ヘルパーの仕事は、かなりの重労働でしたが、それなりに楽しかった と思います。何しろ釧路牧場ユースホステルは、七十人ぶんのベッドがあります。そのベッドメイク や食事を三人のヘルパーでやっていました。想像を絶する重労働で四時間睡眠でしたが楽しかった。お客さんに観光案内をしたり、写真を撮ってあげたり、連泊するお客さんのベッドに手紙とチョコレートを置いたりして、ちょっとした親切をするだけで、えらく感謝されたことが楽しくて楽しくてたまらなかった。 そんな思い出が、蘇(よみがえ)ってきた。
「ヘルパーをしたいんですが」
「いいですよ」
というわけで、ヘルパーをしたいという人が現れますと、私はどんどん採用していきました。その結果、下手したらお客さんよりもヘルパーさんの方が人数が多いという状況にまでなってしまいました。当時のことを知るお客さんは、今でも懐かしそうに語ります。
「オープンしてから四〜五年は、ヘルパーばかりいったよね」
「今日は、宿泊者がおおいなあと思ったら、自分を除いて全員がヘルパーだったこともあったなあ」
「あの頃は、この宿に泊まると、平日でも十人ぐらいの若い人たちがいて、自分若い人たちに人気のある宿なんだなあと思っていたら、そのうちお客さんは四人しかいなくて、あとの六人はヘルパーだった」
そうです。片っ端からヘルパーを採用していてしまったために、 お客さんよりもヘルパーの方が数が多いということが多くなった。もちろん赤字です。私は、ヘルパーさんに、お客さんと同じメニューを、お客さんと一緒に食べさせていましたので、 赤字も赤字。大赤字。
その上、ヘルパーさんたちに、お客さんと一緒に遊んで来いとか、 お茶会でお客さんと楽しい会話してきなさいと言っていました。お茶会には、酒・ジュース・茶菓子を必ず出していましたし、人数が多ければ、餃子・お好み焼き・ピザ・にんにく揚げ・ローストビーフなんかも出していました。誕生日の人がいれば、ケーキを焼いたりもしていました。今思えば、我ながら本当によくやったと思います。 どうしてあんなことが十数年も続けることができたんだろう?と不思議に思います。
まあそんなことは、どうでもいいとして、ヘルパーさんの話です。うちの宿には、多くの若い人たちが、ヘルパーとして働いてくれました。昔は、ユースホステルの他に、ティンカーベルという名前のペンションも経営していましたので、そちらの方のヘルパーさんも含めれば、かなりの数が、私の宿で働いたことになります。ほとんどが若い人たちで、大学生・高校生・中学生がメインです。最高齢で言うと七十歳のヘルパーさんもいましたけれど、大半は若い人たち。社会人の方もいますが、二十代前半がほとんど。
面白いのは、ヘルパーになった人たちの大半が高学歴であり、頭の切れる人でした。旧帝国大学・有名私大・国立大学の出身の人たちが多かった。医学部に絞っても四人もいました。でなくとも有名進学高校の出身でした。いわゆる進学校で落ちこぼれたパターンであって、元IQ が高すぎた弊害の人たち。知能指数が高いために、中学校時代に勉強せずとも高成績だったために、努力するという癖を身につけることができなくて、高校に入って落ちこぼれたパターンです。
そういう人たちは、学歴がないとは言っても、非常に頭が良い。何でもかんでもすぐ覚えてしまう。料理も接客もすぐにマスターして、一流どころになれる素質を見せてしまう。要するに器用なんです。大して努力をしなくても何でもそつなくできる。そういう人たちが世間に存在していた。
で、中学校も卒業してないのに天文学者になった人や、ライターや絵本作家として成功した人もいる。工務店・エステ・飲食の経営者としてバリバリ活躍している人もいる。彼らは学歴がないと言っても、切れ者なので、それぞれの道で成功している。
長い前置きになりました。
ここから本題に入ります。
息子が生まれる時に、中学生時代に宮本武蔵を読んで感動して以来、一度も神仏に乗ったことのない私が、生まれて初めて神仏に祈りました。どういうふうに神仏に祈ったかと言うと、
「健康な子供をください。勉強も運動もできなくていいです。健康でさえあれば何もいりません。勉強・運動は、親の私がやります。私がサポートします。だから五体満足で健康な子供が生まれてくることをお願いいたします」
と祈りました。
この願いはかないました。生まれた息子は健康そのものでした。病気らしい病気をすることがなく、インフルエンザにかかっても一晩寝ると治ってしまいました。私は息子が〇歳児の頃から背中に背負って一緒に山に登っています。-十度の冬山にも一緒に登っています。 そんな環境下でも寒いとも言わずにキッキャとはしゃぎながら一緒に登山をしていました。
神仏は、私の願いをかなえてくれました。完璧にかなえてくれましたので、勉強も運動もいまひとつでした。と言うか、成長が非常に遅かった。周りの同級生たちができることを息子ができないのです。一言で言うとどんくさい。不器用。
それでも私は気にしてなかったのですが、子供園(幼稚園と保育園が合体したもの)の先生たちは、成長の遅さを指摘しました。年少組・年中組・年長組。どの学年の時の担任の先生も、成長が遅すぎると言います。そして、発達心理学の先生に見てもらうように言われます。それは渡りに船なので、専門の先生に診てもらったら
「問題なし」
と言われてしまいます。しかし、現場で息子を見ている幼稚園の先生にしてみれば、問題ありだと言います。息子は、三月二十六日生まれなので発達が遅れているのではないかと質問してみたのですが、それを加味しても遅れているという。三月末に生まれたにしても、遅れ過ぎているという判断なのです。
そこで発達心理学の先生に知能検査をしてもらったわけですが、実際検査をしてみたら、 IQ は非常に高かった。うちの息子は、よく忘れ物をしますので、ワーキングメモリーが人より低いと予想していたんですが、知能検査でワーキングメモリは百二十以上。その他の数値も非常に高かった。
あれ?
