の人たちを巻き込んで、学問の相互乗り入れをしたユニークなプロジェクトでした。
そのプロジェクトの中で、私にとって面白かった研究は、ネアンデルタール人が社会学習を得意としていたのに対し、ホモサピエンスが個体学習を得意としていたというところです。これをまとめると、こうなります。
◆ネアンデルタール→社会学習を得意(他人を模倣して作る)
◆ホモサピエンス →個体学習を得意(個人が創意工夫する)
社会学習を得意とするネアンデルタールは、親や大人が子供に石器の作り方を教えていたわけです。その方法は伝統的に受け継がれ、そのために生息地域もヨーロッパという狭い地域にしかネアンデルタールは定着しなかった。
では、ホモサピエンスはどうだったか?
というと、どうも、そうではなかったらしいのです。
人類交替劇プロジェクトの文化人類学者グループが、人類交代劇が起きた頃のホモサピエンスに最も近いといわれる狩猟採集民を観察することによって、ホモサピエンスの学習行動の特徴を明らかにしたわけですが、未開の奥地に住む狩猟採集民は、子供に何も教えていない。子供は、親のやることを見ているだけで、何一つ教わってないという事がわかった。
母親は、料理を作っている姿を見せるだけ。
父親や、年長の子供たちも動物を捕らえる罠を作ってみせるだけで、
決して教えようとはしない。
狩猟採集民の子供たちは、見てるだけなんです。
学校制度の整った先進諸国の人間からすると、奇異に感じるかもしれませんが、人類交代劇が起きた頃のホモサピエンスは、子供たちに社会学習をさせてなかった。そのためにホモサピエンスは、創意工夫を必要とする個体学習の力を育てる必要があったわけです。その結果、創意工夫する力が育ち全世界のあらゆる地域に対応していった。
逆に言うと、今の学校制度というのは、ホモサピエンス型ではなく、ネアンデルタール型の学習行動に近いんですよね。しかし、社会学習のネアンデルタールは、生存競争でホモサピエンスに負けている。
ここから本題です。
この仮説の正否はともかく、幼児は、徹底的に親の真似をしますね。教えて無くとも親の本能的に真似をする。そして学習する。ホモサピエンスの原型である狩猟採集民と同じです。幼児は、強制しなくともホモサピエンスのように個体学習をする。逆に言うと社会学習を拒否する。
「これこれをしなさい」
と命令すると天邪鬼のように反発する。ネアンデルタールのように素直に社会学習してくれない。
親が口で言ったことに反発し(社会学習を拒否)、
親の日常行動を真似する(進んで個体学習する)。
幼児という存在は、ホモサピエンスの学習行動にそっくりです。
というか、ホモサピエンスの本質そのものです。
逆に言うと、幼児を操るのは簡単で親が手本を示すだけでいい。
私は、脳科学者の本に「子供は親の真似をする」と書いてあったので、半信半疑で、ある脳科学者の実験の真似をしてみました。息子が二歳の時に、毎日一緒に風呂に入って、そのたびに風呂場に貼った「あいうえお表」を読んでみたら、息子も真似をして二週間で平仮名をマスターしてしまった。
二歳の息子は勝手に個体学習してしまった。逆に、その息子に漢字の勉強という社会学習。つまり勉強を強要してみたら拒否されてしまった。そして一年間、漢字を覚えようとしなかった。幼児は、徹底したホモサピエンスタイプなんだなと思ってしまいました。
話は変わりますが、
うちの息子は、字だけは二歳になる前に読めるようになっています。
勝手に個体学習をして読むようになっています。
けれど、字を書くことは、なかなかしなかった。
当たり前のことなんですが、字が書けなくて当然です。
親の私が字を書いてないからです。
パソコンばかり使っている。
だから息子は、個体学習のしようがない。
そして「字を書け」と命令すれば社会学習になるので、
どうしても反発してしまう。
これじゃ一生かかっても字が書けない可能性が高い。
そこで私は、100円ショップなどで迷路の本やパズルを買ってきて、息子と一緒に寝る前に、迷路やパズルをやるようにしました。迷路やパズルで、字を書く握力をつけるためです。息子は、人より成長が遅く、子供園では「落ちこぼれ」だったために、子供園の先生の紹介で専門の先生に指導を受けていたんですが、その先生が
「指の力がつくまで、文字を書かせないように」
「文字よりも前に、指を鍛えなさい」
