嫁さん(昭和47年生)は、このアディダス(Adidas)のブランドにいたく感動していた。嫁さんの実家館林では、アディダス(Adidas)が高くて買えなかったために、みんなオディダスというバッタもんを使っていたらしく、そういうバッタもんが、館林中に大流通していたらしい。
逆に私(昭和36年生)が生まれた佐渡島には、そういうバッタもんは無くて、猫も杓子もアディダス(Adidas)ばっかり持っていて、私にとってアディダス(Adidas)は、いまで言うユニクロみたいな存在で誰も欲しがりはしなかった。そもそも書道セットに、なぜアディダス(Adidas)なのか、さっぱり分からない。なので、息子には
「好きな書道セットを選びな」
と言い、息子もアディダス(Adidas)でない書道セットを選んでいる。
ちなみに私が子供の頃は、筆も硯も別個に買って持って行った気がします。墨も硯ですっていた。そもそも書道セットなんてものが、あったかどうかも記憶にない。というのも私が子供の頃は、物心がついた頃に習字を始めてる子供たちが多かったからです。昭和30年代から40年代にかけては、塾といえば、そろばん塾か習字の塾でした。
私が生まれた佐渡島の金井町というところは、人口が五千人ぐらいしかないくせに、私が知ってるだけで書道家が四人ぐらいいて、そのお弟子さんが何人かいて、それぞれが塾を開いて盛況でした。小学校の三年生ぐらいで草書体や篆書体をかく子供たちもいて、優秀な作品は巻物にして展示されたりしたものです。小学校でも、毎月のように書道の発表会があって、廊下にずらりと展示されていました。
当時は、習字がうまいということは、勉強や運動ができることと同じくらいのステータスだったと思います。ただし私には興味が無かった。無かったけれど、友達が全て習字の塾に行くというので、私も一緒に行くことにした。遊び相手が塾に吸収されて消えてしまうからです。というわけで、私は小学校三年生の頃に、短期間習字の塾に通いました。で、いきなり頭角を現したんですが、すぐに駄目になってしまった。
まず、入塾して先生に目をつけられてしまった。
「うますぎる」
というのです。そして個人的に特訓をうけるようになってしまい、それが原因で私は習字が嫌いになってしまった。
みんなはすぐに帰ってもいいよと言われるのに私だけ帰ることを許されなかったからです。友達と一緒に遊ぶために塾に行ったのに、その友達はすぐに解放されて、私だけが居残りになってしまうのに無性に腹が立ってしまった。
ちなみに、どうして先生に「うますぎる」と褒められたかと言うと、これには原因があって、子供の頃からなんでもトレースしてしまう癖があったからです。
トレースというのは、手本を見て、そっくりコピーしてしまうことです。何をトレースしていたかと言うと日本地図・世界地図・鉄道線路とかです。特に日本地図は毎日のようにトレースしていたために、本物そっくりに書く技術がどんどん上達していたのです。
そういう状況下で、習字の塾に入ったわけですから、トレースの要領で習字を始めたわけで、手本そっくりに書くのが普通にうまかったらしい。それを先生が誤解して、私のことお習字の天才だと思ったらしく、友達は一時間ぐらいで解散していいのに、私だけ三時間ぐらい残されて嫌になってしまった。なので、私はわざと下手くそに書いて
「今日はもう帰りなさい」
と言われるようになり、最終的には習字の塾そのものに行かなくなってしまった。
ちなみに書道の技術と、トレースの技術は全く違います。手本と同じ文字を復元する能力と、習字が上手くなる能力は全く違う。習字というのはあくまでも字を上手く書くことであって、「とめ・はね・はらい」に気をつける。けれどトレースする人間は、そんなものより空間構成を見ている。だから書道とトレースは別物で、手本をコピーすることと、字を上手に書くことは、必ずしも一致してない。これは、少しでも美術をやった人なら理解できると思う。
私が習った習字の先生には、これがわからなかったんだと思う。私は、日本地図やウルトラマンに出てくる怪獣コピーするのが好きだったわけで、そういう技術があって、その延長線上に習字を書いていただけで、決して字が上手く書けたわけではなかった。そもそも字をうまく書こうと言う気持ちがなかったので上達するわけがない。
しかし、書道の先生には、そんなこと分かるわけがなく、
「うわー上手だなあ。惜しいなあ。墨が薄くなかったら師匠に提出するんだけれどなあ。墨が薄いんだよね。もっと濃く墨をすって、もう一度書き直しなさい。墨が濃かったら一発で昇級するから頑張ってね」
と、赤字で二重丸をつけて
「これは上手いから、部屋に飾っておきなさい」
と言います。そんなもの飾るわけがない。いつもクシャクシャにして捨てていた。飾ったのは1回だけだった。それよりも子供の頃の私は、どうして皆と一緒に遊べないんだという鬱憤がたまっていった。
ちなみに私が習っていた先生は、某書道家の高弟の方だったらしく、教え子に対する昇級・昇段の権限が無かったので教え子を昇級させるためには、作品の提出が必要だったらしい。だから少しでも良い作品を生徒に書かせることに熱中していた。で、見込みがあると判断した私だけを居残り練習させていたので、それが嫌で辞めてしまった。
その後、親がやっていた日本習字という通信教育で、何年か習字を勉強して四段くらいにはなったんですが、中学校に入る前にやめてしまった。やはり字を上手に書こうと言う気がなかったんだと思います。
私がやっていたのはあくまでもトレースで習字ではなかった。それが証拠に手本がないと下手くそだった。ちなみに当時の日本習字という通信教育は、トレースぎみの教育システムで、「とめはね」よりも「空間設定」を重視していたので、トレース好きな人間には、もってこいの書道だった気がします。もっとも今の日本習字が、どういう教え方をしているのかは分かりませんが。
つづく。
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