2021年03月13日

徒歩旅行の思い出【4】伊豆大島

 これも30年前の話です。砂漠のど真ん中で魚を焼きながら日本酒を飲みたいと思ったのは、日本にも砂漠があることを知ってからです。もちろん砂丘ではありません砂漠です。場所は伊豆大島です。伊豆大島は、火山活動が活発で、島全体に火山灰を撒き散らすために、大島の中央部がほとんど砂漠と化しているのです。そのためか日本離れした風景がありました。もし日本映画で砂漠で映画の撮影をしたいと思ったら大島に行けばいいなと思ったくらいです。それで友達を誘って伊豆大島に行くことになったんですが、それを職場で話したら50代ぐらいの上司が

「佐藤もイカレポンチの島に行くようになったか」

と軽蔑されました。イカレポンチと言っても若い人は知らないのでしょうけれど、大昔はよく使われた言葉で若者に対する蔑称です。それはともかくとして、伊豆大島に行くとどうしていかれぽんちなのかさっぱり分からなかったので、それを友人達に聞いてみたら

「ああ、それは新島あたりのことだよ」
「新島あたり?」
「あの辺は高校生のナンパ場で、25歳以上の人間が行くと浮いてしまうんだ。25歳以上だと男はおっさんで女はババアになってしまう」
「えええええええええええええええええええええええええ」
「でも心配いらないよ、伊豆大島にはそういう海岸はないので、そこにはオッサンとババアしかいない。下手したら旅行者の大半が50代から60代という年齢構成になる」
「どうして?」
「伊豆大島といえば、都はるみの『アンコ椿は恋の花』だし、そこには八丈島のキョンいるからね」
「八丈島のキョン? 大島なのに八丈島のキョン?」
「ガキデカって漫画知らない?」
「知らない」
「知らないならいいや。八丈島のキョンという、豚と鹿のあいのこみたいな動物がいるんだよ」
「?」





 話を戻します。

 私は友達を二人誘って、伊豆大島に向かいました。夜の7時頃に船に乗ると東京湾にずっと停泊しています。どうして出航しないんだろうと思ったら、早朝に伊豆大島に到着するためにわざと東京湾に停泊してるんだそうです。夜中に船が到着しても、離島の大島ではどこも開いてないからです。

 それはともかく船の甲板に出ると東京湾の夜景が美しかった。とにかく睡眠をとろうということになって船で仮眠をとっていると深夜になると船が動き出しました。そして早朝に伊豆大島に到着。早速、火口の方に向かって歩いて行きます。小さな離島こそ徒歩旅行に最適です。道に迷ったところで大したことありませんし、島を一周すれば船着き場にたどり着くから、どこをブラブラ歩いても良い。

 そのうち広大な砂漠が見え始めると、その絶景にうっとりしながら写真撮影を始めました。すると後ろから女の子が一人自転車でやってきます。気軽に声をかけると向こうも気軽に挨拶をしてきたので、途中まで一緒に歩くことになりました。

 女の子は、すごく怒っていました。生まれて初めて一人旅をして、伊豆大島にやってきたらしいんですが、宿の予約もなしに到着したら早朝すぎて観光協会がやってない。やっと観光協会が開いたかと思ったら、宿の予約が取れない。女一人だと断られる。今では考えられないことですが、今から30年前は、女の一人旅を受け付けない宿が多かったのです。だから当時は女性の大半が、一人旅の専用の宿とも言えるユースホステルに泊まったわけですが、そういう知識無しで初めて一人旅をしたわけですから、どの旅館や民宿でも片っ端から宿泊を断られるとは思ってもみなかったようで怒っていました。

「結局どうしたの?」
「タクシーの運転手に相談して、その運転手の親戚がやってる宿に無理言って泊めてもらいました」
「良かったですね」
「それが良くなかったんです」
「え?」

 泊めてもらうのは泊めてもらったらしいんですが、彼女以外が全員カップルだったらしくて、大勢のラブラブなカップルの中で一人寂しく食事をとるのは非常に苦痛だったと。非常に寂しくて気分を害したらしい。そして最悪な気分の状況で自転車を借りて火山の火口の方に向かう途中に、私たちに声をかけられたらしい。

「そういう時はユースホステルに泊まるといいです」
「当日予約でも泊まれるんですか?」
「当日でも電話をかければ空いてることが多いですよ。私たちはこれから火山を見学した後に伊豆大島のユースホステルに泊まります」
「そうなんですか」
 
