臨界期というのは、何かを学習する際に決定的に重要な期間のことです。臨界期を過ぎると、その何かをほとんど学習できなくなってしまう。
例えば視覚。誕生から数ヶ月間、全く光を知らないままでいますと、脳の視覚システムが構築できずに失明したままになります。脳のなかの視覚神経回路がその発達の臨界期を過ぎてしまうからです。後で、いくら光を浴びても、目が見えるようにはなりません。
言語の臨界期もあります。十歳までに人間社会の言語に触れることができなかった子供は、脳における言語システムそのものが構築できないために、十歳以降にどんなに勉強しても文字を覚えることも言葉を話すこともできない。狼少女アマラの話や、アヴェロンの野生児ヴィクトール、アメリカ在住のジーニーの話など。彼らたちは言語の臨界期を過ぎていたために、人間の言葉を最後まで理解できていません。
臨界期を世界で最初に発見したのは、オーストリアの動物学者ローレンツです。ローレンツは、カモのヒナが、艀化後に最初に見た物体を母親とみなし続けるという事実を見つけました。彼はこれを「刷り込み」と名付けました。
刷り込みと単なる学習と違うところは、一度「親」としてみなした対象だけを親とみなし続け、その後の修正がきかないという点です。そして、この刷り込みの時間は、生誕後、十時間ほど過ぎてから二十五時間までです。それ以上すぎると刷り込みが起きなくなる。これが刷り込みの臨界期です。
これは進化の結果、そのようにカモが適応してしまったためです。カモのヒナたちは、生誕後に親がそばにいて、その親が動くことを進化的に予想して生まれて来る。そして、その親を親として生誕後の短い期間で記憶化するという遺伝的プランをもっている。
これが、もし親を親として記憶化しないでいると敵に襲われる可能性があるため、生誕後の短い期間で親を親として学習しなければならない。そのために刷り込みがある。つまり臨界期がある。要するに、カモのヒナは、環境を予想しつつ生まれてきているわけです。これを脳科学者の澤口氏は、進化的に予想している環境と名付けています。
もちろん臨界期を過ぎても、親を親として認識するように学習させることは不可能ではありませんが、それは臨界期とは別に「学習容易期」があり、別の脳の働きがあるからです。
したがって臨界期後でも学習が可能ですが、それは「進化的予想している環境」のための即時適応ではなく、学習による適応なんですね。遺伝子レベルで本能的に即座に適応する行動と、学習によって学ぶ行動は分けて考える必要があります。
話は変わりますが、ユニセフでは、各種の臨界期を公式発表しています。
音声言語の臨界期は一歳から七歳。
情動のコントロールカの臨界期は一歳から五歳。
仲間との社会関係力の臨界期は三歳から七歳。
算数能力の臨界期は一歳六ヶ月から七歳。
両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳。
音声言語に関して言うと、七歳までに人間の言葉を学習しないと、それ以降はどんなに勉強しても学習効果は極めて少ないと指摘しています。もちろん脳には、可塑性(柔軟性)があるので、 七歳以降は絶対に学習できないというわけでは無いのですが、本能的に即座に適応するという能力は失われてしまう。
算数の基本的能力に関しても臨界期があります。人類を進化的を考えると、 十程度まで数えたり、大きさを比較したりする能力が七歳ぐらいまでに身に付けていないと生存が難しい。
これはサルでも同じで、彼らも早い段階で数を認識したり、大きさを比較する能力を持っています。つまり算数の基本的能力は、進化的予想している環境である。なので算数の基本的能力に臨界期がある。七歳までに数の基本的能力を身につけないと生存競争を勝ち抜けない。だから算数の基本的能力を七歳までに学習する必要がある。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、問題は
「両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳」
という臨界期です。
人は眼を二つ持っていますが、この二つの眼はあたかも一つの眼のように働いています。これは、両眼で受け入れた感覚を脳で統合して一つの新しい感覚としているからであり、この機能を「両眼視機能」といいます。
まず、両眼の左右に映った映像を同時に見る能力が生まれます。そして、左右の眼に映ったそれぞれの映像を、まとめて一つのものとして見れるようになります。最後に、右眼と左眼は左右に離れているため、わずかに角度のずれた映像をもとに脳の中で立体的な映像が作り出されます。これが両眼視の能力で、これがないと対象の遠近関係や三次元での動きを視覚的に認識することができない。この臨界期が五歳までです。
例えば幼児白内障などで片眼でしかモノを見ないで育った場合、仮に五歳以降に視力が回復したとしても、両眼視の能力は生涯ほとんど発達しません。脳の中で競争が起きるからです。よく活動する神経回路は、ほとんど活動しない神経回路との競争に勝って発達してしまう。勝ち負けが確定すると、負け組の神経回路は、使われなくなってしまう。その結果、両眼視の能力を失ってしまう。
ここで本題に入ります。
息子が五歳になると五歳児健診がありました。それまでも六ヶ月検診とか、 一歳児健診とか、 二歳児健診とか、いろいろな幼児健診があったわけですが、どういうわけか視力検査だけは全く行って来ませんでした。
で、 五歳児検診で、初めて視力検査を行ったわけですが、片眼が1.2。片眼が0.75と言う異常な数値が出て、両眼視の能力に関して精密な検査を行うように指導を受けてしまいました。
真っ青になったのは私です。ユニセフの公式見解で「両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳」ということを以前脳科学の本で読んで知っていたので、早急に幼稚園を休んで御代田総合記念病院に駆け込みました。
つづく。
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