と思ったのは、 発達心理学の先生よりも私だった。 どうやら成長の遅さと、知能指数には関連性がなかった。他の人にできることが、息子にできない。そういうどんくささ、つまり人様よりワンテンポ遅れるところと、知能指数は関係なかった。これはどういうことなんだろうか?
そこで思い出したのが、過去にうちの宿でボランティアをしていたヘルパーたちのことです。彼らの大半は高学歴なので知能指数は高かった。しかし、その中に、テキパキとやれる人たちと、どんくさい人たちがいた。器用な人たちと不器用な人たちがいました。
もちろんコツコツと上達していく努力の人たちもいましたけれど、瞬時に理解して何でもこなせる天才肌の人たちもいました。そういう天才たちは、料理人になっても、学者になっても、経営者になっても、何になっても成功しそうな気がしたし、実際に成功している・・・。
それらとは、真逆で息子のやつは成長が遅い。幼稚園の先生から、ワンテンポ遅れる。みんなができることできない。忘れ物ばかりする。三月生まれという点を差し引いても、非常に成長が遅い。そう言われてきました。実際、親の目から見てもスローペースだし、小学校で宿題のプリントをよく忘れる。教科書も忘れたし、水筒も忘れる。上着もどこかに忘れてしまう。筆箱に入っている筆記用具も毎日のように全部なくなってしまう。とにかく物忘れがひどい。
その上ことばもゆっくりしている。会話のテンポが非常に遅い。だから、一学年下の子供たちと遊ぶと丁度いい会話ペースになる。いや、一学年下の子供たちの方が、もっとベラベラと喋れます。下手したら、二学年したの子供たちと丁度いい会話のペースになります。小学一年生の息子が、年中組の幼稚園生と会話すると丁度いいぐらいになって見える。それを心配してか、小学校の担任の先生は、ことばの教室に入ることを家庭訪問の時に勧めてくれました。
ことばの教室とは、言語障害のある子供向けの特別支援学級のことで、言語障害のある子供のサポートをしてくれる教室です。ことばの教室に出席する間は、学校の授業はお休みになります。 担任の先生は、それを心配していましたが、うちの息子は勉強に対する理解だけは早い。通信教育で有名なチャレンジ一年生の教材が届きますと、一日で全部終わらせてしまう。なので、赤ペン先生の添削の手紙に、
「今回もたけるくんが全国で一番です」
と添削の回答が、満点で返ってきます。夏休みの宿題も一日で終わらせてしまいます。なので、勉強が遅れることだけは全く心配してません。
ただ、会話のテンポが遅い。作業のテンポが遅い。忘れ物が多い。身の回りのことができてない。テキパキと動けない。要するにどんくさいんです。 どう見ても IQ が高いようには見えません。
しかし、知能検査をすると非常に高い数値が出てくる。しかもその検査は、去年の今頃、インフルエンザで一週間寝込んでいた頃に受けている。体調的には決して万全ではあなかったし、本来なら六歳で受けるべき検査を、幼稚園の卒園式などの関係で五歳十ヶ月で受けている。試験結果は悪く出るべきところ、逆に高い数値が出ている。これはどういうことなんだろう?
で、思い出したのが、息子が生まれる時に神仏に祈ったことでした。 天は、健康をくださった。「あとは自分でどうにかしなさい!」ということではないか・・・と思うしかなかった。なので、小学校入学と同時に、ことばの教室をはじめとして、空手・キックボクシング・陸上・縄跳び・各種の球技・スキーを習わせました。
小学校入学すると、小学校にスケート部があると聞いて、そこにも入部させました。嫁さんは嫌がって反対していましたが私が押し切った。どんくさい息子が、体育の授業で悲しい思いをしないですむように、スケート部で鍛えてもらおうと思った。そして、ちょつとでも滑れるようになれれば、ラッキーだと思っていた。
つづく。
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