具体的に言うと、五歳までは、健康と道徳教育に重点を置いたのです。
五歳からは、道徳教育から運動の方に重点を置くようにしている。
徳育から体育にシフトしていった。
いずれは勉強の方も力を入れるつもりですが、
それはまだまだ先でいいと思っています。
こう思うようになったのは、宿を始めてしばらくたってからです。うちの宿はもともとユースホステルからスタートしています。オープンしてから数年間は、お茶会というものを積極的に行っており、お客様と深夜の二時ぐらいまで一緒に酒を酌み交わしました。お客さんが一人しかいなくても、いや、一人しかいないときならなおさら、さしで杯を交わしていました。
話は変わりますが、ユースホステルのヘビーユーザーには、 高学歴の人たちが多い。具体的に言うと、旧帝国大学出身の人たちが多いです。東京大学・京都大学をはじめとして、早稲田大学・慶応大学・上智大学といった超難関大学出身の人たちが、数多くユースホステルを使っています。そういう人たちの比率が圧倒的に多い。日本の人口比率において、圧倒的に数が少ないはずの高学歴の人種たちが、ユースホステルを利用する比率がとても高いのです。
もちろん、うちの宿にもそういう人たちがたくさん泊まりにきます。その中には、某官僚だったり、裁判官だったり、外交官だったり、商社マンだったり、金融関係者だったり、教育者だったり、マスコミ関係者だったり、研究職の人たちだったり、いろんな人たちが泊まりに来ます。もちろん彼らは、自分の職種を秘密にしています。秘密にして、みんなと一緒に週末の登山ツアーなんかに参加している。楽しそうに一人旅で行ってきて、うちの宿のツアーに参加して、他のお客さんと仲良くなり、ワイワイやっているわけです。
まあそれはそれでいいんですが、そういう人たちが、ある日突然、オフシーズンの平日に泊まりにやってくる 。オフシーズンの平日だから、他にお客さんはいない。なので、お茶会は私と二人っきりになり、酒を酌み交わすようになる。当然のことながら、深夜の二時から三時まで話をするようになる。そうなると話もだんだん深刻になっていく 。深刻な人生相談に変わっていく・・・・。私はそんな彼らの悩みを何時間も聞かされてしまう。そういうケースが少なからずありました。
彼ら高学歴な人たちの中には、子供の頃から知育ばかりやらされたために、対人スキルが不足して社会に出てから失敗してしまう人がいる。それで深刻な悩みを抱えてしまう人がいる。衝撃だったのは、そういう人たちの中に自殺者もいたことです。自殺にはシーズンというものがあって、だいたい三月に多い。特に金融機関に多いらしい。思えば私の友人にも、父親に自殺されてしまった人がいたけれど、やはり三月でした。なので三月のお茶会に、そういう話題がチラホラと出てきたり。お茶会に参加するメンバーによっては、こんな深刻な話も、話題になったりします。
二十年前は、日本社会もまだまだ終身雇用制でしたので、 頑張って勉強して一流企業や難関公務員になっても、人間関係で失敗したら、即脱落者なってしまうケースが多かった。にもかかわらず、その現実を知っている人たちは少なかった。少ないからこそ、実際に社会に出てみて愕然(がくぜん)とする人たちが少なからずいた。そういう人たちは、悩みに悩んだ挙げ句、平日休暇を取って、ふらりと北に向かう。
で、いつのまにか北軽井沢にやってきたりする。
で、うちの宿に泊まって、深夜の二時まで私と酒を飲むことになります。こういうことがどんどん増えていきました。オフシーズンの平日だというのに毎日のように、そういう人たちの相手をする羽目になります。そして私は、私は次第に体を壊してしまいます。なので酒を飲むのやめてしまった。お茶会も夜の十一時でやめてしまいました。
まあそんなことはどうでもいいとして、このような体験を通して、どんなに勉強ができたとしても、終身雇用の多い日本の社会においては、一度でも人間関係に失敗すると、絶望的な未来があるという現実を知らされました。二十年近く勉強ばかりしても、社会人になって、ちょっとした人間のトラブルで、全てが台無しになってしまう可能性があるのが、現実だけれど、それを理解している大学生や高校生はあまりない。これは私たち大人の責任も大きい。勉強さえすれば、人生が薔薇(ばら)色だというのは、とんでもない都市伝説であることは、 目の見えている大人はわかっているはずです。少なくとも、真面目にお客さんに対応してきた宿屋(ユースホステル)のオーナーならわかっている。それを私たち大人は、あまり伝えてない気がする。
