1980年代、テレビのCMでさかんにロードマンという自転車の宣伝をしていました。私はそれを買って東北旅行を思い立ったんですが、今と違って当時は、コンビニというものが、なかった。
けれど東京には、あちこちにコンビニがあって、腹が減ったら夜中の12時でも弁当を買いに行けたし、24時間営業の喫茶店も、吉野家の牛丼もあった。そういうところに住んでいたので、田舎の生活というものを忘れてしまっていた。それを自転車旅行をすることによって思い知らされることになります。
四十年前に自転車で東北旅行したことのある人なら、分かると思いますが、東北は田舎だった。なので夕方の六時を過ぎると店がほとんど閉まってしまう。さすがに定食屋は営業していましたが、そもそも定食屋が多くない。東海道と違って国道四号線沿いに店は少なく、食料を調達するのが重要になってくる。
また当時はペットボトルという便利なものがなかったので、途中で水を調達するのに苦労した。今だったら麦茶のペットボトルが、簡単に手に入るんですけれど、昔はその麦茶でさえ売ってなかった。だから公園を見つけたら必ず立ち寄って水筒に水を補給するんですが、40年前の東北には公園というものが少なかった。仕方がないので定食屋に入ってご飯を食べたついでに水筒に水を入れてもらったりしたんですが、そもそも定食屋が少ない。もう少し走ってから御飯にしようと思っても、延々と走らないとレストランがあらわれない。
あと驚いたのがトラックの多さ。当時も東北自動車道はあったと思うんですけれど、国道四号線は異常にトラックが多い。東海道(国道一号線)と違って、やたらとトラックが多い。しかも十トンの大型トラックが多い。そのトラックが走行する自転車を追い抜かすと、トラックのおこす竜巻に巻き込まれるような感じで自転車が吸い込まれていく。危なくて仕方がない。今はどうなっているのかわかりませんが、四十年前の国道四号線は、トラック道路だった。
話を変えます。
自転車旅行を計画したのは、旅行費用を安くするためだったんですが、結論から言うと安くはならなかった。自転車旅行したことのある人なら分かると思いますが、一番安く旅行しようと思ったら鉄道旅行。それも特急か新幹線が一番安いと思う(鈍行は、別の意味で金がかかる)。チケット代は、燃費よりかからない。
自転車旅行には、燃費がかかる。やたらとカロリーを使ってしまうので五杯飯を食べても腹がすく。コンビニのなかった当時は、定食屋に入るしかご飯を食べる手段がなかったが、定食屋で五杯飯を食ったらすぐに金がなくなってしまう。つまり食費という燃料代がかかってしまうのです。
仕方がないのでユースホステルに泊まって、そこでご飯を五杯ぐらいおかわりしようと思ったんですが、残念なことに当時の国道四号線沿いには、ユースホステルはなかった。当時はビジネスホテルもなかった。ラブホテルはあったけれど、さすがに男一人でそこに入るわけにもいかず、とある定食屋で困っていると、そこでご飯を食べていたトラックの運ちゃんが、定食屋ホテルというもの教えてくれました。当時は、ご飯を食べると無料で泊めてくれる定食屋が四号線沿いにかなりあった。それをトラックの運ちゃん達は定食屋ホテルと言ってたらしくて、要するに定食屋の二階が座敷になっていて、そこで仮眠ができると言うシステムだった。
そういう定食屋は、大盛を頼めば、まんが日本昔ばなしに出てくるような、てんこ盛りの大盛が出てくる。しかもそれをガツガツ食べていると、無料でおかわりしてもらったりする。私の喰いぷりがあまりにも良かったせいか、どんどんおかわりが出てくるし、たくあんなんかも無料で出してもらいました。当時の東北には、そういう定食屋がいっぱいあったんですが、今でもあるのだろうか?
