ドイツの教師シルマンは、野外で小学生たちに勉強を教えました。バイオリンをひき歌を歌いました。映画『サウンドオブミュージカル』の世界。これが、ドイツのユースホステル運動の根源です。
ほぼ同じ頃、日本でも同じようなことを始めたのが田澤義鋪。
彼は、小学生ではなく青年を相手にしていた。
なぜ青年であったか?
明治維新は、大量の失業者を出しました。
版籍奉還、廃藩置県、失禄処分。
まず武士たちが失業しました。
一方で、武士たちよりも遙かに巨大な数の失業者がいた。
青年たちです。
明治維新前の青年たちには、仕事がありました。警備、消防、災害救助、神事、祭、公共事業、社会教育などの仕事です。彼らは、子供を卒業すると、自宅には寝泊まりせず、若者宿(若衆宿・郷中宿)で寝泊まりしました。そして、そこから仕事に出て行きました。結婚すると、自動的に若者宿(若衆宿・郷中宿)を出て行き、今度は大人(オトナ)と呼ばれる世界に仲間入りしました。
明治維新がおきるまでの日本では、大人(オトナ)の世界と、若者組の世界の二重構造になっており、警察や祭礼や公共事業は、若者組の役割であり、家を守るのは大人組の役割でした。若者組は、治安維持や道路、橋梁の修繕、堤防の築造などのいろいろな仕事に対し、一人前として責務を果たさなければなりませんでした。これらの日本の風習が分からないと、維新の志士たちが二十歳代であったことが分かりにくい。
しかし、明治維新によってヨーロッパの風習が導入され、警察や公共事業が公務員によってなされるようになると、若者組は用無しとなり、失業してしまいました。その失業者の数は、路頭に迷った武士たちの数倍にもなった。
失業した若者組の人々は、やることを失って、イタズラや夜這いといった悪弊がはびこり、いつのまにか、社会から糾弾される立場にまで転落しました。また、西南戦争により、若者組の延長から構成された西郷隆盛軍が、近代的な政府軍に全滅させられることによって、若者組という江戸時代の遺物は消滅したかに見えました。
田澤義鋪は、そんな青年たちに希望を託し、彼らに仕事を与えた。
(明治神宮は、日本中の青年たちによって作られた)
そして彼らの拠点である日本青年館(つまり日本式のユースホステル)を作った。
この日本青年館は、日本ユースホステル協会が設立されると同時に
日本の第一号ユースホステルとなっている。
この田澤義鋪の凄いところは、青年たちに教えることよりも「自分で考え自分で解決する」ことをさせたことです。多くの青年たちが、田澤義鋪のところに悩み事を相談しに行きましたが、田澤義鋪は決して自分から答えをださず、かならず相談してきた者自身に考えさせました。あくまでも自分で考え自分で解決させたのです。そして自主独立の気風を青年たちに植え付けた。これは、上の命令でロボットのように動く青年を育てる世界と正反対の世界でしたから、日本が軍国主義化していくと、徐々に国家社会主義者たちの弾圧を受けるようになります。そして田澤義鋪は、大政翼賛会と反発するようになり、第二次大戦中に「日本は負ける」と公言するようになりますが、それは後の話です。
ちなみに『この人を見よ(下村湖人)』の著者は、田澤義鋪の親友である下村湖人。
次郎物語の下村湖人です。
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