また話は変わりますが、宿屋を二十年ほど続けていると、たくさんのお客さんに出会います。そして元気そうだったお客さんの死を知ることになる。癌(がん)で死ぬ人もいれば、突然死で亡くなった人たちも少なからずいる。そういうことを繰り返して体験していくと、健康がいかに重要なのかが身をもって知らされてしまう。
特に結婚して、生まれたばかりの子供が何人かいて、これから子育てをしなければいけないという時に死んでしまった人ケースに出会ったり、その逆に、一粒種の子供が高校を卒業して、大学に進学してさあこれからだという時に、子供が原因不明の突然死になってしまって愕然(がくぜん)としている親御さんたちの苦悩に立ち会ったりすると、健康というものが、どんなに貴重であるか、どんなに大切なものであるか、思い知らされるわけです。
また逆に、生まれた子供に障害があるケースも多々みてきた。障害と言っても、体の一部が不自由なケースの場合は、親御さんもそれほど苦労してるようには見えませんでした。もちろん見えてないだけで、水面下では大変な苦労をしているんだと思いますが、それが外部の人間には分かりづらい。
けれど、自閉症だったり、多動児だったり、アスペルガーだったりのケースは、一瞬にして親御さんの苦労がわかってしまう。というか、我々で宿屋の人間が、サポートしづらい。例えばアレルギーのお子さんだったら、作る食事を注意するといったサポートができるわけだけれど、お子さんが多動児だった場合は、本当に難しい。空気を読めないために他のお客さんに迷惑をかける可能性が非常に高いからです。水遊びが暴走して、他のお客さんを水浸しにしたりする。そういうハプニングを避けるために、宿屋としては臨戦態勢にならざるを得ない。
困ったことには、一般のお客様には、躾(しつけ)のできてない子供と、多動児の違いがわからないことです。医者は『多動児に対して怒ってはいけない』と言いますから、御両親もその指示に従います。その結果、宿の中において、とんでもないことが起きたりする。宿屋の私たちには覚悟はできていても、他のお客さんには理解できないし、そういうものでもない。だから本当に宿屋としては苦労する。ピリピリする。神経をすり減らす。だから専門書を読んだりして勉強せざるをえない。その結果、宿屋は、そういう事に詳しくなってくる。悲しいかな詳しくなってくる。
また、ユースホステルのヘビーユーザーに高学歴の人たちが多いためか、価格帯が安いためか、離婚して独り身になった親御さんが、子供を連れてくるケースも多々あります。そういうケースで普通の人たちが想像するのは離婚したシングルマザーが子供を連れてくるケースだと思いますが、実際にはその逆のケースも多い。
離婚したためにふだんは子供たちに会えないお父さんが、子供を連れて北軽井沢に遊びに来るケースが少なからずある。長年宿をやっていると何となくわかってくる。で、気をつけて見ていると、子供たちの何げない言葉に、お父さんが目頭を押さえているのよく見かける。何とかしてあげたいが、昔はどうしようもなかった。宿屋ができることなんか、たかが知れているし、するべきでもない。何かしてあげたいけれど、何もしてやれないジレンマに長年悩んでいた。
ところが、五十歳を過ぎて子供を授かると、 自分にも何かできるんではないかと、閃(ひらめ)いてしまった。そういったお父さんたちが一番喜ぶことは、子供たちが自宅に帰りたくないというくらい楽しんでくれることです。そのために、うちの息子を散々けしかけました。
「あの子たちと遊んできな」
と、散々けしかけた 。
また、百万円以上かけてせっかく作った庭の樹を伐採し、五年がかりで製造した花壇を撤去して、十トンダンプ 二十台分の砂利を敷いて屋外遊具を大量に設置し、大量のおもちゃを買い、千冊の絵本を買いそろえました。すると
「帰りたくない」
とか
「お父さん、また、ここに来ようね」
と言うお子さんの声が多くなり、それに対してお父さんが涙している姿を見ることができるようになってきた。長年の私の悩みが、やっとかなうようになったのです。
話がそれました。
宿屋をやる。それもユースホステルを運営する。そういうことを二十年間続けていると、いろんな人たちの人生を見てしまうことになる。場合によっては人生に立ち会ったり、関わったりしてしまう。人間の生死にも立ち会ったりするわけで、いやが応でも巻き込まれてしまうことがある。その都度、貴重な教訓を頂いてきた。なので、この貴重な体験を、私の息子に生かさない手はなかった。どうしても健康・徳育・体育を重要視せざるを得なかったし、その方針に基づいて、散々子育てをしてきました。で、万事うまくいったかと言うと、そういうわけでもなかった。いろいろと落とし穴があった。
つづく。
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