(広報『吾妻鉱山』より借用)
この写真は、昭和33年5月10日に発行された広報『吾妻鉱山』に掲載された写真で、「我が家の自家用車」というタイトルです。よくみると「◆◆ダイナマイト」と印刷されています。つまりダイナマイトの木箱に滑車のようなものをつけた手作り自動車です。
若い人には、わからないでしょうけれど、昔は段ボール箱というものがなく、なんでも木箱に入れて輸送していました。なので、どの家庭でも木箱のミカン箱のストックがあって、それを分解して風呂の燃料にしていました。そして大半の風呂は、ミカン箱などの木箱を分解して作った、まきで沸かしていました。しかし、吾妻鉱山には無料の公衆浴場(銭湯)がありましたから、ダイナマイトの木箱は子供の自動車となったわけです。すごい自動車ですよね。
ちなみに、この頃の自動車は、サスペンションが悪いのか? それとも道が舗装されてなかったためか、振動が激しかったようで、かなり乗りこごちがわるく、車のネジ(部品)もよく外れたようです。走行中のブレーキのネジが外れて制御不能になると、男たちが車から飛び降りて、人力で車を押し止めたという話が記事に載っていました。すごい話ですね。そういえば、草軽鉄道も、よく脱線したらしく、脱線すると御客さんと一緒に持ち上げて線路に戻したと、当時の北軽井沢駅の元駅長さんから聞きました。のんびりした時代ですね。
(広報『吾妻鉱山』より借用)
(広報『吾妻鉱山』より借用)
話は変わりますが、私と同世代の友人に、父親が捕鯨船で働いていた人がいますが、その人のうちには、黒色火薬と印刷された木箱が山のようにおいてあったそうです。鯨をしとめるための銛を発射させる火薬が黒色火薬だったらしい。で、鯨漁から帰ってくると、その木箱を大量にもらってきて、風呂を沸かす、まきに使ったり、紹介した写真のように、手作りの子供の車に改造されたみたいなんですが、その人の自宅は、吾妻鉱山ではなく東京の早稲田にあったために、警察がやってきたと言います。東京では、そうなりますよね。吾妻鉱山では、なんの問題もなかったようなので、実に、のんびりしていたようです。
次の写真を見てください。
(広報『吾妻鉱山』より借用)
吾妻鉱山の様子ですが、周りに木が全くありません。これが現在の紅葉台付近だとは、誰が信じられますか? 現在はうっそうとした森になっているので、とても信じられませんが、当時は、嬬恋牧場一帯は、はげ山だらけでした。吾妻鉱山の事業所・社員住宅・その他の施設を建設するためか? それとも暖房に使われたのか? 当時の写真をみると、あたり一面はげ山だらけです。
で、これでも足りなくなったらしく、もっと万座のほうの原生林の伐採許可がおりた話が、この吾妻鉱山の広報に載っています。よく当時の厚生省(環境庁)が許したものです。もっとも、その何十年後には、表万座スキー場ができているわけですから、そっちの工事の方が、自然へのダメージが大きかったでしょうけれど。
さて、こうまでして、吾妻鉱山(硫黄鉱山)が開発されたのには訳があります。どうしても親会社が硫黄を欲しかったのです。親会社。つまり東レは、硫黄が欲しかった。硫黄がないとナイロンが生産できなかった。なので東レは、吾妻鉱山に投資し、吾妻鉱山の中学生の修学旅行は、親子同伴で出発できるようにし、東レの子会社であり、傘下の「日本橋三越」に修学旅行の親子を招待し、そこで買い物三昧させたわけです。それについては、また後日、面白いエピソードを紹介します。
つづく。
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