実は、コンビニ袋は、昔からあったわけではありません。
コンビニの代表格であるセブンイレブン1号店は、1974年5月15日オープン。
ローソン1号店は、1975年6月14日
ヤマザキデイリーストアー1号店は、1977年5月28日
ミニストップ1号店1980年7月
セーブオン1号店1983年8月(渋川市)
(関係ないけれど、モスバーガー1号店は1972年なのでコンビニより早かった)
コンビニが発達したのは、1980年以降です。それ以前は、八百屋で買い物をし大きな紙袋で渡されたものです。八百屋には、カップ麺・缶詰・醤油何でも売っていた。なのでそこで買って、すごい丈夫な紙袋にいろんなものを詰め込まれました。
コンビニ袋が登場したのは、1979年頃だったと思います。それ以前のテレビドラマを見ればわかりますか、ドラマの登場人物は、茶色の丈夫な紙袋に大量の食材を入れて自宅に帰っていました。
当時は、コンビニも、今ほど多くなかったし、値段も高かったので、スーパーや八百屋など、他の店で買い物をしたのです。八百屋で買い物をすると、「大根のいいのお願い」と注文すると八百屋のご主人が、一番良さげなものを見繕って買い物袋に勝手に入れてくれます。そして「こいつはおまけね」と、B級品の人参なんかを入れてくれました。
店には小さな子供さんが、買い物かごを持って、お使いに来ていて、お母さんから手渡されたメモを、八百屋のご主人に渡すと、ご主人は、買い物かごに野菜を入れて返します。お金のやり取りはありません。月末に支払うシステムになっています。中には犬に、買い物かご持たせる家庭もあったくらいです。そういう時代が、1970年の終わり頃まで、日本全国の日常風景だった。
その風景を壊したのが、コンビニとスーパーだったと思います。1970年代のドラマを見ればわかりますが、誰かが病気をしたり入院したりすると、みんな紙袋に大量の缶詰を入れてお見舞いに行くシーンがよく見られます。当時は、電子レンジが高額な時代ですし、コンビニ弁当という便利なものも気軽に買える時代ではなかった。ましてやウーロン茶や麦茶を店で買うという風習もなかった。病気をし、自炊ができない体になると、缶詰はありがたい存在だった。
そういう時代に全国を旅する人たちは、コンビニのある今と違って非常に不便でした。田舎や地方都市では、夕方の6時になると全ての店のシャッターが閉まってしまうからです。食堂もそんなに多くはない。パン屋に売ってるパンも、アンパン・ジャムパンばかりで、現在コンビニで売られてるようなサンドイッチなんかはない。あっても、ジャムとかピーナッツバターが揺られているサンドイッチだけ。なので、昔の刑事ドラマを見ると、張り込み中にアンパンやジャムパンを食べながら牛乳を飲んでるシーンがよく出てきました。
そういう時代を知ってる人達にしてみたら、今の時代は非常に便利です。コンビニ袋の廃止なんか、痛くも痒くもない。私は、自動車に買い物かご(マイバッグ)と保冷箱を必ず入れています。コンビニ袋も、40号100枚セット100円のものを100円均一で買って、車のダッシュボードにマスクと一緒に入れてあります。カバンにも予備を入れてあります。こうしておけば、買い物かごを忘れても慌てずにすみますから。
つづく。
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思います。店側にしたら、いろいろ問題もあるでしょうけれど、
これを恐れていたら、環境汚染が悪化の一途です。エコバッグを無料でレンタルするとか、土にかえる資材で袋が開発されればいいのですが。
吉野屋は、これを使っているようですね。有料化よりも、こっちの方が良いかもしれません。ちなみに私は、大昔からマイバックと段ボールを使ってますので、コンビニ袋はもらってません。もらったものも客室のゴミ箱に使ってます。