2021年03月15日

徒歩旅行の思い出【5】東京・京都・大阪

徒歩旅行の思い出【5】

 これも30年から40前ぐらい前の話です。私は歴史が大好きだったので京都の街の中をよく徒歩で旅をしました。と言うか、 京都を散策するのは徒歩が一番なんです。京都でバスなんかに乗ろうものなら、とんでもない所に連れて行かれる。 京都のバスくらい難しい乗り物はない。これに乗ればあっち方面に行けるのかなと思ったら、とんでもない遠回りなったりする。京都の住民でさえも難しいと言われる京都のバスを旅行に使えるわけがない。

 というわけで最初の頃は、レンタサイクルで回っていたりしたんですが、京都に限って言うと歩いて回るほうがいいということに途中で気がつきました。ちょっとした通りがものすごく風情があったりするし、何気に入った店がすごく美味しかったりする。今はもうないんですが、昔は東山ユースホステルというのがあって、それこそ京都の中心部にあったので、そこを拠点としてあちこち回りました。

 特に幕末が好きな私は、何度も維新の志士たちの墓(京都霊山護国神社)に行って感動したものですが、その度に坂本龍馬の墓ばかりに色紙やら何やらが大量に置いてあって、高杉晋作とか久坂玄瑞とかの墓には何もないのにがっかりしたものです。それにしても龍馬ファンの多いこと多いこと。東山ユースホステルで、歴史談義をすると8割が龍馬ファン。いわゆるファン。尊敬してるというよりもアイドルを崇拝するファンのような人たちが多い。それに対して吉田松陰派の人間は、ファンと言うよりも『師匠』として仰ぎ見ている人が多い。高杉晋作派は、高杉晋作を師匠とは見ていないけれど、ファンというほどでもない。憧れの人という感じですかね。 だから幕末好きの人間が集まって酒を飲みながら議論をすると収拾がつかない。そのくせ 、翌日には仲良く京都を歩いて回るわけですから 歴史に興味のない人間にしてみたら、変な人間だろうと思ったかもしれません。





 話は変わりますが、徒歩旅行に一番適している町は京都ではないかと思います。街が碁盤の目のようになっているので、非常にわかりやすい。自分がどの位置にいるのかが 僕でわかる 一目瞭然でわかる。

 その逆が東京です。私くらい東京を歩いて回った人間はないと自負してるんですが、東京は本当に分かりにくい。例えば 大塚あったりからサンシャイン60に向かって歩いて行っても、なかなかたどり着かない。 いつのまにか遠回りしてしまっている。道がくねくねと曲がっているので、遠くに見えるサンシャイン60に向かって歩いてるはずなのに、いつのまにかどんどん遠ざかってしまっている。スカイツリーに向かって歩いていても、 気がついたら逆方向に歩いていたりする。街が碁盤の目になってないので、磁石が地図がないととんでもない方向に向かっていたりするんです。

 ちなみに東京は非常に緑が多い。公園が意外に多いのです。それに東京には神社仏閣がとても多い。東京大仏というのもあれば、その近くに赤塚城跡なんてのもある。護国神社・明治神宮・靖国神社・鬼子母神・浅草寺・帝釈天・祐天寺・寛永寺など寺社は京都並みに多い。

 美術館や博物館もやたらと多い。小さいものばかりですけれど、世界一多い。だから歩いているうに、とんでもない博物館に出会ったりする。国立博物館・科学博物館・郵政博物館・科学技術館・江戸東京博物館・紙の博物館・たばこと塩の博物館・地下鉄博物館・先端技術館・競馬博物館・下町風俗資料館・印刷博物館・昭和レトロ商品博物館・NHK放送博物館・ガスの科学館・船の科学館・日本文具資料館・切手の博物館・刀剣博物館・カメラ博物館・相撲博物館・消防博物館・昭和のくらし博物館・物流博物館・古代オリエント博物館などなど・・・・。おすすめなのは、日本銀行の貨幣博物館。あと寄生虫博物館。 漫画博物館。

 もちろん美術館も多いし、ギャラリーも多い。数え切れないくらいある。だから東京をちょっと歩けば、あちこちに美術館がある。石を投げればミュージアムに当たるくらいにある。決して規模が大きいわけではないんですけれど、ものすごい数がある。 だから東京ぶらぶらと歩くと、思わぬ発見があるのです。 東京くらい面白いところはないと思うのです。