と言っていたので、そのために迷路なんかを買いました。
もちろん最初は私が迷路で遊びます。鉛筆で迷路に線を書きながらスタートからゴールをめざします。それを見た息子は、すぐに真似をしはじめます。私から迷路を取り上げて熱中する。それを私は側で見てると、息子はますます熱中する。そうやって、指を鍛えたからこそ、私の母親が30分教えるだけで、自分の名前を書けるようになったと思うのですが・・・・。
しかし、ここが面白いところですが、そばで見てないと息子は数分で迷路ゲームをやめてしまう。私が料理の準備をしだすと、そっちに興味がいってしまう。逆に側で見ていると何十分も迷路ゲームをして厭きる様子もない。でも、こっちが厭きてくるから私が本を読み始めると、息子も真似して絵本を読み始める。親の真似をする。親の後を追い、親の真似をしながら勝手に個体学習をはじめる。
しかし私が「そっちじゃなくて、この絵本を読んだら?」と提案すると拒否する。私の提案は社会学習そのものなので、息子の奴は、社会学習を拒否する。けれど個体学習は進んでやる。親の後を追い続け、親のやることを模倣して、親の行動を真似する。やってることはホモサピエンスそのものであり、狩猟採集民の個体学習と同じです。
逆にいうと、幼稚園・保育園に行きたがらない幼児は、本能的に社会学習を拒否しているのかもしれない。母親の側で、個体学習をしたがるホモサピエンスの本能みたいなものかもしれない。そうなると、
幼児という存在は、ホモサピエンスそのもの。
逆に大人は、ネアンデルタールの世界にいる。
そう考えると、ちょっと笑えてきます。ネアンデルタールタイプの教師が、ホモサピエンスタイプの子供と、ぶつかったらどうなるか? 上司と部下の場合はどうなるのか? 監督と選手の場合はどうなのか? 医師と看護師は? 軍人の場合はどうなのか? 大企業の場合は? 自営業者は? それらを空想してみると、ニヤニヤがとまりません。
それはともかくとして、息子は、私の母親(息子にとってお祖母ちゃん)から、「たける」という文字の書き方を学びました。私の母親の教え方は、ネアンデルタールタイプなんですが、息子は、その社会学習を拒否しません。
私の母親は、褒めまくって勉強させるタイプなので、社会学習をしているという感じを受けなかったのか? とにかく素直に学びました。私の母は、褒めて教えるタイプなので、息子本人にしてみたら、勉強をやらされている感じが無かったのかもしれません。なので息子の奴は、勝手に個体学習しているつもりだったのかもしれません。気がついたら三十分くらいで自分の名前が書けるようになっていたのです。
と言うことは、ネアンデルタールタイプの教え方でも、やり方次第では、幼児もそれを受け入れるということかもしれません。だからこそ、子供園・幼稚園・保育所が大好きな子供がいたりするんでしょうね。
その後、私たちは、北軽井沢に帰るために佐渡汽船の『ときわ丸』に乗り込み新潟港に向かいました。そして乗船後、恒例のカモメさんたちへの餌やり体験をしました。写真をみてもわかるとおり、カモメさんたちは、餌をもとめて近くまでやってきます。
その後は、船内の探検です。ときわ丸は新造船で、レストラン・コンビニ・ゲームセンター・劇場・ペット室はもちろんのこと、授乳室からベビールームまであります。どれも昔の船に無かったものばかり。そのうえ全長125メートル・5380トンという大きさ。私が子供の頃に乗った佐渡汽船『おけさ丸』が、たったの919トンですから5倍以上の大きさ。
そのうえコスプレまでできる。
息子も、コスプレして遊んでいました。
ちなみに嫁さんは、船に弱くてダウン。息子は、好奇心の塊で、船内探検しまくっているうちに、船は新潟港に到着してしまいました。こうして三泊四日の佐渡島旅行は終了です。ちなみに、船の料金は片道2,250円。ただし、うちの場合は、軽自動車で島に上陸したので、カーフェリー自動車航送運賃の正規の値段が二万円くらい。そこからインターネットで割引してもらっています。軽自動車なら自動車を航送した方が良いし、大きめの車なら佐渡でレンタカーを借りた方が安いですね。どっちにしても、佐渡観光する場合、自動車が無いと不便です。
つづく。
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