2020年09月29日

北軽井沢のツキノワグマについて 最終回

 あれは25年前のことです。25年前に北海道の山奥に1ヶ月ほど潜入することになった私とその仲間は、ヒグマのことを徹底して調べました。 調べていくうちに、大きな疑問にぶち当たりました。研究者の中で、 ヒグマについて正反対なことを言う人たちがいるからです。

 ヒグマについて研究している先生に「ヒグマに襲われたらどうすべきか?」と問い合わせると、 彼らはカナダの事例をもとにしたヒグマへの対処方法教えてくれました。それによると、抵抗せずに亀のようにゆっくり待って相手が去っていくまで待てというものです。いわゆる死んだふりですね。

 これに真っ向から反対してる人達もいました。もう潰れてなくなってしまいましたが、拓殖銀行のシンクタンクである拓銀総合研究所というところが、日本では死んだふりをして助かった例がないと言い、日本において助かったケースは、全てナタで反撃した例ばかりであると統計で証明していました。

 これに対する反論もたくさんあって、特に有名なツキノワグマ研究家が、そんなバカなことはないと、反論されておりました。ヒグマ研究家は反撃しろという。ツキノワグマ研究家は、反撃なんかとんでもないという。逆なら分かるんですが、恐ろしいヒグマを研究している方が、ナタでの反撃を推奨している。

 どっちの説をとるか迷った私は、反撃する説を採用しました。知能の高いクマのことですからカナダの事例があてにはならないと考えたからです。知能が高いと言うことは、後天的に学習することが多い。つまり日本の事例を重視すべきだと。なので人数の分の熊スプレー(当時の価格で1本1万円)とナタを購入し、数ヶ月にわたって反撃のイメージトレーニングを行いました。熊スプレーも実際に発射してみて、その強力なことも身をもって体験しました。幸いなことに反撃するような危険な事態に陥りませんでしたが、こちらが反撃する気満々だったのが、ヒグマを寄せ付けなかった気がします。もちろん幸運もあったでしょう。

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  そんなことはどうでもいいとして、面白かったのは、襲われたら反撃するべきだと言った人たちのが、登別クマ牧場の関係者達だった。自然保護を絶対化する人たちとは、少しばかり毛色が違っていたことです。

 登別クマ牧場と言うと、動物園のような観光施設をイメージしますが、最初から観光施設だったわけではなく、最初はヒグマを増やして儲けるつもりだった。つまりクマの家畜化を考えていた。というのも熊の手とか、熊の胆とか、毛皮とか、熊の剥製が、昭和時代では高値で買い取られたからです。ただし、野生の熊が殺されることは、ほとんどない。ならば牧場で育てようということになったわけです。熊の家畜化。まさにクマ牧場を考えていた。

 ところが簡単にはいかなかった。どんな柵も、どんな施設も、ヒグマたちは簡単に破壊してしまう。おまけに穴を掘るのが得意なために、動物園のように、すべてコンクリートで囲った施設にせざるをえない。で、家畜化をすすめたけれど思ったほどヒグマの商品価値は高くなかった。現在のような動物園としての観光施設で延命するしかなかった。

 しかし、これがヒグマの研究に革新をもたらしてしまった。散々ヒグマに手を焼いたクマ牧場の人達によって、ヒグマの生態が、少しずつわかってきた。例えば、いつ子供を産むかということがずっとわからなかったのだが、クマ牧場のおかげで分かるようになった。出産の過程を録画することによって朝生むのか?夜生むのか?何時間かけて生むのか?というのが分かるようになったわけです。 で、急速にヒグマの生態が解明されていった。

 これに対してツキノワグマの場合、大きく遅れをとってしまった。
 本州には、登別クマ牧場のような存在は無く、
 個人のツキノワグマ好きが、ツキノワグマを飼育して調べている状態だった。

 その中で最も有名なのが宮沢正義さんです。

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 宮沢正義氏(http://kumamori.org/about/adviser/masayoshimiyazawa/から借用)
 1927 年長野市生まれ。長野電鉄勤務、農業のかたわら、
 独学で10頭のツキノワグマを20年以上も自宅で飼育。



 彼は長野郊外の自宅でツキノワグマをのべ10頭も飼育して研究をすすめていた。いわばツキノワグマ版のムツゴロウさんみたいなものですが、こういう野生動物好きの人たちの地道な研究によるところが大きかった。こういう人たちには、ツキノワグマの家畜化という視点がありませんし、それゆえに資本力も無く、大規模な実験ができていません。北海道のヒグマ研究に対して不利だった部分があります。

 ちなみに宮沢正義さんは、嬬恋村(万座温泉豊国館)・山田牧場(志賀高原横手山)に縁がある人です。


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 昔の万座温泉


 まあ、そんなことはどうでもいいとして、どういうわけか群馬県の吾妻郡(嬬恋村・長野原町あたり)では、ツキノワグマをペットとして飼う人が多くいました。もちろん北軽井沢にも15年前までは、ツキノワグマをペットとして飼っている人がいました。うちの宿の近くの人で、イノシシ牧場を経営している人が、ツキノワグマを飼っていたのです。子グマら首輪をつけ、その首輪に鎖を繋いで、その鎖が大きな古タイヤに結びつけてありました。そのイノシシ牧場は、もう存在していませんが、古い『るるぶ軽井沢』を古本屋で見つけたら掲載されているはずです。

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 クマの檻

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 今にしてみたら信じられないことなんですが、北軽井沢とか、川原湯渓谷の露店の土産物店で、檻にいれるでもなく、普通にツキノワグマをペットとして飼っている人がいました。川原湯渓谷は、八ッ場ダムに沈んでしまいましたが、その土産物店(露店)は、番犬のように飼っているペットのツキノワグマをダシにして観光客をあつめ、たいそう繁盛したと聞いてます。

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 残念ながら私が、北軽井沢に引っ越してきたときには、店をたたんでいなくなっていましたが、昭和の昔は、観光バスが何台も駐まって、一種の名物になっていたというから驚きます。群馬とか、長野では、ツキノワグマはペットにしても、家畜にして儲けようとは考えなかったようです。この感覚が、本州に登別クマ牧場のような存在が、できなかった理由かもしれません。

 そういえば、ツキノワグマのムツゴロウさんこと宮沢正義さんも、飼っていたツキノワグマに首輪をつけて、しかもワラで編んだ縄をリードにして、普通に近所を散歩していたようで、その写真がたくさん残っていますが、つくづく、昭和という時代はノンビリしていたと思います。今なら考えられないですね。



つづく。

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posted by マネージャー at 21:54| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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