どういうわけか私が宿泊した時の摩周湖ユースホステルには、中学生や高校生が大勢いました。今では考えられませんが、昔は中学生や高校生の一人旅が大勢いたのです。ユースホステルだったら安心だということで親御さんも、積極的に一人旅をさせていました。彼らの親御さんも若い頃にはカニ族としてユースホステルを使って旅をした口です。
中学生や高校生ですから車を持っていません。もちろん私も車で旅をしていませんから、そういう点では彼らと一緒です。たまには電車を使って旅をしますけれど、大半は徒歩旅行です。だから徒歩旅行どうしとして、私は中学生や高校生と仲良く話をしていました。仲良くなった原因は、3回ぐらい同じ宿に泊まり合わせたためです。北海道旅行者は、大雪山系を中心に反時計回りに電車で回る人が多かったので、どうしても泊まる宿が一緒になります。特に徒歩旅行がメインの人たちは、訪れる場所も似たり寄ったりとなるので、宿が重なったりすることが多いのです。
「明日はどこへ行くんですか?」
と聞かれて
「気の向くままだな」
と答えて、宿屋で別れるんですが、翌日同じ宿で鉢合わせしてしまうことだって何度もありました。
これは徒歩旅行だけでなくて、北アルプスを縦走するときも同じような体験をします。1日に歩ける距離に大差がないので、どうしても山小屋が一緒になってしまうのです。それと同じで、徒歩旅行でも同じ宿に鉢合わせすることがよくありました。たまたま摩周湖ユースホステルで、大勢の中学生や高校生と鉢合わせした理由です。
そういったわけですから彼ら彼女らは、私の所に寄ってきて
「明日はどうするんですか?」
と聞いてくる。
「太陽が上がる前、つまり朝3時に起きて摩周湖まで歩こうと思う。朝日に輝く摩周湖を見たいんだよね」
「一緒に行ってもいいですか?」
「いいけど朝の3時だよ。起きられる?」
「起きます」
というわけで、朝の3時から30人ぐらいを引率して摩周湖まで向かうことになりました。
そして朝3時に出発するのですが、参加者のほとんどは中学生と高校生。大学生も少し混じっていました。男女比で言うとほとんどが女の子達。一緒に行くと約束していた男の子たちは、起きてこなかった。
で、みんなで歩き始めて摩周湖に向かって2kmほど歩いた時、後ろからどんどん車が追いかけてきます。そして高校生の女の子達をナンパするように「乗って行かない?」と誘うわけです。女の子達も私に「乗ろうよ」と言ってくるんですが、
「俺は乗らない! 歩いていってこそ感動が生まれるんだ!」
と、強めに怒りました。しかし、ナンパしてくる車が、何台もガンガンよってくる。そのつど追い払うのですが、それを恨めしそうにみる女の子たちも多かった。そのうち一番しつこい車が現れて「乗らない?」と言ってくる。彼女らは、私に「乗せてもらおうよ」と言うのですが、私は断固拒否。
「30人はいるんだぞ! 全員乗れるわけでもなし、私は歩いて行く」
私が怒ったためか、ドライバーの人もうなだれて
「ごめんなさい」
と言ってきました。後で聞いてみたら高校の先生だったみたいなので、その時は親切心で誘ったのかもしれません。ただ、私はそういうナンパぽい行為が大嫌いだったのと、高校生中学生が多かったので必要以上に防衛的だったかもしれません。
結局30人は摩周湖まで歩いて美しい湖面を見学し、感動に酔いしれ、その後にユースホステルにまで歩いて帰って、朝食をとりチェックアウトしました。みんなとはすっかり仲良くなったので住所交換をしてユースホステルでわかりました。高校生や中学生たちは、知床の方に向かうらしい。私はもう一度摩周湖に歩いて行き、摩周岳にのぼるつもりだった。
その時に「一緒に摩周岳に登りませんか?」と言ってくる人がいた。車で早朝に追いかけてきた人だった。実は彼が車で旅行するのには理由があった。余命10年と言われた一級障害者で週に3回透析をしないと死んでしまう人間だった。透析しながら旅行しないといけないために、車が絶対必要だったのだ。
まあそんなことはどうでもいいとして、二人で摩周岳に登った。「ナンパなやつ」という勘違いをしていた私は、一般人には追いつけないスピードで容赦なく山に登ったんですが、ホイホイついてきた。彼も相当に足が速かった。よくよく聞いてみたら学生時代に長距離を走っていて、腎臓さえダメにならなければ、国体かなんかで大活躍していた人だと知って納得してしまった。よくよく話をしてみたら硬派な人間だった。その後、彼とは別れたんですが、またどこかでばったり会って、それから30年間の付き合いになっています。
その彼は、余命10年と言われた一級障害者で週に3回透析をしないと死んでしまう人間なのに300名山を制覇して、新聞の一面にカラーで紹介され、群馬テレビでもゴールデンタイムで紹介されてます。現在は、とある高校で社会の先生をやっています。
実は私が宿(ユースホステル)をやることになったのは、彼の後押しがあったからです。「金はいくらでも貸すから北軽井沢で宿をやれ」と言われて北軽井沢でユースホステルを始めましたが、金は借りていません。余命10年と言われた人間に金は借りれない。でも、お金以外では色々と力になってもらっています。
つづく。
↓ブログ更新を読みたい方は投票を
人気blogランキング
【関連する記事】
- 盟友 土井健次を悼む
- 懐かしい御客さん
- 中学生一人旅についての思い出【4】
- 中学生一人旅についての思い出【3】
- 中学生一人旅についての思い出【2】
- 中学生一人旅についての思い出【1】
- 愛郷ぐんまプロジェクトに登録完了しました
- あと一週間で息子は8歳
- 徒歩旅行の思い出【7】知床
- 徒歩旅行の思い出【6】鎌倉・大船・江ノ島
- 徒歩旅行の思い出【5】東京・京都・大阪
- 徒歩旅行の思い出【4】伊豆大島
- 徒歩旅行の思い出【2】利尻島
- 徒歩旅行の思い出【1】礼文島
- 自転車旅行の思い出【5】花巻・遠野
- 自転車旅行の思い出【4】東北一周
- 自転車旅行の思い出【3】東海道
- 自転車旅行の思い出【2】東海道
- 自転車旅行の思い出【1】東海道
- 大河ドラマについて【4】