「お久しぶりです」
「?」
相手は、私のことをよく知ってるようでしたが、私には全く覚えがない。誰と人違いをしてるんだろうと思っていると、三年ぐらい前に私にお世話になったと本人は言っている。それこそ全く覚えがなかったので
「人違いじゃないんですか?」
と聞き返したんですが、
「池袋に住んでいる佐藤さんですよね」
と聞いてくる。
「はい・・・」
よくよく聞いてみると、3年ぐらい前に私はその子にお菓子やジュースをあげたりしたうえに、一緒に自転車で田沢湖を回っていたらしい。その子は、国民宿舎に泊まっていたわけですが、私はユースホステルに泊まっていた。その宿は、国民宿舎とユースホステルの両方を経営していて、 その子は親と一緒に国民宿舎に何日か泊まっていた。
で、私はユースホステルの方に一週間ほど泊まっていて、毎晩のようにお茶会で見知らぬ人々といろんな会話をし、気が向いたら早朝に田沢湖を自転車で回っていたりした。もちろん中学生や小学生も一緒。当時の大人達は、ユースホステルに泊まっている小学生や中学生を非常に可愛がりましたので、国民宿舎に宿泊していたその少女は、それが非常に羨ましかったらしい。
その少女は、ユースホステルのグループに入りたいけれど、自分は国民宿舎だったので、なんとなく入りづらくて遠くから見ていたらしい。それを察したらしい私が
「君もこっちへ来てお菓子を食べないか?」
と無理やりに連れてきて、みんなに紹介したらしい。その結果、その少女は、他のユースホステルの人達と仲良くなって、それも同年代の女の子たちとも仲良くなって、すぐに打ち解けても一緒に自転車でサイクリングしたり、山に登ったりしたが、それが楽しかったらしく、強烈な思い出として記憶にのこっていたらしい。
・・・らしいと書いたのは、私は憶えてなかった。三年前だと私は、仕事で泊まっていたはずなので、記憶に残ってなかったのも無理は無い。しかし、当時小学生だった彼女には、その体験が忘れられなく、毎年、親にねだって田沢湖のユースホステルに泊まりに来て私を探したらしいのだが、もちろん私はいなかった。第一、そんな偶然があるわけがない。普通ならあるわけがないのだが、ホステラーと呼ばれるユースホステルを使って旅する人間だと、そういう偶然がありえるから面白い。
まあそんなことはどうでもいいとして、 こっちの頭の中には、小学生の女の子の記憶しかないので、成長して中学生になった女の子に「お久しぶりです」 と言われても、「はて?どなたでしたっけ?」ということになる。
こういうは、度々あって、この子に限らず何人かの小学生たちが、中学生、あるいは高校生になった頃にユースホステルで再会して「お久しぶりです」と言われることになるとですが、その都度「どちら様ですか?」ということになる。
私の姿が、あまり変化ないのに対して、相手はどんどん成長していくので、何年ぶりかに再会しても、どこの誰だかさっぱり分からない。特に女の子は、劇的に変化するので、分かるはずが無い。
話は変わりますが、似たような話として、登山中とか、山小屋で女の子と仲良くなって住所交換し、東京で再会したりすると、同じようなことがおきますね。男同士で居酒屋に入って、山で知り合った女の子を待ってると、見たこともない女性(美女)がにこやかに笑って手を振って、こちらに向かってくるので、私たちの後ろに誰かいるのかな?と、後ろを振り向いたら、メニューが書いてある壁しか無かった。「あれ?」と思って、よくよく見たら山で知り合った女性登山家たちだった。昔は、今の山ガールみたいなファッションが無かったうえに、昔の登山女子たちは化粧もしなかったので、東京で再会すると化粧効果なのか、衣装効果なのか、こんな知り合いは俺にはいないはず・・・という先入観から「どちら様ですか?」ということになる。
話がそれました。
ユースホステルで可愛がった小学生たちが、中学生・高校生になった頃に再会して、その変わりように驚いてしまう。こういう再会がある宿は、必ずと言っていいほど、旅館(または国民宿舎)と兼業のユースホステル。当時のユースホステルには、旅館(または国民宿舎)と兼業のユースホステルと、そして専業のユースホステルの二種類がありましたが、評判のよいユースホステルは、必ず専業のユースホステル。そんなユースホステルを仕事で使えるわけもなく、私は、旅館(または国民宿舎)と兼業のユースホステルを仕事で使っていた。仕事で使っていたけれど、夜になると、旅人と旅の話でもりあがり、子供たちがいたら可愛がったので、それを遠くから見ていた一般人(小学生)は、それを恨めしそうに見ていたらしい。それに気が付いた私は、そんな子供たちを御菓子で釣るようにして、ユースホステルのイベント(お茶会)に私が誘っていたらしい。
・・・らしいと書いたのは、こっちは、憶えてなかった。
憶えてなかったけれど、相手の方にとっては、
強烈な思い出だったらしくて、それが忘れられなかったらしい。
で、親にねだってユースホステルの一人旅に出かけ、いろいろな体験をし
数年後に、偶然、私と再会したということになる。
このことは、息子が生まれるまですっかり忘れていたのですが、息子が生まれて大勢のファミリーのお客さんが、うちの宿に泊まりに来るようになると、じんわりと思い出すようになりました。そして、うちの宿を大々的に改造することを思いついたわけです。
現在のユースホステル業界は、壊滅的に会員がいなくなっており、 かろうじて会員のまま踏みとどまっている人たちも、六十歳以上の高齢者ばかりになっています。 いずれその人たちも、高齢で旅ができなくなる時が来ますから、ユースホステルの滅亡も秒読み段階となっている状態です。このままではマズイと思った私は、幼児・小学生たちにとって、楽しい思い出になるような宿でないとだめだと思い、息子が生まれた8年前から少しずつファミリー対象にシフトチェンジしています。
つづく。
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