「どうやって親の許可を取ったの?」
と聞いてみたら、非常にシンプルな回答が返ってきた。
彼らは全員が鉄道マニアで、小学校一年生になると隣の駅まで一人で鉄道に乗ることを頼んで、鉄道旅行の一人旅をします。次は二駅の旅行をさせてもらう。その次は三駅の旅行。そういう実績を積み重ねていって、小学校二年生ぐらいになると、100キロぐらい先まで旅行するようになっている。三年生になると、これが200キロぐらいになって、四年生になるとユースホステルというものの存在を知って、一人で予約して一泊の旅をする。最初は親も不安で心配なので、色々と手配したり、一緒についてきたりするんですが、宿泊だけは一人で行う。そうやって実績を積んで行って、小学校五年生ぐらいになると三泊四日の鉄道旅行を許されるようになり、小学校六年生ぐらいになれば、一人で九州旅行とか、北海道旅行に行ったりする。
「こうやって着々と親を洗脳してきたんですw」
と、小学生や中学生は言っていました。
「なるほどなー」
と、私は感心したものです。
今では考えられないことですけれど、昔は、こうやって親を納得させた、小学生や中学生がユースホステルにたくさんいた。そのせいか、山と渓谷社が「ユースホステルと旅」という本(ベストセラー)を出していて、そこのトップページにユースホステルに宿泊する方法が写真で紹介されているのですが、そのモデルは小学生の女の子でした。つまり昭和時代には、小学生の女の子が、普通にユースホステルを使って旅をしていたわけで、特段珍しいことではなかった。
うちのリピーターさんたちならご存知だと思いますが、スタッフの土井くんも小学生の時の卒業旅行に東京から九州まで一人で旅行しています。彼は、鉄道マニアではなかったのですが、ご両親が昔ユースホステルを使って旅行していたので、ユースホステルには小学生が宿泊していることも知っていたのかもしれません。
それはともかくとして、どうして当時20歳くらいだった、いい大人の私がユースホステルで小学生・中学生たちと仲良くやっていたかと言うと、彼らがとても親切だったからです。今の時代では、分からないかもしれませんが、昔はスマホもなければ、パソコンもないし、インターネットもなかったので、鉄道旅行をするには、分厚いJR時刻表を持参してたりするしかなかったんですが、これがやたらと重かったりする。その上、読み方が非常に難しい。普通の素人には読めない代物だったりする。だから普通の旅行者は、事前に計画を立てて、列車のダイヤなどを調べて計画通りに旅行するんですが、私のような行き当たりばったりの旅行をする無計画な人間には、鉄道旅行は非常に難易度が高かった。
それで困ってユースホステルで分厚いJR時刻表を睨んでいるわけですが、そんな時に神様のように手助けしてくれるのが、中学生の鉄道マニアたちです。彼らは本当に親切で、当時20歳だった私のために、色々な計画を立ててくれたりする。それも分厚いJR時刻表ではなくて、ダイヤと呼ばれる折りたたみ式の、JRの職員さんたちが使っているようなプロ向けの時刻表で一瞬で調べてくれて、計画を立ててくれたりする。まるでコンピューターのようなその作業に私は感動して
「(鉄道の)師匠と呼ばせてください」
と崇め奉りました。そして、その師匠にいろいろ質問をし、別れて別の目的地に行くんですが、そこにも偶然、前日に親切にされた鉄道の師匠が宿泊していました。
「おお、(鉄道の)師匠じゃないですか!」
と再会を喜んだ私は、またもや旅の計画に関して色々お世話になって、翌日分かれます。そして、次のユースホステルで、またもやバッタリと宿泊予定のユースホステルで師匠に出会います。これが何日か続くと「あれ?」ということになる。今だったら「怪しいな」と思うところなんですが、生まれつきのんきの私は、「まあ良いか」と思ってその疑問を放置することにしました。
で、何日間か旅行計画でお世話になった御礼に中学一年生の師匠に対して「ご馳走してやる」と言うことになり、大阪の立ち飲み屋で串カツを食べさせました。私はビールを飲んだわけですが、だんだん酔いが回ってくると、大阪のサラリーマンたちが、中学一年生の(鉄道の)師匠に色々と尋ねてきて、見知らぬ人間同士が知り合って旅行中だということがばれてしまうと、見ず知らずのおっちゃんが
