これは本人も言っていることなんですか、司馬遼太郎は、火星人が地球を見ているような感じで歴史を見ようとしている。だから彼は、冷めた目で主人公を見ている。上から目線で俯瞰して主人公を観察し、主人公の敵に対しても俯瞰して見ている。
つまり、作者本人が主人公に対して感情移入してない。それでいて主人公の魅力を最大限に引き出すのが司馬遼太郎の得意技。冷めた目で主人公を見て、冷めた目で主人公の行動を評価して、その上で主人公を魅力的に見せる。こういう作品をドラマにした時に、一番困るのは脚本家でしょう。
司馬遼太郎の小説には、主人公が二人いる。一人は本当の主人公で、もう一人は司馬遼太郎本人です。そして司馬遼太郎自身が、小説の中で小説の主人公と会話したりする。こういう作品をどうやって映像化すれば良いのか? 忠実に映像化することなど絶対に無理なのだ。そもそも作者が主人公に感情移入してない作品を、どうやって映像化すればいいのか?
1968年に『竜馬がゆく』という大河ドラマを作って失敗している。当時の大ベストセラーである司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が、最低視聴率(平均視聴率14.5%)で大河ドラマは打ち切り寸前だったという。それを『天と地と』の大成功で盛り返したわけだが、司馬遼太郎の小説は、それほど映像化が難しいのだ。
なにしろ司馬遼太郎は、主人公の内面を追求しない。いつも主人公と距離をとっている。だから感情移入しにくいうえに、司馬遼太郎の魅力ともいえる作者の脱線話、つまり彼がストーリーの間に挟んでくる「余談」を映像化することが難しいのである。けれど「余談」を削れば、司馬遼太郎の魅力は半減する。かといってナレーションとして「余談」を入れると、物語が散漫になってしまう。例えば、ラブシーンの途中に(アクションシーンの途中に)ナレーションが入ったらどうなるだろう? 一気に視聴者は幻滅してしまう。そもそもナレーションを多用するドラマは、失敗作というのが、映像作家なら誰でも知っていることなのだ。
以上、前置きを終わる。
本題に入る。
NHKの大河ドラマは、
花の生涯(1963)
赤穂浪士(1964)
太閤記(1965)
源義経(1966)
三姉妹(1967)
竜馬がゆく(1968)
天と地と(1969)
樅ノ木は残った(1970)
春の坂道(1971)
新・平家物語(1972)
と続いた。新・平家物語(1972)にいたっては、映像化すればヒットまちがいなしといわれた吉川英治の原作を採用し、脚本家は元祖ライトノベル作家である平岩弓枝を起用し、当時の豪華メンバーをずらりと配役にして、ホームドラマのように役者の顔アップをテレビに流し続け、平均視聴率21.4パーセントをかせぎました。
で、その次の年が、司馬遼太郎の『国盗り物語(1973)』でした。『国盗り物語』のあらすじを簡単に言うと、前半が斎藤道三の話。後半が、織田信長と明智光秀の話です。織田信長と明智光秀は、斎藤道三の義理の息子で、ライバルだったという話です。『麒麟がくる』のあらすじにそっくりですが、かって『国盗り物語』に熱中した私は、『国盗り物語』の劣化版にみえてしまう『麒麟がくる』を冷静に受け止めることはできない。
それはともかくとして、司馬遼太郎の作品を原作にドラマを作ると失敗する可能性が高くなる。司馬遼太郎の筆法では、主人公に感情移入しにくい。彼の魅力は脱線話の面白さだが、それをドラマに入れにくいので司馬遼太郎の持ち味が死んでしまう。どうするんだろう?と思っていたら、NHKは非常に巧妙な手法をとってきた。
どうせ感情移入しにくいなら群像ドラマにしてしまえと、複数の主人公登場させる方法を取りいれた。具体的に言うと『国盗り物語』の中に『功名が辻』『尻啖え孫市』『梟の城』『新史太閤記』を入れて、司馬遼太郎の余談の代わりにした。ナレーションで司馬遼太郎の余談を語るのでは無く、群像劇をみせて、司馬遼太郎の余談を味合わせる工夫をした。これは私の勝手な分析ではなく、当時のプロデューサーが告白していることである。だから『国盗り物語』という題ではあっても、中身は違っている。
(『国盗り物語』林光の音楽は、歴代の大河ドラマの中で最も美しい)