 こんな感じで仲良く同行することになりました。私は途中で一人だけ別行動をとったんですが、後で聞いてみたら、その後に友人と女の子はカップルになったらしいので、めでたしめでたしです。





 まあそんなことはどうでもいいとして、伊豆大島の魅力にすっかりはまってしまった私たちは、その後何度も尋ねることになります。次は火山の河口から、砂漠地帯を通って島の反対側に向かって、野生の八丈島のキョンを見つけることを計画。その計画では、途中でくさやの干物を買って砂漠のど真ん中で焼いて日本酒をくらうという企画でした。ご存知の通り、くさやの干物は非常に臭いので、人が誰も来ない砂漠で食べるのが一番です。早速実行にうつしたわけですが、これがすごくいい。一見すると火星じゃないかと思えるような砂漠地帯で、くさやを炙って日本酒をかっくらうわけですから、いい気分になります。

 何と言っても伊豆七島は、くさやの本場ですから、うまいのなんの。日本酒が進む進む。あんまり進みすぎて、ぐでんぐでんに酔っ払って伊豆大島を縦断するわけですが、誰も見てないので、どんな醜態でもさらせます。おまけに野生の八丈島のキョンまで出現する。確かに豚と鹿のあいのこみたいな動物でした。
「こりゃいいわ」
と思った私は、それから何度も伊豆大島に出かけるようになり、それが飽きてくると神津島とか三宅島とか八丈島とかに出かけるようになりました。もちろん目当ては、徒歩旅行しながら本場のくさやで酒を飲むことです。

 そのうち一緒についていきたいという友人もどんどん増えてきて、最終的には、20人とか30人の大所帯になりましたが、若い男女が、離島を歩いて一周しながら、くさやを肴に日本酒を飲んでる姿は、さぞ滑稽だったと思います。おまけに一人はギターを持ってて、もう一人はキーボードを持っていたので、歌っては踊ったりする。人数が多いからかなりの迫力です。

 そのうち各自で別行動をとるようになって、釣りをするグループと、離島を歩いて一周するグループとか、テントを張るグループとか別々の活動するようになりました。人数が増えるとどうしてもそうなりますね。そのうち仲間内で結婚する人たちが出てきたりする。まあ良い時代だった。


66333712_334367094151137_4214606392012570624_o.jpg
(30年前の写真です。さて、私は何処にいるでしょうか?)


 面白かったのは、3月末頃に伊豆七島に旅した時の帰りです。私たちは神津島から船で東京に戻る時だったんですが、学校の先生らしき人を見送る生徒たちが、港で別れを惜しんでいる。東京から赴任してきた先生が、東京に戻るので、生徒達が見送りにきていた。そのシーンがあまりにも感動的だったので、私はオカリナ、友人がギターとかキーボードで、『蛍の光』とか『贈る言葉』とか『切手のない贈りもの』とかをBGMで演奏して別れを盛り上げてやりました。

 神津島を出港した船は式根島に到着するんですが、そこでも赴任が終わって東京に帰ろうとする先生を見送りにきている生徒たちがいました。子供達はみんな涙していましたので、余計なお節介とは思いましたが、『蛍の光』とか『贈る言葉』とか『切手のない贈りもの』とかを演奏して盛り上げました。そのうち船が出港すると、男子生徒が堤防まで走って、その先で組体操を始めました。防波堤の先で組み体操をして、去りゆく先生に自らの体で表現している。
「おお! 組体操だ!」
と感動した私たちは、それをバッチリビデオで撮影しています。

 その後、船は、新島・利島・大島と接岸するのですが、やはり先生と生徒たちの別れのシーンを見ることになり、そのつどオカリナ、ギター、キーボードで盛り上げて、子供たちとの別れのシーンにBGMを流し、さまざまな別れを目撃したのは、よい思い出です。各島ごとに別れぎわに見せた子供たちのパフォーマンスが違ってて面白かった。

 これが30年前の子供たちの姿なんですが、今でも伊豆七島では、先生と生徒の間に、こんな別れがあるんだろうかと疑問に思っています。島を去りゆく先生に大勢の子供達が港に集まっている光景は、果たして令和時代にもあるんでしょうか? もし令和時代に、おなじような光景を目撃した人がいたら教えてください。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 16:19| Comment(0) | 旅と思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。