慌てて、あちこちのハードディスクに入っている息子の写真を探しまくり、なんとか二十枚ぐらいを用意したんですが、どこに保存されているのか探し出すのに苦労しました。そしてそれを持って、北軽井沢にあるコンビニのローソンに行ってプリントアウトしたんですが、そのプリントアウトの仕方がよく分からなくて戸惑いました。
なんとか作業終了させると、いつまでたっても写真が出てこない。変だなあ変だなあと思いつつどうしても出てこないので店員さんに聞いてみたら、写真が出てくる場所が違っていた。私はコピー機のところから出てくるものだと、ずっとコピー機をにらめっこしていたんですが、そうではなくて別のところから写真が出てきていた。訳分からん。
で、出てきた写真を見てみたら、これが非常にきれいに印刷されているんで驚きました。一昔前のフィルムを現像した写真と何ら遜色がない。というわけで、それらの写真をしげしげとみたわけですが、パソコンで見る写真と違ってプリントアウトされた写真も捨てたものじゃないなと感心したものです。
話は変わりますが、私の一族は、やたら学校の先生が多い。私の弟たちも学校の教師ですし、その嫁さんも教師だったりする。うちの嫁さんの姉妹も教師だったりするし、その旦那さんも教師だったりする。だから教員の内情というのは、ある程度聞かされて知っています。
弟が教師になりたての時(今から三十五年前)に、
「夏休みの登校日がどうして設定されてるか知ってる?」
と聞かされて
「先生が、子供たちの顔を見るためでしょ」
と答えたら、弟のやつはニヤリと笑って
「あれは教師の給料日とボーナス日なので、学校に行かなければならないので、ついでに生徒も集めちゃうっていうことなんだよ」
と聞いて驚いたことがあります。
もちろん今ではそういうことはありません。今は給料は振り込み制ですし、夏休みだから教師が学校に行ってないということもありません。新型コロナで学校が休校の時だって、先生たちは学校に行って仕事をしています。今から三十五年前の状況であって、今の学校ではもっと厳しくなっています。
じゃあ昔は、ひどかったかというとそういうわけではなくて、そういう緩い体制のおかげで、夏休みの間に郷土史を研究して業績を上げる教師や、地質や植物を研究してとんでもない学者になった教師がジャンジャンいました。ある日本史の先生は、高校の教師から筑波大学の教授になったりしていますし、ある生物の先生は、植物学者の大家となって、よくNHKに出演されていました。昔は学校の先生によって、地方の文化が支えられていたという側面があったのです。まあそんなことはいいとして、もう一つ教師あるあるについて述べてみます。
これは人によって違うと思いますが、学校の先生は、スーパーのレジなんかで父兄と一緒に並ぶのが気まずいらしくて、わざわざ遠くのスーパーに買い物に行くらしいです。まあ人によっては、かごの中身を見られるの嫌に思うかもしれませんね。逆に父兄にしてみても、これに当てはまる人がいるかもしれません。学校の先生と一緒に並ぶのが嫌だという父兄もいれば、子供の同級生の父兄と一緒のレジに並ぶのを嫌がる人もいるかもしれません。
この逆が観光協会です。観光関係者は、同業者を見つけるとそばに寄ってきます。そして、にこやかに挨拶をして
「お客さん入ってる?」
と聞いて、相手の情報や景気の状態を探ったりします。話すことは山ほどある。お客さんの傾向とか、食材の値上がり状態とか、嬬恋村の野菜の出来不出来のお話とか、とにかく親しげにガンガン話しまくる。実際親しいわけではない人でも、とにかく顔を見たら楽しそうに話す。腹の中はともかくとして、情報交換だけはしっかりやる。
学校の先生や父兄との出会いとは真逆の反応になる。
それゆえに息子が生まれて子供関連の人たちとの対応に最初は面食らったものです。なので、今では学校関係者とある程度距離を取りながら、観光関係者とは親密な状態です。とはいうものの、あくまでも個人差のある話で、誰もがそうだというわけではありません。
元々私は、無愛想で必要最小限の接触しかしませんので、これが一般的なのかどうかは分かりません。私は、視力が極端に悪いうえに、難聴で耳が聞こえにくいために、子供の頃から人付き合いが苦手だった。ただそのために、文章を書くことを苦にしない人間になっていた。人間誰にも長所もあれば短所もあります。
最後にもう一つ、教師あるあるについて。
実はこれからが本題です。
ここから長い伏線の回収に入ります。
息子は小学校の二年生なんですが、その授業で、生まれてから小学校二年生までの写真が必要なことは前に述べました。写真を使って自分の歴史を作る授業らしいのですが、昔なら考えられなかった。写真が貴重だったし、現像料金もバカ高かったからです。そもそもカメラを持っている人が少なくて、写真と言えば、町の写真館に撮りに行ったくらいですから。スマホやデジカメでジャンジャン撮影できる現代人には、想像もつかないのが、昭和三十年代だった。
それでも、当時の親たちは必死になって我が子の写真を撮影し、それを大きなアルバムに貼って大切にしまっていた。写真が安く現像できるようになったのは、昭和五十年代にはいってからで、それまでは写真は貴重だった。貴重だったけれど、昔の人は、たくさんの写真をアナログデーターとしてい子供に残してくれていた。それらは、タンスの奥にホコリをかぶって死蔵されているかもしれないけれど、貴重な画像データーとして残してくれていた。
そして令和時代。誰もがスマホで写真を撮りまくる時代に、自分の写真が一枚も無い子供がいるという信じられない事態がおきているらしい。
「まさか?」と思うかもしれないけれど、そういう子供に出会った教師が現に存在する。
これこそ「まさか?」の「あるある」なのです。
昭和時代にはありえなかった「あるある」です。
原因として、撮りためたデジタルデーターをパソコンの故障などで大量紛失したり、ハードディスクの故障で大量紛失してしまう可能性が考えられます。しかし、それだって復旧できないわけではない。
一番、やばいのが、USBメモリや、SDカードです。
最近は大容量のものがあるので、四千円くらいの128ギガのSDカードで五年くらい撮り続けることができる。しかし、USBメモリや、SDカードくらい保存に向いてないものはない。これは、その筋では常識なので、絶対に憶えておいた方がいい。ある日、突然、消えてしまうことがありえる。中国製だからそうだということではなく、そもそも構造上の問題で、長期保存ができないうえに、一回壊れたら、救出が出来ない存在です。だから、絶対に、こまめにバックアップする必要があるのですが、下記サイトのアンケートによると
https://www.iodata.jp/ssp/magazine/112/index.htm
家族の思い出(写真や動画)をバックアップしているのは全体の六割しかなくて、約三割の人が家族の思い出(写真や動画)を無くした経験があり、その主な原因は機器の故障によるものであるという。だからこそ、長期保存できるバックアップが絶対に必要なのですが、これが難しい。ハードディスクにも寿命があるし、ブルーレイはもっと危険。SDカードなんかはもっての他。そうなると、ある程度は、プリントアウトして、アナログデーターとして残しておくのもよいかもしれない。その方が後世まで残り続ける可能性が高い。
もし、あなたの祖父母が死んだとして、祖父母の写真アルバムを捨てることはないと思うけれど、これが古いハードディスクだったり、ノートパソコンだったどうだろう? ウインドウズ95くらいに古いノートパソコンの中身を、捨てる前に、すみからすみまで、わざわざ検証するだろうか? ITに詳しい人ならともかくとして、あなたがIT音痴だったら検証するだろうか?
そう考えると、思い出の写真は、後世のためにもアナログデーターとして残しておくのもよいかもしれません。
つづく。
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