「ユースホステルの認可を取りたいんですけれど」
と言ったんですが、すでに、◇◇と言うユースホステルが存在してるからだめだと言われました。 仕方ないのでペンションの営業を続けていたわけですが、価格帯をユースホステルと同じにしていた。
すると、どうもおかしい。変だなという感触があった。ペンションなのにユースホステルのユーザーが、うちのペンションに泊まりに来ていた。で、聞いてみたら、近郊にあった◇◇ユースホステルとトラブルがあったらしくて、そこから逃げてきた一人旅のお客さんが、うちの宿に泊まりに来ていると言う。ひょっとして◇◇さんは、日本ユースホステル協会から脱会して、ユースホステルを辞めたのでは無いか?という疑問がわいてきたので、断られてから6ヶ月もたってなかったけれど、もう一度、日本ユースホステル協会に
「ユースホステルの認可を取りたいんですけれど」
と聞いてみたら、今度はすぐに群馬県ユースホステル協会に行って面接をうけてこいと言われました。
そして、アッという間にユースホステルの認可をうけたのですが、全室バストイレ付の施設であったために、ユースホステルではなくて、もう1ランク上の設備であるユースゲストハウス(YGH)ということになってしまった。だから、北軽井沢ブルーベリーYGHの『YGH』というのは、ユースゲストハウスの略ということになります。
ユースホステルが新規でオープンする時は、大勢のヘビーユーザーたちが大量に来るらしいのですが、うちの宿にきた、お客さんは3人だけだった。その後、何ヶ月もユースホステルの会員さんが泊まりにこなかった。ペンション客ばかりだった。どうやら悪い口コミが流れていたということを後で知った。
そんな状況の中で、最初にユースホステルのお客さんとして現れたのが、高校生や中学生や大学生だった。それも生まれて初めてユースホステルに泊まるようなお客さんで、決してヘビーユーザーというわけではなかった。面白かったのは、小豆島のオリーブユースホステルに泊まった後に、北軽井沢ブルーベリーYGHに泊まりに来た学生さんです。小豆島と北軽井沢ではあまりにも距離が離れすぎていますので、1回の旅行で両方を回るなんてとんでもないことなんですが、どうしてそんな計画を立てたのかと聞いてみたら、
「だって両方とも名前が木の実だから」
「・・・・」
それだけの理由かい!
と、突っ込みたい気持ちと、爆笑したい気持ちをグッとこらえるので必死だった。それはともかくとして、ユースホステルをほとんど使ったことがなかった中学生・高校生・大学生たちは、どの宿が、あたりなのか外れなのかわかりませんから、ユニークな動機で宿を選んでいました。ある高校生は、軽井沢から北軽井沢まで歩くとちょうど8時間という理由で、うちの宿を選んでいました。8時間森の中を歩きたかったという理由で選んでいたわけです。吾妻線の行き止まりの終点を見たいという理由で泊まりに来た中学生もいました。
ヘビーユーザーではない若者たち。つまり一人旅を始めたばかりの若者たちには、「あたりの宿」とか「はずれの宿」という発想は、あまり無くて、大人達の考える物差しとは違うユニークな基準で宿を選んでいました。
中でも面食らったのは、学校に行ってない不登校の中学生。まず最初に親御さんから必ず電話がかかってきて「息子は不登校なんです」と教えてくれます。でないと家出少年と間違えられるからです。学校のある平日に泊まるわけですから怪しまれないように親から電話があり、その後に公共交通機関を使って一人で泊まりに来ます。
北軽井沢というところは、車が無いと不便なところなんですが、中学生が運転免許をもっているわけもなく、当時うちの宿にはレンタサイクルもなかったので、こんなところに来てどうするんだろう?と思ったんですが、当時は嫁さんもいなくて一人で仕事していたために、かまってやることもできず、放置(無視)していたんですが、何日も連泊がつづくと、さすがにこっちの良心も痛んできたので、
「今日の夕食は一緒に食べても好いかい?」
と本人の許可をとって一緒に食事をして旅行の目的を聞いてみたら私に会いに来たという。