 今はどうか知りませんが、 30年以上の前の東京には立ち飲み屋がいっぱいありました。千円札が1枚もあれば、かなり飲める立ち飲み屋があった。店によって飲むスタイルが違うところがよかった。例えば自販機がずらりと置いてあって、酒は自販機で買う。酒の肴だけをカウンターで買うスタイルの立ち飲み屋がありますが、その立ち飲み屋は、昼間は酒屋をやっている。そうかと思うと、居酒屋スタイルの立ち飲み屋もある。居酒屋と違うところは、カウンターに100円玉を置いて、セルフサービスで小鉢を取るところ。 小鉢はみんな100円均一。酒も200円均一だったり、400円均一だったりする。かと思えば、焼き鳥屋で立ち飲みもある。街によって色々な立ち飲みがあったりして、 そんな立ち飲みで1000円ぶんだけ飲んで帰るのがちょっとした贅沢だったりする。

 私は悪い大人だったので、 そういった立ち飲みに20代前半の若い女の子達をよく連れて行きました。ひどい時になると20人ぐらい連れて行ったりしたので、 普段はサラリーマンしかいない立ち飲み屋が一気に華やかになったりしました。新橋あたりの立ち飲みによく連れて行ったので、 それがテレビで紹介されて『おやじギャル』 という言葉がブームになったりして驚いたこともあります。ちょうどバブルの頃だったと思います。





 立ち飲みといえば、大阪の立ち飲みもよかった。大阪の立ち飲みは、たいていが串カツ屋でウスターソースに串カツを突っ込んで飲むスタイルでした。混み合ってくると、小さく前へ習えみたいに体を横にして飲んでいました。 会計のスタイルが独特で、回転寿司の皿の数みたいに、串の数で料金を払っていました。やはり大阪でも飲んでるのは、中年男性ばかりだったので、大阪の若い女の子を連れて行った時には、大阪のおっちゃんに珍しがられたものですが、 令和時代はどうなってるんでしょうか?

 30年ぐらい前の大阪の商店街には、お好み焼き屋・たこ焼き屋がが、屋台のようにありました。そこに大阪の友人とその店でたこ焼きを食べて、おばちゃんと盛り上がったんですが、近くのお好み焼きを持ってきて一緒に食べようとしたら、おばちゃんに怒られました。
「他の店のテイクアウトなら文句はないけれど、あのお好み焼きだけはおばちゃんところで食べるのは許さん」
「どうして?」
「あのお好み焼き屋の親父は偉そうだから」
「偉そう?」
「わしはな、ここで30年たこ焼き屋をやっている。あいつはな、5年前から始めた新参者や。普通なら挨拶があってもおかしくないのに、挨拶がない。人の道に外れてる」
 私がぽかんと聞いていると、大阪の友人たちはそこで大爆笑!
「そらかんな、挨拶は大事や!」
「30年の先輩に挨拶なしは、あかんわ」
 大阪の友人はおばちゃんを煽る煽る!
 たこ焼き屋のおばちゃんは得意になって息巻く!
「5年ぐらいの新参者が、ねじりはちまきなんて10年早いわ!」
 これに大阪の友人たちは大爆笑!
「そりゃそうや、10年早いわ!」
「おばちゃん、いっぱいやろうや!」
 いつのまにか、大阪の友人は、どこからかビールを仕入れてきて、おばちゃんに差し出す。おばあちゃんは断るのかなと思ったら、 断りもせずに飲み出す。それを見た私は、 恐ろしい町だとつくづく思ったんですが、これも30年前の話なので、今はどうなってるのかわかりません。

 そういえば、 25年ぐらい前に、だんじりで有名な岸和田の友人の結婚式に出席したことがあったんですが、お客さんが結婚式場の仲居さんに酒を進めていて、仲居さんも断らずに飲んでいたのを見て唖然としたことがありますが、 あの時は本当に驚きました。

 一番驚いたのは、友人代表の私と土井君を、新郎新婦の目の前の席にされていたことです。普通なら会社の社長とか、もっと偉い人が座る位置に私たちの席があったので青ざめた。普通友人というのは、一番奥の目立たない席ですよね。それが一番目立つ席に座らされて、余興に嘉門達夫の歌を披露したわけですから、焦ったのなんの・・・。 新郎はそんな私たちを見て笑っていましたが。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:09| Comment(0) | 旅と思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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