その上ことばもゆっくりしている。会話のテンポが非常に遅い。だから、一学年下の子供たちと遊ぶと丁度いい会話ペースになる。いや、一学年下の子供たちの方が、もっとベラベラとしゃべれます。下手したら、二学年したの子供たちと丁度いい会話のペースになります。小学一年生の息子が、年中組の幼稚園生と会話すると丁度いいぐらいになって見える。それを心配してか、小学校の担任の先生は、ことばの教室に入ることを家庭訪問の時に勧めてくれました。
ことばの教室とは、言語障害のある子供向けの特別支援学級のことで、言語障害のある子供のサポートをしてくれる教室です。ことばの教室に出席する間は、学校の授業はお休みになります。 担任の先生は、それを心配していましたが、うちの息子は勉強に対する理解だけは早い。通信教育で有名なチャレンジ一年生の教材が届きますと、一日で全部終わらせてしまう。なので、赤ペン先生の添削の手紙に、
「今回もたけるくんが全国で一番です」
と添削の回答が、満点で返ってきます。夏休みの宿題も一日で終わらせてしまう。
ただ、会話のテンポが遅い。作業のテンポが遅い。忘れ物が多い。身の回りのことができてない。テキパキと動けない。要するにどんくさいんです。
で、思い出したのが、息子が生まれる時に神仏に祈ったことでした。 天は、健康をくださった。「あとは自分でどうにかしなさい!」ということではないか・・・と思うしかなかった。なので、小学校入学と同時に、ことばの教室をはじめとして、空手・キックボクシング・陸上・縄跳び・各種の球技・スキーを習わせました。
小学校入学すると、小学校にスケート部があると聞いて、そこにも入部させようとした。嫁さんは大反対。しかし私は、どんくさい息子が、体育の授業で悲しい思いをしないですむように、スケート部で鍛えてもらおうと思った。そして、ちょっとでも滑れるようになれれば、ラッキーだと思っていた。
なので私は息子にスケート部に入りたいかどうか聞いてみました。すると「入りたい」と言う。顧問の先生が優しいから入りたいと言いう。それなら入れてしまえと、入部届を書くのだが、嫁さんは大反対。親の仕事が増えて大変だからです。
毎日のように子供たちを車に乗せて、軽井沢のスケートセンターまで交代で送迎しなければいけない。五十キロもある凍結した山道を走らなければいけない。子供たちの急な病気や怪我(けが)に対処しなければいけない。つまり何人かが子供たちを見張ってないといけない。その上、何万円もするスケート靴を用意しなければいけない。スピードスケートのウェアも必要になってくる。おまけにスケート大会に参加する場合、場所取りやら何やらで、朝四時から出発する必要性も出てきたりする。
ものすごく手間と金がかかる。
だから半端な気持ちではスケート部には入れない。
なので嫁さんは大反対!