「へ?」
世の中には、変な奴もいたもんだなあと思いつつ
「どうして俺に会いに?」
と聞くと、うちの宿のホームページに書いた『旅人的生活の方法』というページを読んで私に会いたくなったという。
あちゃー、参ったなあ・・・
と思った私は「旅をしたいの?」と聞いたら、そういうわけでもないらしい。何をしたいか本人にも分かってないらしい。とにかく学校に行きたくなくて、悶々としているうちに、どんどん敷居が高くなって不登校になり、なんとなく生きる目標がなくなってきたときに、暇にまかせてネットサーフィンしてたら私のサイトにたどりついて、うちの宿に泊まりに来たらしい。で、彼は無口になってしまった。ほっとけば、何時間も黙ったままな感じだ。こんなのに付き合ってはダメだと思った私は、
「やめたやめた! もう商売は終わり! 明日から3日間、宿を閉める」
「・・・」
「なので、君は明日から客では無い」
「・・・」
「だから俺につきあえ。明日は浅間山に登るからな。嫌とは言わせないぞ」
と言うわけで、その中学生を連れて一緒に浅間山に登り、下山後には温泉につかり、次の日は四阿山と根古岳に一緒に登り、その次の日には湯の丸山と烏帽子岳に登った。悲鳴をあげて自宅に帰ってくれたら儲けものだと思ってたのですが、思った以上に彼は根性があった。
「それだけの根性があれば何だってやれるよ。見直したよ!」
「そうでしょうか?」
「自信もてよ。お前が思ってるより、お前はスゴイ奴なんだから。学校なんか行かなくても充分やっていける。ただな、学校には行かなくていいから勉強はしろよ。損するから。特に簿記と、ある種の数学。つまり連立方程式と関数はやってないと損する。利益計算やエクセルが使えないと、カモにされてしまう。つまり損する」
「どう損するんですか?」
「例えば、500万もってる人と、500万の借金をしてる人は、どっちが金持ちだと思う?」
「500万もってる人?」
「不正解。500万の借金をしてる人が、ひよっとしたら金持ちの可能性だってある。例えば、借金があったとしても5000万の株を持ってて、毎年250万の配当をもらって可能がある。だから正解は『そこまで調べないと分からない』になる。そのために簿記の知識が要る。これだけは独学でもいいから勉強した方が良い。学校の勉強をサボっても人生で困らないけれど、簿記の基本が分からないと困ることがあるんだよ。他にも知っておいた方がいい知識は山ほどある。それはな・・・・」
私は、学校に行かなくても、社会で戦える方法をみっちり教えてあげた。学歴なしでも対抗できて、好き勝手に生きる。やりたいことをやる方法を伝授した。
その翌日、彼は自宅に帰っていった。そして何日かしたら御両親から「息子が学校に行くようになりました。ありがとうございました」という電話と手紙が届いた。私は「なんだ学校にいったのかよ」とガッカリしてしまった。せっかく学校に行かなくても、社会で戦える方法を教えてあげたのに、結局、私のアドバイスは何一つ聞いてなかったということになる。というか、めんどくさいことに気が付いたのかもしれない。私がやったことは無駄だった。
そして後日、別の親御さんから「不登校の息子を預けたい」という電話があったが、即座に断ってしまった。どうやら不登校児をもつ親にはネットワークがあったらしく、そういう依頼がジャンジャン来たけれど、全部断ってたのは言うまでも無い。もちろん学校のある平日に泊まろうとする中学生・高校生も全て断った。
で、不思議なことに週末に泊まりに来る中学生が急増した。けれど、これは大歓迎で受け入れた。彼らは、同世代の中学生たちと仲良くなって、とても楽しんで帰って行った。どうやら新しい友情が芽生えたらしい。大人たちにも可愛がられていた。高齢の御客さんから、お小遣いをもらったり、おごってもらったりもしていた。で、住所交換し、本当に楽しそうに帰って行った。そして二度と、うちの宿にくることはなかった。
つづく。
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