ミラーニューロンとは、親の真似をすることによって、相手に対して感情移入できるようになる神経細胞のことです。これが、うまく発達してないと、相手に対して思いやりが持てなくなります。感情移入は、相手を真似することによって得られるんです。この真似ができないと、感情移入できなくて、思いやりがもてない人間になるというわけです。
つまり、子供が親の真似をするのは、あたりまえのことであり、もし、真似を許さなかったらミラーニューロンの発達がすすまず、悲しい映画をみて涙が出たりしなくなる。スポーツでも、上手な人のお手本を参考にして練習して効果が出なくなってしまう。イメージトレーニングの効果を期待できなくなる。
それほど重要な脳神経がある。
それは理屈として知っていました。
なので、たとえ悪いことでも親の真似をしたら褒めていたので、息子は何でも親の真似をするようになったのですが、その真似の仕方は、想像以上に完璧で、こちらが悲鳴をあげてしまったくらいでした。理屈として知っていることと、自分で体験することは、まるで違うんですよね。
例えば、キャッチボールするときに、私の息子では身長が違います。なので、お互いが、立ったままキャッチボールとしては身長が違いすぎるので、どうも具合が悪い。それで私がしゃがんでみたり椅子に座って身長を調整しようとするんですが、それをやると息子も真似をするんです。私だけが椅子に座って息子だけを立たせてキャッチボールをするということができないんです。私が椅子に座ったりしゃがんだにすると、息子も真似をして椅子に座ったりしゃがんだにしてしまうので、身長の調整ができない。
仕方がないので、お互いが立ってキャッチボールするのですが、私は息子の身長に合わせてアンダースロー(つまり下手投げ)で投げるわけですが、息子のやつはそれさえも真似をしてしまいます。オーバースロー(上手投げ)では絶対投げてくれません。いくら教えても親と同じ投げ方をします。
なので、仕方なく私もオーバースローで投げるんですが、それだとお互いの身長が違いすぎるので、うまくキャッチボールができません。私だけがキャッチャーのようにしゃがめればいいんですが、私がしゃがむと息子もしゃがんでしまいます。本当にめんどくさい。
一事が万事こんな具合なので非常にやりにくい。夫婦喧嘩で嫁さんを怒鳴ると息子も嫁さんのいうこと聞かなくなる。なので夫婦喧嘩はもちろん、嫁さんに
「おい、○○持ってきて!」
とも言えなくなってきたんです。
「お母さん、○○を持ってきてください」
と言わないと、息子が真似をしてしまう。なので
「お母さん、○○をお願いします」
そして
「ありがとうございます」
と言わないと、息子も、同じように応対しない。非常にめんどくさいことになったわけです。なにしろ、こっちには息子のミラーニューロンを鍛える意図があるわけですから、親の真似を「するな」とは言えない。
逆に良いこともあります。親が休まずに山に登ろうとすると、息子も真似して登ろうとします。親が客室を掃除すると息子も一緒にしだします。絶対に、おもちゃをかたづけようとしなくても、一旦、親がかたずけはじめると一緒にかたづけはじめます。パソコンで仕事をしていると息子もパソコンをいじりだす。パソコンで漢字クイズなんかをやりはじめる。とにかく子供は親の真似をする。
何故、そうやって真似をさせてミラーニューロンを鍛える必要があるかというと、子供の道徳教育にミラーニューロンを鍛えることが欠かせないからです。いくら理屈で道徳教育をしても、そもそも相手に対する共感能力がなければ、理屈だけで終わってしまうからです。そのためにはどうしてもミラーニューロンを鍛える必要性があったわけです。
前回もこのブログに書きましたが、宿屋が息子の道徳教育に失敗してしまったら、あっという間に宿は潰れてしまいます。うちの宿のそばには、おもちゃ王国があるために、お客さんの大半が小さなお子さん連れです。もし、息子が、お客さんのお子さんに乱暴してしまったら、とんでもないことになるからです。なので、どうしても子育ての道徳教育の部分が重要になってくるんです。子育ての道徳教育が仕事に、そして生活に直結しているんです。だから、普通の家庭よりも、どうしても神経を使わざるをえない。勉強・運動よりも、道徳教育に力を入れざるをえないんです。
長い前置きはこのくらいにして、これからが本題です。
前回、ブログにも書きましたが、なんだかんだと言って苦労しながら行なった道徳教育が効果を現し始めると、お客さんの子供さんとも、喧嘩をすることもなく、誰とでも仲良く遊べるようになってきました。
親には内緒で自分のおやつを全部食べずに少しずつ秘密の小箱の中に蓄えて、お客さんの子供に配ったりするようになりました。遠くに住んでるおばあちゃんからもらったシールや宝箱に大切に保存していたおもちゃを、お客さんのお子さんに惜しげも無く、次々と配って歩くようにもなりました。そして、どのお客さんのお子さんとも仲良く遊べるようになったわけです。
それはもう生き生きとしていて、楽しそうなんです。喧嘩もせずに仲良く遊べるという事は、息子にとっても非常に楽しい出来事らしく、自分の宝物や自分のおやつを、分け与えることによって喜んでもらえることが嬉しくてたまらないと言う感じでした。
こうなると、どうしても気になることも出てきます。
子供園の息子の姿と、宿での息子の姿が、全く違うということです。
息子は子供園に通っています。子供園というのは午前中が幼稚園、その後が保育園というシステムのところですが、幼稚園というのは夏休み・冬休み・春休みといった長期の休みがあります。そういう場合は、子供園は朝から晩まで保育園になってしまうんですが、保育園にはスクールバスありませんので、夏休み・冬休み・春休みになると、子供園への送迎は私の仕事です。
