親が知らないところで、突然何かに目覚めることもある。
今回の槍ヶ岳登山でそれが分かったわけですが、そもそもうちの息子は、三月二十六日生まれということもあって、よそのお子さんに比べて幼すぎると言われていました。同級生ができることが、できなかった。一学年下の子供さんと遊ぶのが丁度いい感じでしたし、その一学年下のお友達と遊んでいる姿も、主導権は年下のお子さんが持っていました。それどころか二学年したのお子さんと遊ぶと丁度いいぐらいだったのです。年長組の息子が、年少さんと遊んで丁度いいぐらいだった。
とにかくうちの息子は、幼稚園時代から成長が遅いことで有名で、幼稚園の担任の先生から何度も警告を受けて、嬬恋村が行なっているすくすく相談に行くように言われて、そこに通っていました。いわゆる成長の遅い問題児だった。
運動神経にも問題があったようで、これに関しては今でも、すくすく相談で、作業療法士の先生の指導を受けていますが、その先生がよく言ってたことは、
「運動神経のシナプシスは、ある日突然つながることがあるので、何もできなかったことが、ある日突然できることもあるんです」
ということですが、正直言って半信半疑。というのも、空手教室に連れて行けば、空手の先生に、あまりにも何もできないために
「このままではまずいので、教室の指導中に、お父さんが積極的に教えてあげてください」
と言われて、うちの息子だけは、教室の時間に親がでしゃばることを許されていたし、キックボクシング教室でも、縄跳びをやらされると、ただの一回も縄跳びができなかった。できないどころか、縄跳びのやり方さえも分からなかった。
幼稚園の担任の先生にも、
「いじめっ子にやられても、やり返すことができない。嬬恋村では中学校になるまで同じクラスが続くので、もっと強くならないと」
と言われており、女の子達としか口をきかない状態でした。小学校一年生の担任の先生にも入学当初は「大丈夫ですかね」と言われ続けていた。だから嬬恋村の作業療法士の先生に
「ある日突然できるようになる」
と言われてもにわかには信じられなかった。
そうは言っても、コツコツと運動させるしかないわけで、暇を見つけては家族で一緒に近所の山を登山し、毎日コツコツと体を鍛え続けました。それが今回の槍ヶ岳登山での体力の早々に発揮につながったのかもしれません。
三月末生まれということもあって、息子は決して才能に溢れてるわけではありませんが、コツコツと努力することを嫌がらない性格であることは良かった。昔から早生まれの子供は努力家が多いと言われていますが、これはある意味真実かもしれません。
早生まれの子供達というのは、小学校低学年のうちはどうしても、他の人たちができることをできないでいるわけですが、そのできないことも、コツコツと努力さえしていれば、ある日突然できるようになる。低学年のうちは、なかなかうまくいかないけれど、学年が上になるにつれて、人並み以上にできるようになる。そんな気がしてきました。
まあそんな話はどうでもいいとして、槍ヶ岳の話です。
私たち夫婦は、どんどん先に進む息子の後を追いかけるのに必死でした。それでも何とか、追いつけたのは、途中から「槍ヶ岳山荘まで何キロ」と言うペンキが岩や石に書かれてあったからです。息子は、その数字の前でポーズを取ります。そして私たち夫婦を待っているわけですが、そこになんとか追いついた私は、ポーズをとっている息子の写真をとるわけです。
4歳の時の息子
現在(7歳)の息子 400メートルの表示でポーズをとる
三年前、四歳の息子を槍ヶ岳に連れて行った時は、今回と立場が全く逆だったので感慨深いものがあります。三年前の槍ヶ岳登山の時は、百メートルおきに書いてあるペンキを目印に、
「あそこまで行ったらおやつをあげる」
とニンジンをぶら下げて、息子の登山意欲を煽ったものですが、今年は人参などなくても、どんどん先に歩いて行く。三年間で、これだけ成長しました。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」
とはよく言ったものです。
息子と私が槍ヶ岳山荘に到着したのは、十二時三十分頃。嫁さんの奴は、更に十分ぐらい遅れて到着。元気な息子に対して嫁さんは、ボロボロになっていました。とりあえず、槍ヶ岳山荘にチェックインを済ませ、談話室でしばし休憩しますが、息子の奴は、談話室にあったクライミングボードでクライミングを始めます。
「おいおい休憩しろよ」
どう思った私は、こんなところで体力を使われてはたまったものではないし、変な癖をつけても危険なので、早々に槍ヶ岳の頂上に登ることにしました。
談話室のクライミングボードで遊ぶ息子
フリークライミングと岩登りは基本的に違う作業だったりする
なので私は息子に、この遊びを止めさせた
