彼らは他のユースホステルユーザーと違ってて、 夜遅くに到着して朝早くに出かけます。普通ユースホステルを使う人たちは、この逆です。 早めにチェックインして、みんなでご飯を食べて、ミーティングと呼ばれるお茶会に出て、見知らぬ人たちと談笑して、そして仲良くなって翌日に一緒に旅行する。これが一般的なユースホステルユーザーの旅のスタイルですが、自転車で旅する中学生たちは、夜遅くチェックインするために、ユースホステルで食事を食べません。そして朝早く出かけるので、朝食も食べません。ただひたすら自転車で走っている様に見えました。
自転車が好きなんだなと最初は思っていたんですが、彼らと話をしているうちに、 どうやらそうではないことに気がつきました。 彼らは、漫画家・荘司としおの『サイクル野郎』に影響をうけて自転車で一人旅をしていた。
若い人たちにしてみたら、荘司としおと聞いても『?』でしょうが、私の世代だと、荘司としおを知らない人はいません。昭和時代の子供たちが夢中になって読んでいた小学館の『小学◇年生』という漫画雑誌に、いろんな単発読み切り漫画を書いていたし、彼の代表作である『夕焼け番長』は、アニメ化されて子供たちに大人気だった。主人公の赤城忠治には、みんなあこがれた。
そうそう、『夕焼け番長』の主人公の名前が「赤城忠治」なのだ。群馬県の赤城山の中で生まれ育ったために金太郎のように喧嘩が得意で、スポーツもできる。国定忠治を尊敬し、仁義を重んじるというキャラクターなのだ。彼は、ライバルを次々と倒していくが、その後に必ずライバルと友情が生まれる。そして親友になって、大きな事をなしとげていく壮大な物語となる。
いわゆる少年漫画のパターンが凝縮されたのが『夕焼け番長』。つまり少年漫画の王道を確立したのが荘司としおの『夕焼け番長』だった。だから本宮ひろしは、絶対に『夕焼け番長』の影響をうけていると思う。ドラゴンボールだって『夕焼け番長』のパターンを踏襲している。
ちなみに荘司としおの師匠が、『ゼロ戦行進曲』の貝塚ひろしで、画風が一緒である。というか、そっくりそのまま。なので、子供の頃は、荘司としおと貝塚ひろしは、同一人物だと思っていた。ある世代の人間にとっては、手塚治よりも、荘司としお・貝塚ひろしの絵の方が、なじみが深い気がする。
話がそれた。
当時存在した週間漫画雑誌である『週刊少年キング』は、『サイクル野郎』があるから買って読むという人が多かった。だから『サイクル野郎』が最終回で終わってしまうと、あっというまに『週刊少年キング』が休刊になってしまった。『超人ロック』の連載も、『銀河鉄道999』の連載も、『週刊少年キング』の休刊を止められなかった。
全国のユースホステルのオーナーたちも、その多くが『サイクル野郎』の読者で、『サイクル野郎』によってユースホステルの存在を知り、『サイクル野郎』に影響を受けて自転車で日本一周をし、ユースホステルを体験し、そしてユースホステルのオーナーになったケースも少なからずいたはずだ。それほど『サイクル野郎』は、1970年代の子供たちに影響を与えていたし、その余波は、1980年代にも続いていた。
前回は、鉄道マニアのこどもたちが親を洗脳して、一人旅をさせてもらう方法を述べましたけれど、 こういう手段を取れるのは、あくまでも鉄道マニアに限られた話で、鉄道マニアではない普通の小中学生が、親の承諾を得て一人旅を行うことは難しかった。昭和の時代であっても非常に難しい。唯一可能性があるとすると、自転車旅行しかない。
旅行で一番お金がかかるのが交通費なのだから、それが無料になる手っ取り早い手段は、自転車。自転車ならば、大抵の子供たちが持っている。後は宿泊費用だが、野宿をすると言ったら親は絶対に許してくれないので、ユースホステルを使うしかない。昭和時代のユースホステルならば、安ければ1000円ぐらいで泊めてくれるし、当時のユースホステルには自炊設備もあった。だからパンと水筒と自転車さえあれば、中学生のお小遣いで一人旅できた。
それを教えてくれたのが『サイクル野郎』。そこには、一人旅の具体的方法と、観光名所や、実在する格安な宿泊施設(ユースホステル)が書かれてあった。だから『サイクル野郎』を読んだ小中学生は、必ず一人旅に目覚めた。読んでない人は覚醒しなかった。小中学生が、一人旅できるわけがないと思っていた。思い込んでいた。
けれど小中学生でも、やりようによっては、自分のこづかいで一人旅が出来るという実例を教えてくれたのが『サイクル野郎』であり、この漫画は一種の啓蒙書だった。つまり、当時のユースホステルには、鉄道派の小中学生と、自転車派の小中学生がいた。
で、鉄道派の小中学生たちは、すぐに大人たちと混じり合って、可愛がってもらったり、こずかいをもらったり、奢ってもらったりしていたけれど、自転車派の小中学生たちは、ストイックな人たちが多くて、なかなか大人たちに混じらなかった。
それが何かはがゆかった私は、ロードマンという自転車を購入し、まず手始めに埼玉の山奥にあるユースホステルに行ってみたけれど、そんなところ(山)に自転車派の小中学生が、いるわけもなく、次は、平地を走ろうと思い、茨城にある加波山というところにあるユースホステルに行ってみたら、そこには車できている大学生ばかり泊まっていた。ちょうど筑波万博が開かれていた。
次は、自転車で東北一周旅行し、その次は北陸を走り、その次は山陰・山陽を走った。気が付いたら自分もストイックになって、自転車派の小中学生たちと出会っても、手を振って挨拶するだけだった。マラソンしている最中に会話を楽しまないのと一緒で、自転車を走らせていると、人との出会いなんぞ、どうでもよくなってくる。ただひたすら走って、時々出会った旅人と、軽い会釈するだけになってしまった。
つづく。
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