現に、そういう理由で、入部した後にすぐに退部する子供たちも多かった。親がそこまで手をかけることができないからです。そんなに大変なのに入部させる親がいるけれど、大抵の場合は、親がスケート選手だったケースが多い。普通なら気軽に入部させるわけにはいかない。
しかしそれを押し切って私は入部させた。嫁さんがボイコットしても私が全部面倒を見るつもりで入部させた。現に、空手教室もキックボクシング教室も、ほとんど私が送迎している。なので最初のスケート部の会合には、嫁さんではなくて私が参加した。で、会議室に行ってみると父兄は五人から六人くらいしかいない。あまりにも人数が少ないので不思議に思っていると、一年生から六年生までのスケート部全員で九人しかいないという。九人と言っても三人は、入学したばかりの一年生で、上級生の兄弟姉妹が、すでにスケート部員だったりする。つまり、幼稚園時代から兄弟姉妹でスピードスケートの練習をしていた人たちばかりで、全くの素人は、我が家の息子だけだった。
うちの息子は、幼稚園の年長さんの時に軽井沢のスケート教室に三回ほど通ったことはありますが、その時に 履いていたスケート靴はフィギュアスケートの靴でした。何を隠そう私はスケートを滑ったことがありません。なので、スケート靴というものはあるとしても、それは一種類しかないと思っていました。
要するにスケート靴というものは、フィギュアスケートの靴だと思っていた。ところが、嬬恋村でスケートとは、スピードスケートのことをさす。なのでスピードスケート用の靴を履かなければならない。それを聞いた私は面食らいました。聞いてみると、嬬恋村村民は、スケート靴といえばスピードスケート靴のことであり、逆にフィギュアスケート靴を一度も履いたことがない。
慌てた私は、ヤフーオークションで中古のスピードスケート靴を買って息子に履かせてみたのですが、息子は全く滑れなかった。フィギュアスケートなら、かなり滑れる息子が、スピードスケート靴になると、氷の上に立つことさえできなかった。こうなるとお手上げで、 息子にスケートを教えるすべがない。スピードスケート教室なんてものはないし、私も嫁さんもスケートなんか全くできませんから、愕然(がくぜん)としました。こうなるとスケート部の部活動で一から教えてもらうしかない。ただし、息子は他にも習い事(空手・キックボクシング)をしているので、毎日部活に参加することはできない。
「ああ、これはスケート部の中で落ちこぼれるな」
と思ったのですが、まあいい。みんなよりも少しでも滑るチャンスがあれば、体育で恥をかかなくてすむ。第一、一年生の男子スケート部員は、息子一人なので、誰よりも練習するチャンスがある。だからそれでいい。当面は、クラスの平均値よりも、ちょっとだけ滑ればそれでいい。そう思っていると、古参の父兄たちがいろいろ脅かしてきます。
スケート部に入った子供たちは、あまりの寒さに、涙を流して「帰りたい」とか「学校に行きたくない」と駄々(だだ)をこねるというのです。そしてやめていくというのです。そういうパターンがスケート部の伝統らしい。けれど、うちの息子に限っては、そういう心配はなかった。運動神経がいいとは言えない子ですが、我慢する能力だけは人一倍ある。 そもそも、うちの息子は、健康だけが取り柄で、三歳のころから氷点下十°の冬山にガンガン登っている。なので寒さには強い。知能や運動といった天性の素質に恵まれてはないけれど、我慢強さと、粘り強さと、コツコツと努力をする資質だけはある。だからそれだけは心配していませんでした。
ところでスケート部の話です。
スケート部の活動する期間は、非常に短い。十一月半ばから二月の半ばの短期間。正味三ヶ月間だけです。後の期間は、陸上練習になります。この陸上練習が、火曜日と木曜日で、息子の習い事である空手とキックボクシングにバッティングしてしまいました。なのでスケート部に入ったと言っても、 陸上練習には一度も参加することはなく、幽霊部員のママでした。
そして問題の台風十九号が嬬恋村を襲いました。村のスケートリンクは壊滅的な被害を受け、 十二月末まで使用することはできませんでした。仕方がないので、軽井沢まで子供たちを連れて出かけて行ってスケート練習をすることになりました。そして初めて、息子と一緒にスケート練習の部活動に参加したのですが、驚いたのなんの・・・・。
まずスケートの練習風景ですが、四つの小学校が、合同で練習するシステムになっていました。嬬恋村東部小学校・嬬恋村西部小学校・北軽井沢小学校・大桑小学校。これら四つの学校が、一つのスケート部として活動している。
