今から30年ぐらい前の話なんですが、知床岬まで歩いて行こうかと、メンバーを募集したら10人ぐらい集まった。 当時は知床岬までの定期連絡船があったので、行きだけ歩いて行き、帰りには定期連絡船で帰るというスケジュール。羅臼町の相泊というところから歩いていくわけですが、早朝に出発しても岬まで一泊二日の日程が必要でした。 途中すごい難所がいくつかあったわけですが、なんだかんだと岬に到着。そして連絡船で帰ったわけですが、その時の感動が忘れられなくて、四年後にもう1回知床岬にチャレンジしたことがあります。
どうせ行くなら1ヶ月くらいかけて、斜里ウトロから知床岳に登って羅臼の相泊まで縦走し、その後に知床岬にぐるっと回って、できれば知床半島を一周し、最終的には知床岳から知床岬までの知床連山縦走を行うところまでやろうということになりました。 そしてなんだかんだと頑張って全部の目標を達成したわけですが、 大自然の中を1か月ぐらいうろつき回るとどうなるかと言うと、嗅覚が異常に発達します。
具体的に言うと、 鹿の匂いとか、熊の匂いがわかるようになる。100 M ぐらい離れていても熊の臭いならわかるようになってしまう。これは私だけではなくて、参加者30人のほぼ全員が、一週間ぐらい山の中に入ると、嗅覚が発達して、熊や鹿の臭いが分かってくる。 かなり遠くにいても臭い気がつくようになる。しかも、今まで山なんかに登ったことがないという二十歳ぐらいの若い女の子まで嗅覚が発達してくる。もちろん人間の嗅覚なんて、熊や犬の嗅覚に比べたら、まるっきりレベルが低いんでしょうけれど、それでも分かるようになることが不思議でした。
嗅覚だけではありません。聴覚も発達してくる。と言っても私は生まれつきの難聴なんですが、難聴である私の聴覚が発達してくる。これは普段よりも音が大きく聞こえるということではなくて、普段の私たちは、音に鈍感なんだと思う。聞こえてても聞こえないふりをしているということだと思う。けれど 一週間以上も登山道ではないジャングルのような山の中に徘徊していると、聴覚と嗅覚に過敏なほど敏感になってくる。と言うか、他に情報がないので、そういう情報に敏感にならざる得ないのかもしれない。
何しろ当時は、スマホといった便利なものはなくて、あってもせいぜいラジオだし、そのラジオも気象通報の情報を仕入れるためのものだったので、電池の無駄遣いを下げて夜の8時にしかつけてない。だから極端に情報を遮断していた。活字を見ることもなければ、お金を使う所もない。一回に10日ぶんの食料を背中に担いでジャングルの中を歩くわけですから、荷物は極限まで減らしても40キロ装備だったので、読書のための本を持っていくこともなかった。途中人間に会うこともないので、言葉を発することもない。 けれどヒグマには37回もあって、そのうち2回は3メートルくらい近くまで接近している。だから余計に嗅覚と聴覚に敏感になったんだと思う。
(1996年の探検記録です)
知床連山縦走した時は、仲間の一人が、4 L ペットボトルのキャップをなくしてしまって水不足になってしまったけれど、なんとか無事に縦走できたのは、泥水をろ過するポンプを持っていたからで、その水を沸騰させてペットボトルに移す作業が大変だった。私は仲間が寝静まった後に、その作業をコツコツとやっていたわけですが、2 L の水を作るのに4時間ぐらいかかってしまった。普通なら気が狂いそうになるところなのですが、情報遮断されていると、意外に苦にならない。むしろ時間を潰すのにちょうど良かった。
頭に来たのは、縦走が終わった後にペットボトルのキャップを無くした張本人が「水不足になったのは事前計画がなってなかったからだ」 と、いちゃもんつけて来たことですが、人間というのは、自分に都合の悪い事実は、ポカッと忘れてしまうらしい。あまりに苦しい思いをすると、 記憶が塗り替えられるとがある。これに気がついたことは、私には大きな収穫だった。
結局、三回ほど、知床連山を経由して岬まで縦走したのですが、登山道の無いハイマツ帯を縦走するコツは、遠回りしてでもハイマツ帯を迂回することだという結論になり、二回目にそれを行ったら一回目の労力の半分しか使わなかったし、三回目はもっと楽勝だった。原生的自然の探検は、けっきょくの所は頭脳戦になる。
そして、メンバーは、むしろ何も知らない素人の方が、まとまりやすく簡単に目的を達成できることがわかった。なまじ知識のある奴だと、その人の人格に問題があると、かえって足を引っ張って混乱するからです。一回目は男ばかりの三人だったので、非常に苦労したけれど、二回目は素人の女の子十人を連れて行っても、なんの苦労も無かった。というか、素人の女の子十人が大活躍してくれた。あと、女の子がいると男は醜態をさらさなくなる。男らしくなる。