ところで、この『国盗り物語』、歴代の大河ドラマでも最高傑作に近いくらいに面白かった。当時、私は小学校6年生だったのに、今でも全話記憶に残っているくらい面白く見ていた。私は、その後に司馬遼太郎の原作を読んだのですが、ドラマと原作がピッタリと一致していた。だから難しいと思った原作が、スラスラと頭に入っていった。
司馬遼太郎というドラマ化が不可能に近い作品なのに、原作に忠実にドラマ化している。原作の難しい所やダラダラとしたところをバッサリとカットして、原作の一番良いところにスポットライトを当てて見せていた。それぞれ一番美味しいところを抜き出して、それを毎週これでもかと提供していた。つまり一話完結の連続ドラマを見せられていた。朝ドラとは違う作りだった。『功名が辻』なんか、たったの一話で終わらせていた。それが小学生には分かりやすかったのかもしれないし、歴史音痴の人間にもとりつきやすかった。
逆に言うと、全体に淡泊だったかもしれない。金のかかりそうな合戦シーンの一部をナレーションだけで終わらせたり、チャンバラアクションも省略することが多く、そのかわりに『功名が辻』のような戦国の面白エピソードを盛り込んでいた。『国盗り物語』なのにチャンバラをあっさりと省略している珍しい大河ドラマだった。
もっとも、これだけの原作を詰め込んだ群像劇ならば、合戦を一々撮影などしてられなかっただろう。どこかで切り捨てる必要がでてくる。そういうときは、屏風絵の合戦シーンの絵ををみせてナレーションでお茶を濁している。脚本家は、チャンバラよりも、司馬遼太郎の歴史観を紹介することを優先していた。
主人公も、一話ごとに違っていた。群像劇なので、当たり前と言えば当たり前なのだけれど、これが歴史知識の無い人間にはありがたかった。そのうえ斎藤道三から、明智光秀・織田信長・豊臣秀吉・才賀孫一・山内一豊・黒田官兵衛・伊賀忍者と、戦国オールスターをいっぺんに学習できる大河ドラマというのも珍しかったと思う。
林光の音楽も素晴らしかった。冨田勲ばかりを使うNHKにしては、林光という大御所の採用は、ちょっと珍しいが、この人は、やはり天才だと思う。後に大河ドラマ『花神』の音楽も担当しているが、こっちも素晴らしい音楽だった。その後、NHK少年ドラマシリーズ『星の牧場』で素晴らしい音楽を披露し、『星の牧場』に役者として出演していた千住弘(音楽家)・千住真理子(バイオリニスト)が音楽家の道に進むきっかけを与えている。
そして『国盗り物語』の後に放映されたのが、倉本聰の『勝海舟(1974)』だったが、この『勝海舟』でNHKに大事件が起きる。NHKの組合が倉本聰をつるし上げたのである。倉本聰は、大勢のNHK社員に囲まれて罵声をあび、気がついたら北へ向かう列車に乗っていた。北海道でふらふらとし、北海道民に癒やされて、シナリオ界から消えてしまった。倉本聰の失踪は業界を震撼させた。倉本聰の才能を惜しんで、倉本聰を探し出した人がいて、彼は札幌で発見された。そして、彼に仕事をさせて『北の国から』が始まる。一方、倉本聰を追い出したNHKの人たちは、その後、ぱっとせずに数年で消えてしまうことになる。
まあ、そんなことは、どうでもいいとして、倉本聰の『勝海舟』は凄かった。
登場人物に『うそ』を言わせる。
登場人物に『うそ』を行動させる。
それがスリルにみちて、視聴者を慌てさせるのです。
例えば、こんな感じです。
勝海舟を暗殺にくる人斬り牢人がくる。
牢人は、勝海舟に何も反論しない。
「勝先生のおっしゃるとうりです」
と勝海舟を全て肯定しているが、目は笑っていない。
勝海舟は、牢人の刀をみる。
牢人はぴくりとも動かない。
勝海舟にお世辞ばかり言う。
焦った勝海舟は、ますます時局をとき、鎖国の無意味さを話す。
牢人は「そのとおりです」と相づちをうつ。
決して反論などしない。
牢人の刀が、大きくみえてくる。
冷や汗を流す勝海舟は、ますます多弁になり、
勝海舟を暗殺しようとする牢人は、勝海舟をほめる。
牢人の刀。
勝海舟の焦り・・・。
(『勝海舟(1974)』藤岡弘の坂本龍馬・ショーケンの人斬り以蔵)
私は、倉本聰のシナリオの最高傑作は、『北の国から』ではなく、『勝海舟(1974)』ではないかと考えている。惜しむらくは、この大河ドラマは、NHKが倉本聰に罵声をあびせて追い出した結果、大化けしなかった。ただ、幕末ものとしては、当時の過去最高の視聴率をとっている。
つづく。
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