そんなことはどうでもいいとして、東京を出発して四号線を自転車で走るわけですが、走っても走っても延々と続く都市部に「果たして前進してるのだろうか?」と疑問が湧いてくる。同じところをぐるぐる回っているんじゃないだろうかと心配になって地図を出して信号機を見て位置を確認するわけですが、確かに北に向かっている。少しずつ東北に向かっているのは確かなんですけれど、一向に風景が変わらない。都市部を延々と走ってる感じです。とにかく関東平野が広いということだけは、実感できます。
とにかく栃木県の広いこと。どこまで行っても栃木県。どんなに走っても栃木県。栃木県が地球の半分を占めてるんじゃないかと思うくらい栃木県が広かった。地図で見るとそんな感じはしないんですけれど、栃木県はやたらに広い。それでも関東地方を走っているうちは、楽勝だと思っていたんですが、宇都宮を過ぎたあたりからちょっと勝手が違ってくる。宇都宮を過ぎると地獄の山登りが始まる。しかし、ママチャリと違ってロードマンには変速ギアがあった。構造も簡単なので、パンクの修理も難しくない。
で、福島県に入るんですけれど、これがまた広い。栃木県より広い。しかも山ばかり。ずっと登ったと思えば、いきなり降ってしまう。そしてまた登りと、とんでもないアップダウンが続く。福島県は、県全体が山。そして、この辺に来ると明らかに言葉が違っていた。食料の調達も難しくなってきた。寝るところも確保できなくて土手の芝生で一泊するしかなかった。で、眠っていると朝方にホッペタを棒で突くやつがいるので、目覚めると大勢の小学生の顔があり、みんな「ワーッ」と驚いて逃げていった。
その後に宮城県に入るわけですが、宮城県はもっと広かった。信じられないかもしれないけれど、福島県よりも広かった。どこまで行っても宮城県。どんなに走っても宮城県。この辺に来ると大型トラックも倍ぐらいに増えて道路をびゅんびゅん走ってる。どうして東北地方は、こんなにトラックが多いんだろうと不思議に思いつつ、延々と宮城県を走る。
次に岩手県に入るわけですが、もう気が遠くなるくらいに岩手県は広い。もうこのころになると限界で体が自由に動かなくなっていました。さすがに無理をし過ぎた。仕方がないので宮沢賢治ファンだった私は花巻で一泊。一日ぼーっとして、わんこそばを百五十杯くらい食べて体力を回復させ、夜に居酒屋に入って色々注文するんですが、見たこともない料理がメニューにずらりと並ぶ。岩手料理は、奥が深くて食べたことのないような郷土料理がワンサカありました。気に入ったのが「ひっつみ」と「とんぶり」で、珍しい料理を食べながら、マタタビ酒といった珍しい岩手の酒を飲んで元気をとりもどし、翌日にスタート。
なんとか岩手県を通過して青森県に入る。青森市は遠かった。その後は日本海沿いをゆっくり南下したわけですが、途中で自転車ごとトラックに乗せてもらったりしましたけれど、海沿いを走ったので風とアップダウンに少しずつ体が動かなくなっていった。皮膚に塩がこびりついていて、黒のTシャツも塩で白くなっていたので、
「さすが日本海」
と思っていたけれど、それは私の勘違いだった。海の潮風でTシャツが塩だらけになったのではなかった。それが私の汗の塩だと気がつくのは、足がつって動けなくなってからだった。
動けなくなる。仕方が無いのでラーメン屋でラーメンを食べたら異常に美味しい。大盛を三杯おかわりした。もちろん汁も残さず飲んでいる。確かに秋田のラーメンは美味しいのだけれど、原因はそこではなく塩分不足にあった。体の調子が悪くなる時、ラーメンの汁も残さず食べると復活するので、塩分不足が原因で間違いなかった。
ちなみに東北を自転車一周すると、タイヤがツルツルになります。これを交換すると一万円ぐらいかかる。そして、燃費(つまり食費)が、一日四千円。二週間で六万円近くかかる。そのくらい食べないと自転車で一日二百キロは走れない。おまけに途中で何度もパンクしてますから、その費用もかかる。なんだかんだ色々計算してみた結果、電車旅行の方が圧倒的に安いことが分かって、それ以降は、電車旅行ばかりです。ちなみに旅行中は五杯飯を食べていましたが、旅行が終わったら七キロ痩せていました。
つづく。
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