2021年03月06日

自転車旅行の思い出【2】東海道

 自転車旅行の一番の大敵は、お尻の皮がむけることです。こうなると座って走ることができない。大阪までずっと立ち漕ぎするしかなくなってくる。これじゃやばいので浜松あたりで座布団を買ってそれをサドルにガムテープでぐるぐる巻きにしてかろうじて座れるように改造しました。でも、やはりお尻は痛い。しょうがないので立ち漕ぎをしながら前進するのですが、台風のせいでものすごい向かい風に、なかなか前進しない。

 初日は池袋から清水まで。初日に距離を稼げなかったのは、箱根の山と台風のせいです。 あと安物すぎて変速ギアが無かったのも原因です。当初は公園で仮眠する予定だったのでホテルに泊まるつもりはなかったんですけれど、 雨風がやまなかったので清水のカプセルホテルで一泊しました。

 カプセルホテルは快適でした。寝るところ以外は全て豪華。泊まってみて分かったんですが、常連さんがいっぱいいた。風呂場で常連さんと会話をしてみると、工事関係の人達。ママチャリで大阪まで行くという話をしたら、いろんな人たちからビールやらをご馳走になってしまいました。浴びるほどビールを飲んだんですが、不思議なことに全く酔いません。酔わないけれど、睡魔に襲われてバタン!

 ママチャリはスピードがでません。箱根の坂は別として、どんなに頑張っても時速15キロぐらいです。10時間走っても150キロメートルぐらい。だから600 km を三日間で ママチャリで走るには1日に200 km は走らなければならない。そうすると1日16時間ぐらいは走り続けなければ到達できない。けれど初日は、150 km ぐらいでダウンしていますから、次の日は250 km を 走るつもりで、朝4時ぐらいにスタート。

 けれど、どこまで行っても静岡県。浜松を通り過ぎて、やっと愛知県に入ったかと思うと、今度はアップダウンの多い山道を走る。こういう時に変速ギアのない安物のママチャリを恨めしくを思います。でもまぁマウンテンバイクよりはましかなと思って走り続けるんですが、こうへいあたりから国道1号線は自動車専用道路に変化します。自転車が走れる道が少なくなる。それでも何とか名古屋を抜けて三重県に入る と、なだらかな坂が続くようになります。気がついたら鈴鹿峠に入っていました。その頃には真っ暗。

 体もヘトヘトなので自転車を押して歩いていたら、どういうわけか全輪が外れてしまった。呆然としていたら親切な軽トラのおじさんが止まってくれたので工具を貸してもらい、なんとか修理して鈴鹿トンネルの中で一泊。と言ってもトンネルの中は排気ガスだらけで死ぬかと思ったんですが、台風の雨の中に寝るわけもいかなないので、そこで一晩を過ごしました。今から思えば狂気じみていますが、若い頃は、自分が何をやってるとか、わかってないんですよ。

 翌日、鈴鹿トンネルから京都に向かいます。延々とアップダウンを繰り返しながら京都に到着。このころになると1号線が自動車専用道路になっていても気にせず自転車でゆうゆうと走っていました。よく警察に見つからなかったものだと思います。この頃からサークルk がなくなってローソンが突然あらわれる。セブンイレブンも、ファミリーマートも当時は見かけなかった。今はどうなっているんだろうか?





  京都に着いたら大阪はすぐに到着すると思ったら大間違い。そこからが遠かった。今はどうなってるのかは知りませんが、昔の1号線は、京都から枚方市を通って大阪に到着するんですが 、田んぼが延々と続く。あれ? 大阪の郊外って、こんなに田んぼが多いの?と首をかしげたものですが、今はどうなってるんでしょう?

 京都も大阪も大都市だと思ってた私は、あまりにも延々と続く田んぼに呆然とした記憶があります。そして以外にないのが、コンビニでした。それまでは1号線沿いにコンビニやドライブスルーの吉野家中がいっぱいあったんですが、京都から大阪までの1号線には当時は、あまりなかったんです。今は違ってると思いますけれど。そして大阪にゴール。

 我ながら無茶をしたもんだと思いますけれど、当時は無茶だと思わなかったのは、新潟に実家があった私の従兄弟(かなり年上)が、東京の学校に通っていて、帰省するたびに、東京から新潟市の実家まで自転車で1日で帰っていたという話を中学生の時に聞いていたので
「ふーん、そんなもんか」
と思っていて、 それが当たり前だと大きな勘違いをしていたのです。

 実際は、従兄弟がバケモノだっただけで、普通の人間にそんなことができるわけがない。それを真に受けていた私も、かなりおバカだった。無知というのは恐ろしいもんです。この歳になって過去を振り返るとつくづく思います。 命知らずにも程がある。ちなみに、これを行った頃の私の年齢は30歳。

 その10年前には、ロードマンという自転車で日本各地を旅行したこともあります。このロードマンと言う自転車は、ブリヂストンから販売されていたスポーツ自転車で、ママチャリと違って変速ギアがあったので、さほど苦労せずに日本一周しています。

 自転車は、タイヤが細ければ細いほどスピードが出ます。だから楽に走れる。ママチャリはそうではない。タイヤが太いために時速15キロがいいところ。平均時速は12キロぐらいでしょうか。10時間走っても120キロしかすみません。 途中で何度も、これがロードマンだったらなあとつぶやきました。

 そんなことはどうでもいいとして、大阪に到着したから3日ぐらい友人の家に泊めてもらって毎日のように電車で六甲山に向かってロックガーデンなどの山登りをして遊んでいました。するとまたもや大型台風が大阪に直撃。昼の3時ぐらいに全ての電車がストップしてしまった。関東では、どんなに巨大な台風が来てもすべての電車がストップすることがなかったので非常に驚きました。

 仕方がないので、神戸から梅田まで歩いたのですが、途中で飯を食おうと思ってもコンビニを含めて全ての店が閉まっているので何も買えなかった。こういうところも東京とは違うなぁと変に感心した記憶があります。その日はすごい台風だったらしいんですが、風は全くなくて雨も降ってなかったので、どうして店が全部閉まってるんだろうと不思議に思いつつ街中を歩いたのですが、きっと私は、台風の目とともに東に移動してたんだと思います。結局、最初から最後まで台風ざんまいでした。これも懐かしい思い出です。

 そして日曜日。

 こういうバカをやっている私に会うために、全国から友人たちが大阪まで集まってきました。みんな暇だなあと思いながら私は、
「誰か、このママチャリで大阪から東京に行かない?」
と私が提案すると、
「じゃあ、俺が行く!」
と提案にのる奴がいた。こうして、ママチャリは、壊れるまで東京−大阪間を何往復もすることになります。昔は、こういうバカなことに夢中になる奴らが大勢いた。そして、大阪からママチャリでやってくる関西人。東京から大阪に向かう関東人。そのつど集まって酒を飲み交わす。これが延々と続いたのです。チャレンジャーの男女比は半々だったかな? 若い女の子が、よくこんなバカなことをやったと感心します。



つづく。

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posted by マネージャー at 20:46| Comment(0) | 旅と思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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