とりあえず、五百円で息子のヘルメットをレンタルし、頂上に向かってロッククライミングを開始。一般的に言って七歳の子供を褒めすぎると、調子に乗って命を落としかねないので、厳しめに指導しています。
「こんな急な岩場、登れると思ってないでしょ」
「うん」
「でも、登れる人には簡単に登れるんだ。どうしてだか分かる?」
「運動ができるから?」
「そうじゃない。登山と運動神経は関係ないんだ。そうじゃなくて、階段がみえるかどうかなんだ?」
「階段?」
「登山ルートの岩場には必ず階段がある。ここ見てごらん、くぼんでるだろ?これが階段なんだよ。整然としている階段ではないけれど、このような階段が、岩場のルートには必ずある。なかった場合は、人工的にドリルで掘って階段を作ってしまったり、鉄の杭を打って人工的な階段を作ってしまったりする。登山ルートの岩場には、そういう人工的な階段が必ずある。問題は、その階段が、見えるかどうかなんだよ」
「ふーん」
「岩登りというのは、体力戦でもなければ、運動神経で登るわけでもない。あえて言うならば頭脳戦。つまり頭で登るのが岩登り。要するに岩場の中に、自分なりの階段が見えるかどうかなんだよ」
「うん」
「階段が見えてれば、2メートルくらいの岩場なんか簡単に登れる。で、2メートル登れるんであれば、200メートルでも300メートルでも登れる。なぜならば、200メートルは、二メートルを10回登るだけだから」
「あ、なるほど」
「そしてもう一つ。足だけで登るのが岩登り。基本的に腕は使わない。腕力を使って登っているんだとしたら、それは下手くそな岩登りで、万が一踏み外したら転落するしかない。万が一のために手は残しておかなければならない。つまり、あくまでも二本足で登る。腕はバランスをとるために、ちょっとだけ岩に乗っけておくだけ。フリークライミングと全く違うから誤解しちゃだめだよ。フリークライミングと、一般的な登山における岩登りは全く違うんだよ。あれは別物だと思った方がいい」
「うん」
「もし、腕力でないと登れないような場所に自分がいるとしたら、それは、自然の階段を間違えている。落ち着いて、正確な階段を見つけなければいけない。そういう意味で、登山は頭でするものなんだよ。分かった?」
「うん」
「よし、登ってみよう」
槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳の頂上までのルートは、急な岩場で、登る人が多くて北アルプスで最も渋滞するルートです。渋滞する理由は、登る人の人の多さもありますが、たった一人でも、恐怖のあまり硬直して、登れない人がいると、そこでストップしてしまうからです。そうなると、不幸な事件が起きたりします。
あおりドライバーが社会問題となっていますが、それと同じような人間が、登山家の中にもいます。数は少ないですが、後ろの方で「おせーな」と煽る奴がいる。煽れば煽るほど、恐怖のあまり岩場で硬直してる人は、ますます緊張して前に進めません。こういう時、ベテランの登山家は
「ゆっくり行きなさい」とか
「煽るのは、登山家として最低だから気にするな」
と励ましたりして、救出に向かっていきサポートしてあげたりします。そういう現場を私は何度も見ていたので、ちょっと不安だったのですが、幸いなことにこの日は、台風直後のために、ほぼ無人の状態でした。おかげで私は息子とゆっくり槍ヶ岳にチャレンジすることができました。
頂上に着いたのが、14時30分。
画像の通り、すごい眺めです。
槍ヶ岳山頂・三角点
槍ヶ岳山頂・奥の院
不思議なことに、頂上付近では、どういうわけか、ハエの飛ぶ音が聞こえてきます。こんなところにもハエがいるんだなぁと感心していたら、ハエの飛ぶ音ではなくて、ドローンが飛ぶ音でした。天気が良すぎるのでドローンを飛ばして撮影していたのか、それとも7歳の子供が頂上に向かっていたので、それを撮影していたのか、もしその時の画像があったら見てみたいものです。もし息子を撮影した方が、このブログを読んでいたら、YouTubeか、どこかに公開してもらえないでしょうか?
下山後、食事までに時間があったので、私たちは、眼下の槍沢カールを眺めながらおやつを食べることにしました。鍋奉行ならぬ、おやつ奉行の息子は、山小屋の前にあるテーブルに、ずらりとおやつを並べて、父親の分・母親の分・自分の分と分けて、おやつパーティーを開いたわけですが、母親がなかなかやってこないので、息子の奴は母親の分のおやつを全部食べちゃったうえに、私の分も半分ぐらい食べちゃいました。ミックスナッツ・チータラ・チーカマ四本・魚肉ソーセージ二本をペロリと平らげたのには呆れてしまった。その上、二時間後の夕食の時も残さず食べてしまった。すごい食欲です。
つづく。
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