2021年02月18日

昔、急行八甲田があった頃、北海道は夢のようなところだった【5】

 鉄道マニアではないのですが、私の北海道旅行は、ほとんど鉄道旅行でした。鉄道好んだ理由は単純明快で、とにかく移動手段が格安であることと、鉄道旅行中に地元民を含めていろんな人に知り合えることです。

 これはヨーロッパ旅行でもそうで、東ヨーロッパでは大勢の人と知り合いになりました。逆に西ヨーロッパでは、プライバシーが完璧に守られていて、知り合いになる機会はありませんでした。

 けれど1989年頃の東ヨーロッパでは、人々は皆フレンドリーで、列車の中ですぐ仲良くなりました。仲良くなったと言っても言葉が通じるわけではありません。当時の彼らは英語は喋れませんし、私よりも下手くそな片言の英語で会話をしてこようとしてきましたので、こっちは彼らの言葉を片言でしゃべりました。

 そしてよくワインを差し出されました。昔は、ペットボトルがなかったですから、水を買うにもワインを買うにも重たい瓶で買うしかなくて、しかも水の方が高かった。なので列車の中ではみんなワインを飲んでいました。ワインを回し飲みしていた。牛乳もあることはあったんですが、東ヨーロッパの牛乳はみんな酸っぱかった。と言うか、どう考えてもヨーグルトだったと思う。絞りたての頃は牛乳だったのでしょうけれど、店頭に並ぶ頃にはヨーグルトになっていた。

 列車が駅に到着すると、いかにも怪しそうな民宿の親父が営業にやってきます。もちろん言葉は通じませんが、彼らは『地球の歩き方』と、千羽鶴の折り紙と、日本の五円玉を手に持って、『1泊5ドル』と書かれた怪しい日本語の紙を見せて、民宿に泊まらないかと言ってきます。怪しさ満載なんですが、騙されたつもりでついていくと、十階建てぐらいのマンションに連れて行かれて、ここが民宿だよと連れて行かれるわけですが、民宿なわけがなくて、空き部屋を旅人に貸して生計を立てている貧乏人のオヤジでした。





 話を戻します。今回は鉄道の話ではなく、外国の話でもなく、バイクの話です。北海道旅行しているうちに気がついたことは、バイクで旅行してる人たちがやたらと多いことです。そして彼らはどういうわけか全員が、
『セーフティードライブ北海道』
という旗を持っていました。
私が
「その旗は何?」
と尋ねると
「ホクレンで給油するともらえるんだよ」
と言ってました。

 そして、とある旅先でライダーさんと仲良くなり、一緒に登山して、そして別れることになった時に、駅の更衣室と言うか待合室で着替える時、そのライダーさんが、仮面ライダーに変身したことがありました。

「え?どういうこと?」

と当時の私は驚きましたが、昔の北海道では、ありがちな話で、コスプレしながら旅をする人たちがたくさんいたのです。2021年の話ではありません。1985年から1990年頃の話です。

 ちなみに私がユースホステルの経営を始めて間もない2006年頃、全国でアニメブームが起きていて、秋葉原では、ハルヒダンスが流行っていた。それをみて、「歴史は繰り返すんだな」と当時は思っていました。





 これを見たときに、1980年代から1990年代に蔓延したユースホステルの歌と踊りを思い出していました。そしてコスプレライダーのことも思い出していました。昔の北海道には、コスプレライダーが、わんさかいたのです。仮面ライダーなどは可愛いほうで、バットマンとか、キカイダーとか、ちびまる子ちゃんライダーとか、エプロンライダーとかいました。

 私が知っている限り一番有名なのが、忍者ライダーです。忍者ライダーというのは、忍者の姿をしたライダーのことで、背中に刀を差しています。そして忍者ライダーに挨拶すると背中の刀を抜いてくれるのです。

 ちなみに当時の北海道のライダー達は、ライダー同士が道路で出会うたびにお互いに手を振りあったりしました。それがだんだん過激になっていって、ライダー同士が出会うたびにスペシウム光線の格好してみたりして、年度によっては全てのライダーが、スペシウム光線で挨拶をすることがあったりしました。忍者ライダーは、スペシウム光線ではなくて、背中に背負った日本刀を抜いて挨拶をしたわけです。

 しかし、日本刀をかっこよく抜ける忍者ライダーでも、それを再びかっこよく背中に刺すことは不可能だったらしくて、日本刀を抜いて挨拶した忍者ライダーは、わざわざバイクを停車して刀に入れなおしたと言われてます。残念ながら、私はこの忍者ライダーに出会ったことはありませんが、水戸黄門ライダーだったら目撃しました。それは3台のバイクが走っていて、バイクのヘルメットにちょんまげのようなものが、くっついており、一人は水戸黄門様で羽織を着ていて、後の二人は助さん格さんのようでした。私が手を振って挨拶をすると、角さんらしきライダーが、黄門様の印籠を差し出していました。





 話は変わりますが、 この時代に知り合った女性の旅人の一人で、 自宅から北軽井沢のうちの宿ので、忍者の姿で泊まりに来たことがあります。 もうその人は、大きな子供さんもおられるので、 ここに写真をアップするのはやめておきますが、忍者のコスプレで軽井沢の駅前を降りて、 その姿で草軽交通バスに乗り、うちの宿まで歩いてきたわけですから、その心臓たるや大したものです。

 翌日は、その忍者の姿で草津温泉に行って、観光客や群馬の地元民に囲まれ、みんなから写真を撮り捲くられて、大人気だったらしく、意気揚々と宿まで帰ってきたんですが、次の日に軽井沢を見学したら、みんなから哀れな者を見る目つきで、スルーされて、針のムシロにいるようだったようで、落ち込んでいました。で、こんな雄叫びが・・・・

「軽井沢なんて嫌いだ! 群馬は大好き!」

 いやいや、そこは分かってたでしょう。
 予想しなかったのかい!

 ちなみに彼女の部屋に掃除に入ったら、布団を使った形跡がない。思わず私は
「屋根裏で寝たのか?」
と聞いたら
「どうしてわかった?」
と手裏剣を出してきました。 そんな彼女も、今ではお母さんになって社会的な地位を確立していますので、このネタはこれ以上は封印しておきます。 ただし、このブログのどこかに過去の写真と記事が残っているかもしれません。



つづく。

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posted by マネージャー at 21:56| Comment(0) | 旅と思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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