四つの小学校から、一人ずつ顧問の先生が参加していて、初心者を教える先生・中級者を教える先生・上級者を教える先生・全国大会を目指すレベルの子供たち教える先生と、別れて指導しているのです。先生だけではありません。子供たちの父兄もボランティアの先生になって教えています。場合によっては、マンツーマンで教えるケースもある。うちの息子も、最初はマンツーマンで教わっていました。学校と地域が子供たちにスピードスケートを教えているという感じです。
ちなみに四つの小学校の中で、一番スケート部の人数が少なかったのが、息子の通っている東部小学校です。全員揃ってもたったの九人。そのうち何人かは、他に習い事をしているので、五人だったり四人だったりする。他の小学校は、三十人から四十人もいてスクールバスでスケートリンクまで通ってきていたりする。北軽井沢小学校に至っては、学校の校庭にスケートリンクがあって、学校の休み時間にスケートをして遊んでいるらしい。息子が通う学校と比較するとスピードスケートにかける情熱がまるで違っている。
おまけに何万円もする「ワンピ」とかいうスケートウエアを着ていたりする。それを着るとタイムが短くなるらしいのですが、そもそもうちの息子にスケートをやらせた理由が、尻餅をつかずに人並みに滑ればいいと言う低い志だったので、 そんなものを着させる気はさらさらない。風の抵抗が大きいブカブカで羽毛が入っている登山用防寒着を着させていた。だからレースとなると圧倒的に不利だったと思う。
スケート靴にしたって、ヤフーオークションで一番安いサビだらけのやつを買ったし、その靴のサビを落として履かせるつもりだった。けれど、 ご近所の父兄から、すごくいいものを貸してもらうことになってしまった。
で、レース(大会)の度にスケート靴を砥石(といし)で研ぐ必要があったのですが、そういう知識もないので、一度も磨いたことはなかった。研がないとスピードが出なかったり、カーブ地点で転倒したりするらしいのですが、そもそもそういう知識がないので、研ぐという発想さえもなかった。要は、息子が楽しくスケートを滑ってくれれば、それでいいと思っていた。今思えば、恐ろしいほど無知だった。
なのでスケート部のボランティアに参加してみると、他の父兄の皆さん ・顧問の先生たちと、私は、かなりずれていることに気がつきました。スケート部の練習は、楽しく滑るというより、全国大会で 優勝を目指している。毎週のように全国各地の大会に子供さんを連れて行って、大会を経験させている。そして記録を更新している。だから親御さんたちの苦労も並大抵のものではなかった。朝5時に出発というケースも多かったらしい。一方、私は嬬恋村で行う大会以外は出させなかった。御客様がいるので遠方の大会に息子を送迎することはできなかったし、するつもりもなかった。
また、成績上位者は、県から予算が下りて、正月を返上して合宿に参加することになっていた。合宿と言っても、小学校のすぐそばにある旅館に泊まり混んで、村のスケートリンクで朝から晩まで滑る合宿です。その強化合宿に予算がついている。もちろん顧問の先生も、正月を返上して合宿に参加している。
「これ、本当に小学校の部活動なの?」
と私はつぶやいた。何から何まで目が点になるばかりだった。
しかし、不思議なもので、そういう環境の中で息子が練習していると、息子のやつもどんどん早くなっていく。スピードスケートの魔力に取りつかれていく 。空手やキックボクシングを休んでも、スケート部に出て練習したいと言ってくる。それほど真面目に取り組むようになってきている。そういう雰囲気に染まってきているし、それを嫌がってる様子もなく、むしろ楽しんでいる。
「伝統の差だね」
と嫁さんはつぶやきました。最近できたばかりの習い事教室だと、有力な先輩がいないために、どうしても子供たちが、ざわついてしまう。いくら先生に力があっても限界があると嫁さんは言っている。けれど、何十年も続いてるクラブ活動には、有力な先輩や、OBがいてピリッとした空気というか伝統のようなものがあるという。うちの嫁さんは、高校時代に全国を狙うレベルの吹奏楽団にいたので、その辺が痛いほど分かると言っている。実際そうなのだと思う。
さて、吾妻郡のスピードスケートの大会のことです。
会場は嬬恋村です。
息子も参加します。
というか初参加です。
息子にとって初めてのレースです。
その日は日曜日だったので、私はお客さんの相手をしなければならないために、吾妻郡の大会の見学は難しかったのですが、たまたま、御客様全員が、早くからチェックアウトしてしまった。私は、大急ぎで息子が出るレースを見に行きました。私としては
「たとえビリでも、最後まであきらめずに滑ってくれれば、それでいい」
と思っていました。楽しく滑ってくれればいいと・・・・。
つづく。
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