息子を迎えに行くと、子供園での息子の姿を観察する機会があるんですが、どういうわけか、うちの息子は、子供園でつまんなそうな顔をしている。宿に遊びに来るように友達ができてない。宿では、初対面のお子さんと活発にコミュニケーションがとれているのに、子供園では友達とコミュニケーションがとれているとは思えないのです。
全く別人のような感じがする。
これは午前中の幼稚園の授業のときに用事があって迎えに行っても、同じような感じです。運動会や祖父母会の様子をみても、三歳児検診・四歳児検診といった場所でも、その他の行事でも似たような感じです。
もしこれが、子供園でも、宿でも全く同じであったら「そういうものか」と気にしないのですが、そうではない。御客様が同じくらいの年齢のお子さんを連れてきたときは、別人のように生き生きとして、すぐに仲良くなって楽しそうに遊んでいるからです。
うちの宿の御客様の八割は、ファミリーで、そのうちの半分は未就学児。夏休みや週末には、宿は幼稚園みたいになっているのですが、息子は生き生きとして、さかんに御客様のお子さんと遊びつつ、みんなを喜ばせようとしている。しかし、子供園や、その他のところでは、そういう姿をみたことがない。
私が園に送迎に連れて行ってるときに見た息子の姿と、宿での姿が違いすぎる。
まるで別人。
それは不思議なくらいで、二重人格なのか?と疑うほどに違う。
誤解の無いように言うと、息子は子供園(幼稚園+保育園)が大好きなんです。入園初日から喜んでバスに乗ったし、3日くらい子供園(幼稚園+保育園)を休ませると、子供園(幼稚園+保育園)に行きたいと親に訴えてくるようになるくらい子供園(幼稚園+保育園)が好きなんです。もちろん担任の先生も大好きで、特に年中組の男の先生が大好きだったようで、◆◆先生に会いたいと言うので、休ませにくかったくらいです。なのに、自宅での姿と子供園(幼稚園+保育園)での姿が全く違う。
幼稚園での姿と、自宅での姿が、あまりにも違いすぎる。
これは何故なんだろう?
二年間、ずーっと不思議に思っていました。
どうしても分からなかった。
しかし、最近になって、やっと謎がとけました。
息子は宿(自宅)にいるときに、親の真似をしてたんです。宿屋ですからサービス業です。お客さんから「夜のティッシュペーパーがなくなったですが」と言われれば「すいません、今お持ちします」とティッシュペーパーをお出しします。お客さんに親切にするのがサービス業の基本です。
「子供が熱があるようなんですが」
「体温計を出しましょうか?子供用のお薬を出しましょうか? 」
「両替してほしいんですが・・・」
「はいただいま参ります」
「ビデオの調子がおかしいんですが」
「別の新しいビデオデッキをお持ちしますので、少々お待ちください」
「ミルクを作りたいんでお湯が欲しいんですが」
「電気ポットをお持ちいたしますね」
「ベットガードってありますか?」
「ありますよ。おもちしますね」
「幼児椅子が、すこし高いんで食べにくいみたいなんですよね」
「それじゃ、大人の椅子に9センチの幼児用クッションをセットしましょうか?」
「保冷剤を冷やしていただけますか?」
「いいですよ。お名前を書いてもってきてください」
親が行っている、これらのやりとりを朝から晩まで息子は見ているわけです。それも生まれてからずーっと1年中見ているわけです。親の真似なら何でもやってしまう、うちの息子のことです。それを真似しないわけがありません。
息子を風呂に入れるのは私の役目です。私は2歳くらいの頃から毎日のように風呂場で息子の体を洗っていました。石鹸で息子の体を洗うと、息子のやつはプイと後ろを振り向きます。私に背を向けるんです。そして目の前にある浴槽に石鹸をつけて洗い始めます。そんなところまで親の真似をします。最近は、私の体も洗いたがります。ミラーニューロンを鍛えるために、徹底して親の真似を奨励したために、こんな息子に育ってしまったわけですから、親の仕事の真似をしないわけがありません。
親が笑顔でお客さんに対応すれば、息子もお客さんの子供に笑顔で対応します。それを真似をしないわけがないんですよね。自分のおやつを宝箱に蓄えて、お客さんの子供に配ったりするのも、おばあちゃんからもらった物を、お客さんのお子さんに惜しげも無く、次々と配って歩くのも、そして笑顔で御客様の子供さんを迎えて喜ばせるのも、宿業をやっている親の真似だと考えると、すっきりする。
逆に言うと、子供園では、親の真似をすることが不可能なので、宿での息子の姿と子供園での息子の姿が違ってあたりまえなのかもしれないとのようになりました。
前回のブログに書いた、息子に対する叱り方や、絵本によるトラブルシミュレーションの教育効果だけで、道徳教育が成功したわけでは無い。どうもそれだけではないらしいということに、今更ながら気がついたのです。
やはり、どんな教育よりも強力なのが、親自ら見せる手本であることに違いない。で、そういう意味では、サービス業をやっている環境というのは、子供の教育上、ある意味有利に働いているなぁと、思った次第です。ただし、これが問題が無いかというと、そうではない。それにも最近、気がついたんです。というのも・・・・。
長くなったので、それについては、またあとで。
つづく。
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