そう言えば知床岳に登る時は、岩場でビバークしたこともあった。急な斜面だったので、ハイマツにロープを縛り、自分たちの体をつなげて岩場で眠ったものですが、 そのメンバーの中には、長野県黒姫のペンション『ふふはり亭』のオーナーもいる。彼は、その後、渡米してヘリパイロットになり、その後、嬬恋村のシャクナゲ園のサカイさんのところで働き、長野原町の町長選挙の参謀となったり、自然ガイドになり、南極越冬隊の隊員となって、ペンション『ふふはり亭』のオーナーとなり、現在は環境省で働いてます。
まあそんなことはどうでもいいとして、 1ヶ月間文字のない世界にいる。人間と出会わない世界にいる。風呂に入れない世界にいる。お金を使えない世界にいる。熊と隣り合わせの世界にいるということが、 どういうことであるか・・・を知ったことは、非常に貴重な体験だったと思います。
面白かったのは、斜里町や羅臼町で事前調査した時に、偉そうにベラベラと知床を語っていた人たちが、知床に潜って1ヶ月後に帰ってきた時に、盛んに私たちに接触してきて、知床の情報を仕入れようとしたことです。あれには笑ってしまいました。あと、知床に行ったこともないような人たちが、デタラメな情報を私たちに話してくるのに閉口しました。当時一番知床の現実を知ってる私たちとしては、デタラメ情報を訂正してあげるわけにもいかないし、とにかくそういう人が現れると逃げました。なにせ有名人だったりするので、間違いを訂正するわけにもいかず、本当に困った。逃げるしか無かった。
特に多かったのは熊に関する間違った情報を持ってる人達(しかも有名人だったり・研究者だったり・宿屋のオーナーだったりする)で、すごい上から目線で話しかけてくるんですが、そういう人たちに出会うと、とっとと逃げました。その時は、狂ったように攘夷を叫んで刀をふりまわす奴から逃げた高杉晋作が、決して彼らを説得しようとしなかったことが良く分かった。ある種の宗教家に反抗してもしょうがない。
それと面白かったのは、1年かけて行った事前調査の大半が間違っていたこと。例えば「標高600メートルを超えると鹿はいない」という報告があったりしたけれど、1000メートル地点にウジャウジャいてハイマツの実を食べていた。ヒグマに関することも、事前調査と実際は違っていた。不思議なことに江戸時代の記録である松浦武四郎の記録だけが正確で、彼の記録によって水を得られたことがある。唯一、松浦武四郎の記録で間違っていたのは、当時は貝類がわんさかとれていたけれど、現在はとれないこと。しかし、これには訳があって、番屋(漁師たちの倉庫)から環境ホルモンの薬剤が大量に流れていて、ところによってゴキブリホイホイみたいになっていたりしているので、これだと貝類は全滅してもおかしくなかった。
大きな腫瘍をかかえたアザラシの死体も何体か海岸に流れ着いていて、クマのエサになっていたけれど、あの腫瘍の意味も恐ろしくて調べられなかった。当時は、ソ連が崩壊した直後だったので、極東の海に何があってもおかしくなかった。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、知床にいた間の私は、みんなをテントの中に寝かせて、私だけテントの外で焚き火をしながら寝ていました。自分ではぐっすり寝ているつもりなんですが、不思議なことにクマの匂いがすると目が覚めます。その都度、立ち上がって茂みの中に
「ウオー!」
と雄叫びをあげるんですが、もちろん何の音もしません。5分ぐらい叫んだ後に、またうとうとするんですが、すると茂みがゆさゆさと揺れだす。そしてその音が、だんだん遠ざかっていくのです。
ちなみに普段の私は、目覚まし時計を3個ぐらいかけても起きなかったりするんですが、不思議なことに知床のジャングルの中では、熊の嗅いだけで目覚めるし、ちょっとした茂みの揺れる音でも目覚めてしまう。この辺が不思議です。でも、もっと不思議なのは、全てのスケジュールが終わって、人間のいるところに戻ってくると、急に全身が動かなくなる。それまでピンピンしてるのに、ゴールにたどり着いたとたんに体がおかしくなってくる。これが不思議だった。
(相泊温泉)
で、ゴール後の何に感動するかと言うと、久しぶりに人間に出会うことと、ものが買えるということ。お金が使えるということ。文字があるということ。トイレがあるということ。風呂に入れるということ。そういうことにとても感動する。そして食べたラーメンとアイスの美味しかったこと。その後に、みんなで一緒に相泊の温泉の露天風呂に入ると、加山雄三の歌が出てくる。『いつまでも』が出てくる。
「幸せだな・・・僕は風呂に入るのが一番幸せなんだ♪」
「僕は、死ぬまで風呂を離さない♪」
風呂には入ることが、こんなにも幸せだったことはなかった。横井さんも、小野田さんも、みんな凄いと思いましたね。
つづく。
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