「お好み焼きをおごってやる」
と言い出して、知らないおっちゃんとお好み焼き屋に入って行きました。
そこでもビールかなんかを飲んで、酔いが回ってきたので、今日はサウナに泊まろうということになって、中学一年生の師匠とサウナに宿泊。それが失敗の元だった。オーナーが不審がって通報したらしくて、翌朝、警察がやってきて、事情聴取を受けてしまった。よくよく考えてみたら、その日は一月十日前後の平日で、本来なら学校に行ってる時期なのに、大人と中学一年生が、サウナに泊まってるのは怪しいということだった。その時つくづく思ったのは、やはり子供の一人旅はユースホステルでないと駄目だなあということです。
ちなみにその師匠は、元々、何年も学校には通ってなかったらしくて、当時は珍しい不登校児でした。もちろん親の公認で旅行をしており、毎晩親元に電話連絡をしていたのを私も、この目で見て知っていましたから、まさか不登校児だとは夢にも思ってなかった。というのも、私はその親と電話で話しており、
「息子をよろしくお願いします」
と何度も頼まれていたからです。
しかし実際は、よろしくお願いしていたのは私の方で、中学生の師匠のアドバイスで旅行していたからむしろ保護者は、師匠の方であって、私ではなかった。ユースホステルの宿泊数も、師匠の方が十倍ぐらい泊まっていたし、それに比べれば私の旅行者としてのレベルはずいぶん低かったと思う。
今では廃止になってしまっていますが、昔は、ユースホステルに泊まると会員証にスタンプをしてくれ、スタンプがどんどん増えていくと会員証が分厚くなっていきます。私の会員証はペラペラでしたが、師匠の会員証は、十三歳なのにかなり分厚買った。おまけに五十泊以上宿泊するともらえる銀バッチまで持っていた。当時は日本ユースホステル協会の銀バッチを持っていると、それだけで仰ぎ見られるステータスだったので、それだけで
「こいつは、ただものではない!」
ということになり、その人から鉄道旅行についていろいろ親切に教わると
「師匠と呼ばせてください」
ということになる。
まあそんなことはどうでもいいとして、中学生が私の後を追いかけるように、私と一緒に旅行したがった理由は、警察に通報されるからだと気がついた。学校が始まってるのに一人旅してたら怪しまれる。だからユースホステルを使っていたのだし、私にも親切にしていたということ気がついた私は、その子は将来大物にになることを確信した。不登校だけれど、頭はすごくいいと感心した。私は、旅を終えることにした。
「警察に通報されてしまうから、もう俺たちは別れよう」
と提案し、私は新幹線で自宅に帰ることにしました。すると師匠は残念そうに新幹線のホームまで見送りに来てくれて、
「これは有名な肉まんだから」
と言って土産まで買ってくれた。そして最後に
「どうして僕のことを『鉄道の師匠』って呼ぶの? 普通は先生じゃないの?」
と聞いてくるので
「教師でもないやつを『先生』という呼び方は蔑称だったりするんだよ。特に飲み会の席なんかで『大先生』と言う場合は、たいていの場合は小馬鹿にした言い方。だから失礼の無いように『師匠』と言ったわけさ」
と言ったら、
「そういえば、癖のつよい酔っ払いに『大先生』と言いながら酒をついでいましたね」
と笑ってました。私もつられて笑い、新幹線が発車すると、それっきりで、師匠とは、音信不通となって会っていません。
後日、その親御さんから「息子が学校に通うようになりましたありがとうございます」と言う丁寧な礼状と、大量のリンゴが送られてきました(彼の実家はリンゴ農家だった)。どうやら師匠は、ろくに学校も行かずに、ふらふらしている私の姿を見て、それを反面教師にして、真面目に学校に行く気になったらしく、その後に某国立大学の農学部に入学したことだけは、親御さんから聞いている。
つづく。
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